三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ブータンの話

2005年05月12日 | 仏教

某氏がブータンへ行って感激したという話を聞いた。
ブータンでは、仏教が生活の隅々にまでいきわたっているそうだ。
たとえば、仏教寺院の前に国会議事堂というか、政府の官庁がある建物があり、大臣以下の役人は寺院の勤行をすませたあと、向かいの官庁へ出勤する。

私も一応仏教徒の端くれだから、仏教国には何となくひいきしたくなるので、そうか、そうか、ブータンはいい国だなと思った。
だけど、こうしたことがイスラム教国で行われていたらどうだろうか。
政教一致というのは怖いなと思うんじゃなかろうか。
日本だって、もし公明党が政権を取り、創価学会が日本の国教になったら、公務員はまず題目をみんなで唱えて、それから仕事ということになるかもしれず、そうなった時に日本は仏教国だ、よかったよかったと喜べるかというと、もちろんそうはいかない。

私はチベットが好きで、ダライ・ラマのファンである。

だけど考えてみれば、チベットは神政一致の国で、ダライ・ラマが政治と宗教のトップである。
おまけに、仏教では否定する生まれ変わりによってダライ・ラマがその地位につく。
ダライ・ラマは天皇と同じではないか。
天皇制が自然消滅したらいいなと考えていながら、ダライ・ラマはこれからも転生してほしいと望むのも矛盾した話である。

ブータンとは関係ないが、難病や寝たきりの人が真宗の教えに出会って、喜びの生活、感謝の日暮らしをする、という話がよくある。

そういう例があるからということで、真宗の教えは素晴らしいんだと説いたりするわけです。
だけども、信仰によって苦難を乗り越えたというお話は新興宗教でもいくらでもある。
というか、新興宗教はそれしかないと言ってもいいくらいだ。
ありがたい話は何かうさんくさく感じる私はひねくれていると自分でも思います。

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2 コメント

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気のいいオヤジ (万年中年)
2018-02-04 10:58:30
 わたしはダライ・ラマ氏はナイスおやじとは思いますが、彼の仏教は大嫌い。
 11:30ぐらいから、彼が東日本大震災で被害を受けた石巻の浄土宗のお寺で「前世のおこない」を力説されてます。
https://www.youtube.com/watch?v=a9diQGQf_TY

 すべての出来事には原因がある。津波も地震も原因がある。原因や条件が整えば、結果を止めることができない。これが自然の法則であり、因果の法則だ。
 カルマという考え方がある。カルマは作用だ。一生のうち、何か良くない行いをすれば、生きてるうちにその果報を得ることがある。仏教徒というものは、現在の精神は、過去の精神からできている。
 脳から心は生みだされない。過去のこころをいま継承している。これが転生の原理だ。あなたがたが過去世でまちがったことをやった結果が、いまわたしたちがここにいる結果だ。悲劇を共有しているのはその結果だ。
 どのようなカルマも長い時間が経ってもきえることはない。

 こんなどアホな話が、仏教なら学ぶ必要はないなあと思いました。そして、ダライ・ラマという有名人が語るのだったらお客を呼べるとふんで、何度も招聘する仏教関係者(中国ぎらいのイデオロギー僧侶には利用価値がある)も同類だなあと思ってます。
高潔と偏見 (円)
2018-02-05 09:10:41
ブータンの国立図書館長をされていた今枝由郎さんはブータンの僧侶の高潔さをほめたたえています。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/616007a101b4ca5e498e5904bd80cfd3
ダライラマ一行も寒いのに片肌脱ぎです。
日本の僧侶のぬくぬくさと比べてしまいますよね。

でも、ブータンでもカルマの法則を説かれていると知ると、がっくりです。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/1352a74f3f02f2f6146fccdaffebc792
これじゃ、オウム真理教のポアを批判できませんよね。

以前、ダライラマ、ツツ大司教、マグワイアというノーベル平和賞受賞者3人を迎えた昼食会に参加したことがあります。
みんなダライラマと写真を撮りたがってて、その人気の高さに驚いたことがあります。
あれは何なんですかね。

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