三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』

2016年12月22日 | あやしい教え・考え

佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』に、「生き甲斐のための組織」が問題ある組織かどうか、律と照らし合わせて評価するチェックポイントが書かれています。
私なりにまとめてみました。

・運営の仕方
教団がどういう仕組みで運営しているか、規律がどういう手段で守られているか。
オウム真理教などは、教祖やその側近の恣意的な命令で決まり事が決定される。
統率者の個人的思惑で方向が決まる組織は暴走する可能性が高い。
しかし、サンガという組織を運営するためのマニュアルである律は、サンガのみんなで決めており、釈尊の命令ではない。

・勧誘の方法

どのように勧誘するかについての問題点は、藤原弘達『創価学会を斬る』からご紹介しますので、またまた次回をお楽しみに。

・入会の手続き

仏教のサンガは入会も脱会も自由で、やめたければ、「やめます」と言えば、それで脱会となる。
出たり入ったりを繰り返すことも構わない。
出家は我慢の道ではない。
自分の本当の居場所だと思い、修行生活が自分の進む道だと確信しているから、サンガにいる。
ただし、親の許しがないのに人を比丘・比丘尼にすることはできない。

また、生まれたときからサンガで生活する人はいない。

サンガのメンバーは一般社会の中で生まれ育ち、ある年齢に達してから自分の意志で入ってくる人たちである。
サンガの中で生まれたり、物心がついたらサンガのメンバーだったということはない。
宗教団体やコミューンには、オウム真理教のように家族ぐるみで加わるというスタイルのものがある。
すると、そこの価値観で育った子供は特定の固定化した物の見方しかできなくなり、一般人として普通の価値観で暮らす自由を子供たちから奪うという問題がある。

・信者の扱い

信者をどう扱おうとしているか、組織内の上下関係がいかなる基準によって決定されているか。
特定の人物の主観的な基準で決める組織や、競争主義で序列が決まる組織は、組織全体の勢力拡大を目的としている可能性が高い。
内部が厳しい上下関係で統制されているなら、個人よりも組織の発展やリーダーの面子を重視する全体主義的組織である。
サンガでの師弟関係は、修行の効率化という目的に沿った合理的なものである。
師匠と弟子との関係は、上の者が権力で下の者を支配することは許されない。

師匠と弟子との関係が理性的なものである以上、体罰が用いられることは決してない。

律は「いかなる理由があれ、僧侶が他者に暴力行為を働くことは許されない」と規定している。
ところが、日本の仏教ではこの原則が無視され、指導のために弟子を殴ることが違和感なく認められることがある。

このことで思うのが、仏教では苦行でも快楽でもない中道を説きます。
ところが、明治政府から僧侶の肉食妻帯が許されると、どの宗派の僧侶もいそいそと戒律を捨てました。
その一方で、釈尊が否定している苦行を行い、時には暴力を振るうこともあるように、ある面では厳しいというのも妙な話です。

・資金の獲得方法

組織の資金をどんな方法で獲得しているか、メンバーに負担をかけないように運営している組織か、生活に脅威を与えるほどの寄付を要求する組織か。
法外な寄付を要求するなら、必要以上の金銭を集める強欲な集団といえる。
オウム真理教は、出家者の個人資産すべてをオウム真理教に寄付させていた。
仏教の場合、出家する人が自分の財産をどう処理するかは、その人が決めることであって、サンガが口を出すことは決してない。

・社会との関係

教団と社会との関係をどう設定しているのか、公開されているか密室か。
生産活動を一切しないサンガが存続するためには、世間からの支援なしには運営が立ち行かないので、サンガ内部は常に開かれていた。
そのためには尊敬される姿を見せなければいけないので、最低限、世間から非難されることのない行儀作法を身につく行動マニュアルが律である。
世間での信用を失墜させる行為は御法度である。
オウム真理教は外部に自分たちの実態が漏れることを嫌い、教団を閉鎖的な秘密空間にした。

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