三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』(1)

2017年06月18日 | 仏教

親鸞は呪術を否定しており、呪術とは関係ないと想ってたので、小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』は題名に興味をそそられ。『浄土真宗とは何か』と合わせて読みました。
親鸞やその家族、子孫の信仰と呪術信仰との関連、特に病気治療や臨終のあり方を中心に書かれた本です。

平安時代中期から鎌倉時代は、呪術への信仰が盛んな時代で、呪術は生活と密接に結びついていた。
親鸞が生きた時代には、経典読誦や念仏は呪術であり、それによって現世利益を期待し、さらには極楽往生できると考えることが当たり前であった。
ここでいう呪術とは、仏菩薩や神に由来する超自然的な力をもとに、求める現象を引き起こそうとする行為である。

物気(もののけ)をはじめとする不可視のものが跳梁し、病気の多くが物気や呪詛、神罰などによるものであると信じられていた。
物気とは、死者の霊であることが多い。
また、臨終のあり方によって極楽往生の可否が決まると信じられ、臨終の念仏が重視されていた。

・呪術による病気治療
貴族社会では、僧侶、医師、陰陽師によって病気治療が行われていた。
病人が出ると、まず陰陽師が呼ばれ、その原因を占う。
そして、原因が何かにより、僧侶、医師、陰陽師のうちからふさわしい者が病気治療にあたることになる。
原因が物気である場合には、主に僧侶が調伏を行い、神や呪詛である場合には主に陰陽師が祭や祓(はらえ)を行い、食中毒や風邪の場合には主に医師が投薬などによる治療にあたった。
投薬は、しばしば薬に加持を加えた上で行われていた。

僧侶は、病気治療の時に護摩を焚いて加持をし、物気を憑座(よりまし)に憑け、調伏する。
物気は憑座の口を借り、病気をもたらした理由などを話す。
その後、僧侶は物気を遠方に放つことにより、病気が完全に平癒する。

なぜ憑座は物気の言葉を語ることができたか。
なぜ病人や周囲にいる者たちは物気の声を聞くことができたか。
それは、護摩修法の時に、芥子や麻、附子などの毒物が供物として投じられたからである。
毒物の中には、麻や罌粟など、陶酔作用をもたらすものも含められていた。
護摩修法を行う僧侶のそば近くに憑座が侍らされており、護摩壇からの煙を吸入して恍惚とした状態になった。
病人も護摩の煙を吸うことで幻覚を見たはずであるし、気を失うこともあったであろう。
それによって、憑座は物気の言葉を語り、病人やその周囲にいた者たちは物気の声を聞くことができた。

・法然
親鸞の師である法然は、当時の常識であった呪術による病気治療や、臨終行儀の必要性を否定し、神仏への祈禱による治病には意味がないと説いた。
それなのに、法然は貴族からの依頼により、授戒による病気治療も行なっていた。

① 呪術による病気治療
九条兼実に招かれて、九条家の人々に授戒による医療行為を行なっている、
そして、法然が病に倒れた時には、弟子たちによって祈禱、すなわち呪術による病気治療が行われていた。

『法然上人伝記』にこんな話が記されている。
法然が瘧病を患った時、九条兼実は善導の御影を病床の法然の前に置いて供養したいといった。
聖覚も瘧病を患っていたが、法然の恩に報いるために、病をおして仏事を行なった。
すると、善導の御影から異香が薫ってきて、法然と聖覚の病気が治ってしまった。

② 臨終行義
臨終行儀についても、法然は臨終行儀を必要だとは考えておらず、平生時の念仏によって極楽への往生が定まる、としていた。
法然の臨終が近づくと、仏像と結んだ五色の糸を持つように弟子から勧められても断った。
ところが法然は、円仁の九条の袈裟をかけて息を引き取っている。
法然は、極楽往生を確実にするためにこのようなことをしたのだろう。
あくまでも天台僧として息を引き取ったのである。

要するに法然は、専修念仏の重要性を説き示し、神仏への祈禱による治病を否定する一方で、貴族の邸に出入りして病気治療の祈禱に携わる、というはなはだ矛盾した行ないをしていたのである。
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