二言瓦版

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なんとか

2016年10月18日 06時57分17秒 | ニ言瓦版
なんとか、しろ、といいた。
長嶋氏の息子。
生家ぐらい、何とかしろ。



「千葉県佐倉市臼井町にある長嶋茂雄氏(80)の生家が廃墟化し、近隣住民は敷地内へのゴミの不法投棄や害虫被害に悩まされている。この家にはかつて茂雄氏の兄が住んでいたが、5年ほど前に亡くなった後はその息子、つまり茂雄氏の甥が相続した。が、その甥は千葉市で暮らしているため、生家は長く空き家になってしまっているという。住民のなかには、茂雄氏に処分を求める声もある。が、古くからの長嶋家の知人はこう話す。

 「この家は長嶋さんにとって、大好きだったお母さんやおばあさんとの思い出が詰まった大切な場所です。簡単に処分なんてできないでしょう」

 特に母・ちよさんなくして、長嶋氏のプロ野球選手としての成功はありえなかった。長嶋氏が野球を始めたのは、終戦後まもない小学生時代。当時は物資も乏しかったため、母がボールやグローブを手作りしたという。立教大1年時に父・利さんが他界した後は母が行商をし、一家の生活を支えた。

 その存在は大きく、母の「在京球団にしてほしい」の一言によって、入団が確実視されていた南海ではなく、巨人入りを決断したと伝えられているほどだ。

 「プロ入り後も長嶋さんは頻繁にお母さんとおばあさんに会いに来ていた。騒ぎにならないようにと気を遣い、裏手に車を停めて、田んぼを歩いて家に入っていた。おばあさんも着飾って『東京まで茂雄に会いに行くの』と嬉しそうによく出かけていった」(同前)里帰りは第二次監督時代の1994年に母親が亡くなるまで続いたという。シーズン中に番記者を引き連れて帰省することもあった。

 「母親の死以後、生家に足を運ぶ機会も減り、佐倉の話題を出すことも少なくなった。きっと母親や祖母との思い出を胸の奥にそっとしまっておきたかったのでしょう」(長嶋氏を知るスポーツジャーナリスト)

 だが、その思い出の生家は荒廃し、近所の“やっかい物”と化してしまった。臼井町の町内会長はいう。

 「強制撤去という話にまではなっていませんが、近隣住民から苦情が来ているのは事実。所有者である長嶋さんの甥の連絡先もわからないため話し合いもできない。市に環境改善を求める相談をしようかと考えているところです」

 生家の所有者である甥の元を訪ねたが、記者の質問に表情を曇らせ、口を真一文字に結び、何も答えることはなかった。

 一方の長嶋氏の事務所は「所有者ではないので、お答えする立場にありません」とのこと。

 長嶋氏が2013年に国民栄誉賞を受賞すると、千葉県も「県民栄誉賞」を与え、佐倉市は市営岩名野球場を『長嶋茂雄記念岩名球場』と改称。翌2014年以降、毎年この球場で「長嶋茂雄少年野球教室」を開催し、長嶋自ら少年少女に身振り手振りを交えての熱血指導をしている。この教室は今年も11月13日に開催される予定だが、この日、長嶋氏が会場からほど近い生家に足を運ぶことはあるのだろうか。

 ミスターの胸中はいかに--。




住民の方も、大変だろう。
有名な人の生家。


残すも、普通に家にするも。

本来ならば、市に寄付か、生家の跡取り、なんとか、して、維持する努力。
記念館で、作れば、見に行く人もいる。



長嶋氏の息子も、テレビのコメントしている場合でない。
なんとか、本家、なんとしろ、いいたい。

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