三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

大石学「外国人が見た近世日本と日本人」

2016年10月13日 | 仏教

竹内誠監修『外国人が見た近世日本』は、16~19世紀に日本を訪れた外国人の記録を元に、日本人や生活について論考した本です。
大石学「外国人が見た近世日本と日本人」(竹内誠監修『外国人が見た近世日本』)には、外国人が書いた日本の宗教事情について引用されています。

(1)「この国民は特に迷信的でも無ければ宗教的でも無い。彼らは朝夕、食前・食後、あるいは時々祈ることも無い。一カ月に一度寺院に参詣する者は信心深いと言わざるを得ぬ」(カロン『日本大王国史』)
フランソア・カロンは1619年に来日、22年間滞在し、第8代オランダ商館長となった。

(2)「日本各島ともどこも宗教組織は同じである。然し宗派は無数に分かれる。そして各宗派は他の宗派に対し互いに極めて寛大な態度に出てゐる。各宗派の間には盟会或協調の如きものすら見られる。宗派の上に一人の長が居る。これが内裏である。その権力及び職能はかなり法王に似てゐる」(ツンベルク『ツンベルク日本紀行』)

カール・ぺーテル・ツンベルクは1775年から1776年にかけて来日した。

(3)「日本人は必ずしも宗教を信ずる訳ではないが、皆お勤めと思って信心をしている。だから神道も仏教も、分別ある日本人は何の満足も与えていない。教養のない日本人は、ただ信心は自分の義務であると覚っているから、満足しているが、彼らには神道であろうが、仏教であろうが信心さえすればよいので、中にはこの二つを一緒に信心している者すらある……たとい表面的には仏教徒もしく神道信者であろうとも、教養ある日本人は儒教の教養を奉じ、政府もまた、この道を実践しているのである」(カッテンディーケ『長崎海軍伝習所の日々』)

リッダー・ホイセン・ファン・カッテンディーケは1857年から1859年まで滞日し、長崎海軍伝習所の教官を務めた。

日本人の宗教心の薄さは今に始まったことではないようです。

しかし、宗派の対立のなさ、天皇の優位、儒教の普及などが、西洋人が考える信仰心とは異なっており、日本人は宗教心が薄いと誤解したのではないかという気がします。

シーボルトは「江戸では、人が足繁く訪れる場所、寺の境内などの壁や垣根のそばに、およそ二フィートの□の箱がよく置かれている。そこではさまざまな小間物の必需品、楊枝などが、しっかりと値をつけて販売されているが、売り手はいない。客はなんでも好きなだけ手を取り、お金を足元にある小さな引き出しの中に入れる」と驚いているそうです。

ザビエルも書簡に「盗みを極度に嫌う」と書いています。
盗みが厳しく罰せられ、理由の如何を問わず処刑されるから、盗みが少なかったということはあるでしょう。

しかし、それよりも宗教が人々の生活を律していることが、無人販売所なのに、商品を盗む者も代金を奪う者もいなかった原因であり、すなわち日本人なりに宗教心が篤いのではないかと思います。

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