二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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繰り返すのが地震。

2017年09月20日 10時16分59秒 | ニ言瓦版
地べたは、繰り返す。
地球の下は、繰り返すのかもしれない。

人も、同じように、軽視して、死んでいく。
過去の地震、津波の対策は、怠慢政治だと、人殺しと、同じかもしれない。



「米地質調査所(USGS)によると、中米メキシコ中部プエブラ州で19日午後1時14分(日本時間20日午前3時14分)ごろ、マグニチュード(M)7・1の地震が発生。ロイター通信によると、少なくとも119人が死亡した。首都メキシコ市でも大きな揺れが感じられ、家屋倒壊や停電が相次いだ。ロイター通信は、火災が発生した建物の中に閉じ込められている人もいると報じている。

 震源は、メキシコ市から約120キロの同州内陸部。震源の深さは約51キロで、広範囲で強い揺れが観測された。ペニャニエト大統領はツイッターで、被害状況の把握に努めるとともに、自らも被災地に入ることを明らかにした。

 メキシコでは今月7日、南部沖でM8・1の地震があり、これまでに少なくとも98人の死亡が確認されている。ちょうど32年前の1985年9月19日にもメキシコ中部の太平洋沖を震源とするM8・0の地震が発生。約1万人が死亡し、この日は地震発生の約2時間前まで、メキシコ市で避難訓練が行われていた。」


33年前と同じか。

地震、津波、考えると、
日本の江戸時代から、その前の戦国時代も、豊臣秀吉も、地震で、自滅。
地震は、戦より、怖いものだ。

災難は、地震の合う年代の人は、災難か、幸運か。

豊臣秀吉も、天下とり、安堵と、思う時期、地震で、崩壊。

人の人生は、災難は、天が決めるのかもしれない。
同じこと、繰り返す、地震。


江戸時代も、綱吉は、地震で苦労。
歴代の将軍も、地震で、苦労が現実だろう。


火災と、地震、津波。
天守閣より、庶民の暮らし。

==========

「1586年の天正大地震後、近い時期に大地震が複数起こっている。
1596年9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0。
1596年9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0〜7.8。
1596年9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震) - M 7.0〜7.1。
1605年2月3日(慶長9年12月16日)慶長地震(東海・東南海・南海連動型地震) - M7.9〜8。
1608年12月30日(慶長13年11月23日) 仙台で地震 - 津波で50人死亡[49]。
1611年 9月27日(慶長16年8月21日) 会津地震 - M 6.9、死者3,700人。
1611年12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M 8.1。
1614年11月26日 (慶長19年10月25日) 高田領大地震- M 7.7・・同じ日に日本海側の越後高田領と太平洋側の伊豆、銚子の両方の津波記録がある他、京、会津、伊豆、紀伊、山城、松山の地震被害記録があり、これらの記録を満足する単一の地震はあり得ないとされる[61]。
1662年 6月16日(寛文2年5月1日) 寛文近江・若狭地震(寛文地震)(畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震、近江・山城地震) - M 7 1/4〜7.6、死者数千人。
九州の名護屋にいた秀吉が伏見城を築くときに1592年(文禄元年)普請を担当した京都所司代前田玄以(げんい)に送った書簡に、「ふしみのふしん、なまつ大事にて候まま」と記されていた。“なまず大事”=城の建築にあたっては地震対策を万全にせよ、という意味であるが、これは1586年の天正地震を念頭に置いたものとみられている」


天正13年から、地震。
今の大河ドラマの今の主人公の井伊直虎は、天正10年に、死んでいる。

信長が天正10年に死んだ、本能寺の変。
考えると、豊臣秀吉の所業は、信長の祟りかもしれない。

地震の年代は、祟りだろう。
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