二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

面白い、20才の年の差。応援したくなる。

2017年04月24日 07時27分35秒 | ニ言瓦版
面白い、記事。
新しい大統領は、誰になるか。
フランスも、大変だ。



「フランス大統領選の第1回投票が23日に即日開票され、中道・独立系のエマニュエル・マクロン前経済相(39)と極右政党・国民戦線のマリーヌ・ルペン党首(48)が、決選投票への進出を確実にしたと、主要仏メディアが出口調査の結果をもとに一斉に報じた。決選投票は5月7日に行われる。」

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面白い記事。
先生と、結婚したというのは、面白い。先生が女性。



「エマニュエル・マクロンは、1977年生まれの38歳の若い大臣です。子供の頃からとても優秀で、ENA(パリ政治学院・国立行政学院)を卒業しました。フランスの富裕層の銀行であるロス・チャイルド銀行の銀行員としてかなりの業績を挙げ、若くしてエリート街道を歩いていました。その後、高額な給料をもらっていた銀行をあっさり辞め、オーランドの党で活躍するようになりました。最初は、オーランドの左の党の中でも右翼寄りの考え方でしたが、オーランドの影響によって左翼の党を代表する人物になりました。

20歳の差の大恋愛・結婚

マクロンの奥さん(ブリジット)は、20歳以上も年上の姉さん女房です。奥さんはマクロンと結婚する前に結婚と離婚を経験し、3人の子供がいました。マクロンのフランス語の教師だったことから恋愛に発展したようです。年齢差のために、紆余曲折。アミアンの田舎のゴシップにも負けず、マクロンが29歳の時に結婚。マクロンには子供がいませんが、ブリジットの子供と仲良しなようです。去年あたりから奥さんも公の場に出るようになり、最近も、フランスの雑誌に奥さんをエスコートしているマクロンの素敵な写真が載って話題になりました。」



何か、この文見ると、分かる気がする。
マザコンなのか、奥さんも、苦労しているのか、分かるものだ。
結婚、離婚と、再婚。
それが、教え子だと、それは、分かる気がする。
大統領になると、面白い。
頭のいい、大統領と、いい、年上のおっかさんが、いるのは。
何か、いい。

フランスも、期待でる人材が知れない。

日本の東大は、ろくな人がない。
東大の人数も、減らすことかもしれない。
30人ぐらいした、入れない制度で、優秀な人材を投与する。
「ENA(パリ政治学院・国立行政学院)」凄い大学、大学院が、日本にも必要なことだ。

財務官僚の酷いさ。
豊洲市場の酷さも、すべては、大臣、公務員。
いや、「ENA(パリ政治学院・国立行政学院)」のような、優秀な人材を作る組織が、消えたのかもしれない。

坂の上の雲、ではないが、明治のときは、才能るのが、地位、組織、学校にいたものだ。
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残す仕事。

2017年04月24日 04時39分04秒 | ニ言瓦版
88歳か。
面白い、落語だった。




「「山のあな、あな」のフレーズで人気を博した落語界の重鎮で落語協会最高顧問の三遊亭円歌(さんゆうてい・えんか、本名・中澤円法=なかざわ・えんぽう)さんが23日、死去した。88歳。



 東京都墨田区向島出身。岩倉鉄道学校(現岩倉高校)卒。学徒動員で山手線新大久保駅に配属され駅員生活を送った。戦後の1945年9月、二代目円歌に入門し歌治。48年歌奴(うたやっこ)で二つ目昇進。初めてメガネをかけた落語家で、「山のあな、あな」と繰り返す「授業中」をはじめ、「浪曲社長」「月給日」などの新作落語で人気を得た。

 58年、戦後入門組としては初めて真打ちに昇進。興隆期のテレビにも数多く出演し、初代林家三平らとともに、大衆にアピールする落語の新時代を開いた。映画には、66、67年の東宝「落語野郎」シリーズなどに出演した。

 70年、三代目円歌を襲名したのを機に、古典落語にも力を入れ、71年「三味線栗毛」で芸術祭優秀賞を受賞した。

 85年には得度式を行い、僧名円法を得て改名した。96年、五代目柳家小さんの後を引き継ぎ落語協会会長に就任。2006年まで務めた。後進の指導にも尽力する一方、近年の高座では、自分、先妻、後妻の両親計6人を抱えることになったことをテーマにした新作「中沢家の人々」を得意とした。」




「授業中」は、面白かった。
知らない人の世代になった。
昭和の落語。
古典落語でなく、昭和の新作落語。
いや、もう、昭和も、古典落語になるのかもしれない。
でも、することは、ない。

彼の世で、「初代林家三平」氏と、落語か、いろいろ、言い合いするか、面白い落語があの世で、しているのかもしれない。

ご冥福を祈ります。



でも、考えるのは、芸も、人も、存在したものは、残すことかもしれない。
映像で、残すも、インターネットで、知らないと、消えていくものだ。

人は、生きているとは、芸ではないが、残すことが、必要なのかもしれない。
いろいろ、事件もあるが、最後は、残すのは、自分の仕事とは、何かと、問われることかもしれない。

芸人も、俳優も、楽している仕事していると、残らないものだ。
死んだ後、ユーチュウブで、みられないと、もう、平成の世代、新しい年号の世代には、
知られないで、消える。

事は、何していたと、問われるのが、芸、仕事かもしれない。

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考えさせられる

2017年04月24日 04時32分00秒 | ニ言瓦版
この事件、記事は、考えさせられる。
結婚、再婚。
その後の死別。
子供の面倒。




「交際中のホストから3万円を脅し取ろうとして逮捕されたタレントのANRIこと坂口杏里(26)が、21日釈放された。駆け付けた報道陣には無言で、頭を2度下げ車に乗り込んだ。気になるのは今後のことだ。果たして、どっぷりはまり込んだ“ホスト通い”をやめることができるのか。

 母で女優の坂口良子は2013年に亡くなっているが、義父でプロゴルファーの尾崎健夫は健在だ。尾崎と杏里の関係は良好だったが、坂口の死を境に悪化したといわれている。最近発売された女性誌「婦人公論」のインタビューでも、杏里は「おじさん(尾崎)とは、母の死を巡り確執が生まれていた」「おじさんが現れてママを取られた」「だんだん憎しみが湧いてきて、(坂口の入院先の)病院でおじさんを蹴飛ばしていました」などと語っている。

■義父・尾崎健夫氏とは音信不通

「尾崎と坂口さんが付き合い始めたのは1998年ごろ。杏里は7歳でした。ママを尾崎に取られたと思った杏里は当時、尾崎にかなりつらく当たったらしい。それでも、徐々に関係は改善し、2012年に2人が結婚した際には、披露宴で杏里が尾崎のことを『お父さん』と初めて呼んだことで話題になった。しかし、尾崎が坂口さんの病を隠していたことから、2人に再び“確執”が生まれたんです。その後、杏里はホストにはまり、AV女優に転身。転がり落ちていってしまった」(女性誌記者)

 杏里がAV出演した後、週刊誌から直撃された尾崎は「最近は連絡を取っていないんです……」と絶句した。どうやら、音信不通だったようだ。ホストに行くためのカネを、友人たちにも無心していたという杏里。周囲に支えてくれる人はいるのか。」



普通の娘であれば、違いのかもしれない。
難しいことだ。

どんな風になるのか。

しかし、ホストとは、金儲けには、いいが、最後は、犯罪にかかわるか、警察に訴えるか。
いろいろ、風俗の商売、水商売は、いろいろ、あるのかもしれない。

覚悟と、金と、縁切りは、大切なことかもしれない。

女性も、男も、恋愛を商売するのは、覚悟が必要かもしれない。


老後の前に、再婚か。
色々再婚、結婚、離婚は、晩年は、
子供で、苦労するのかもしれない。

結婚は、したが、その晩年は、子供に苦労。
再婚したものは、連れ子に苦労するのが、晩年かもしれない。


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