日本人の宗教観は霊信仰だと思っていたが、『原田実の日本霊能史講座』によると、霊魂観は時代とともに変遷している。
原田実氏によると、霊の概念を四種類に分類することができる。
1,その姿が誰にもまったく見えない霊(得体の知れない恐るべき霊)
たとえば『源氏物語』で、六条御息所が生霊となるが、誰かが見たわけではない。
「日本の古代〜中世の霊能者にとって、霊は見るものではなく、鎮めたり使役したりするための存在だった」
たとえば安倍晴明。
原田「この時代の貴族社会の生活は陰陽道なくして成り立ち得ないものだった。呪術的な支配力を有しているわけです。たとえばこれも『宇治拾遺物語』にあるエピソードですが、暦を作る人がいたずらで、はこすべからずという日を暦の中に設けたという話がある」
杉並「はこすべからず?」
原田「大便をしてはいけない日、を暦に入れてしまうんですね。で、暦に従って行動する貴族の女房が青い顔をしているのを見て、人々が笑っていたというふうな話が出てくるわけです」
2,生前に因縁があった人に向けて現れ、その人だけに見える霊
霊に怨みを持たれている人、因縁がある人だけ見えて、他の人には見えない。
3,その姿が誰にでも見える霊
印刷技術の発達によって18世紀以降に広まる。
4,特殊な技術/操作によって見えるようになる霊
写真の普及と心霊写真の登場によって、「肉眼で見えない霊を写す写真機のような目を持った人間=霊能者」という発想が生まれた。
18世紀半ばの印刷技術の発展、出版物の普及以前には「霊能者だけにしか見えない霊」というのはなかった。
原田「古代には、霊という概念はあったとしても、いったん死んでしまった人の霊が個性(姿や人格)を持つとは考えられていなかったと思われるわけです」
「死んでからも生前の個性を持ち越している人間の霊」という概念はなく、霊は「生前の個性から切り離された、得体の知れない恐るべきもの」だった。
原田「どんなに愛した人であっても、死んでしまったら、「個性を失った、得体の知れない怖いもの」になってしまうから、それは生き返ってもらっては困る」
たとえば菅原道真の霊。
原田「生前の個性を持ち越した人格を帯びた幽霊として出てきたのではなくて、火雷天神として現れた。つまり、怨念や妄執だけがこの世に残っているわけです」
ところが、印刷技術の発展、出版物の普及により、おばけや化け物の概念が変わってくる。
原田「印刷物の中で人間の霊が絵に書かれるようになってくると、まず他の化け物と人間の霊(幽霊)との区別が問題になってくるわけです。人間の霊は人間の名残をとどめているはずだから、他の化け物より人間らしいはずだ、というわけです」
化け物と幽霊の区別/分化が進み、幽霊は「生前の個性を持ち越して現れる」ものであり、基本的には「因縁のある人だけでなく誰に対しても現れる」ものであるという認識が広まっていく。
原田「きちんと生前の人としての個性(姿・人格)を保っているものが幽霊で、そうではないものが化け物だということになってくる」
写真の普及も霊魂観を変えることになる。
原田「写真の普及と心霊写真の登場によって、ここに新しい種類の霊が付け加えられるわけです。それはいわば、「特殊な技術/操作によって見えるようになる霊」です」
肉眼では見えないが、カメラによって写される霊、つまり心霊写真である。
原田「この、「特殊な技術/操作によって見えるようになる霊」という概念の延長線上に、「普通の人の肉眼では見えないけれども、それが見えるような、写真と同じような特殊な技術/能力を持った人がいるにちがいない」という発想が出てくるんですよ」
肉眼では見えないものを見る能力を持つ人=霊能者の登場。
それ以前には、「霊能者だけにしか見えない霊」というのはなかった。
さらには、X線という、肉眼では見えないものを透視する光線。
原田「これからなにか未知の光線、未知の透視能力、そういうものがあるはずだという発想が出てくるんですね」
原田「X線のような透視技能を持った人間=透視能力者/超能力者がいるに違いない、という発想につながっていく」
そして念写。
原田「X線のように物を通過し乾板を感光させることができて、しかも人の目には見えない、特殊な光線なり物理現象なりがあるにちがいないという思い込みが強められる」
大蔵貢の怪談映画の影響も大きいそうだ。
原田「それによって何が起きるかというと、大衆が、幽霊を具体的なイメージとして見るという経験を積んでしまうわけですね」
原田「たとえば映画に、幽霊が見える人物が登場する。そしてその霊がどういう状況でどのように見えるのか、ということが映画の中で描かれる。するとその認識が、霊というのはそういうふうに見えるものなのかという暗黙の了解として人々の間に定着していくわけです」
映画界で大蔵貢をよく言う人はいないと、何かの本で読んだが、こんなところで貢献しているとは知らなかった。
そして、テレビの普及で霊の視覚化が定着するということです。
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今では、忘れ去られた作家ですが、面白いですよ。でも、この人は直木賞作家なんですよね、怪談怪奇小説だけでなく、どのようなジャンルでも書き分ける人だったようですね。
橘外男も、私達の霊の具体的なイメージの視覚化に貢献?した人物のひとりですね。
怪作ですよね。
解説を書いているのは澁澤龍彦です。
橘外男は刑務所に入っていたことがあり、『私は前科者である』を書いています。
まだ読んでいませんが、今度図書館でリクエストしようかなと。
この中に、『亡霊怪猫屋敷』が収められています。私も今回初めて知ったのですが、元々は、少女の友という雑誌に連載され、タイトルも『山茶花屋敷物語』で、橘外男が、藤崎彰子という筆名で書いた作品です。ですから、文章は平仮名が多いですね。
しかし、内容は映画とちがい救いがなく、凄惨ですねぇ。
飼い猫が、飼い主の復讐をするといっても、家老の家中の人間というだけで、何の落ち度もない人々や事件と関係ない人々を殺害したり傷つけたりするのはどうも・・・と思いました。家老に殺された竜胆寺小金吾も、ここまでの復讐を望んでいたのかと、読みながら考えましたね。
すると、そこに、猫が、なんと、猫が、木に登っているんです。ねこのぼーれい。
やっぱり、アホ。
「なんて、かわいいんだ!なんて、おろかなんだ!」 オペラのマノン。わたしの理想の女性です。
図書館には「人獣妖婚譚篇」だけがありません。
『ある小説家の思い出』も何となく面白そう。
都筑道夫氏や澁澤龍彦氏は橘外男は文章が下手だと書いています。
だけど読者を楽しませるサービス精神が旺盛だと。
題名だけで読みたくなりますからね。
中川信夫『亡霊怪猫屋敷』は見ました。
冒頭の現代の部分が怖かった記憶があります。
残酷小説というと南條範夫。
といっても、小説を読んだことがありません。
昔々、漫画で読みました。
「灯台鬼」「復讐鬼」など。
國學院大学教授とは知りませんでした。
霊媒体質の人がいます。
幽霊やUFOなんかを見たというのは錯覚ばかりではないらしいですね。
神秘体験は危険だと、『オウムを生きて』を読んであらためて思いました。
江戸の画家・鳥山石燕の人間燭台の姿は、おそろしいというより、まんがチック。
で、中国奥地の達者(だるま)という都市伝説があることを知りました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/netlore3.htm
平安時代〜鎌倉時代の人たちにとっては灯台鬼は都市伝説だったんでしょうね。
やっとわかりました。
アホな私でした。
>反日感情の強い農村で生まれたものらしく、
チェーンメールには、
「卒業旅行で,ある女の子が中国の山奥に言ったんだとさ.中国の山奥ともなると,治安なんてもちろん届かない.しかもすごい反日感情がものすごい強い」
と、「反日感情の強い農村」で日本人学生が達者にさせられたとあります。
反日感情ではなく、中国だったらあり得るという反中感情から作られたお話ではないでしょうか。
イタリアのブティツクの試着室で、いきなり、日本人女性が消え、手足もぎ取られ、中国の見世物小屋に売られていく、というお話は、バブルで、ブランドあさりばかりしていた時、日本人が自嘲気味に作ったのでは、と思います。
裁判員は全員、絶対やってる、死刑だと思ったのでしょうか。
疑わしきは罰せずだからと、ためらった人もいるように思います。
でも多数決で死刑。
「オルレアンの噂」というのが1969年にあったそうです。
達者ではなく、売春宿に売られる話。
http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/la_rumeur_d%27orl%27eans.htm
こういう噂は教訓話ではなく、みんな怖い話が好きなんでしょうね。
灯台鬼にしても平安時代に中国に行く人はごくわずかですし。
↑のサイトでも指摘されていますが、こうした噂は差別につながりがちです。
たとえばイラン人に女性が襲われたといったデマなんかのように。
木嶋被告にしても、メディアが伝えていることのどれほどが本当のことなのかわかったものではありません。
報道に関することですが、以前、満漢全席をNHKと共同制作した、元大学教授が、「NHKは、ショーの意識が強すぎます。国民の税金で、番組を制作するのですから、伝えるべきことは、きちんと、真実を伝えなくてはいけません」とおっしゃっていました。
事件も、ショー意識を取り入れて報道しているかもしれません。
受けるか受けないか。
テレビの報道番組のディレクターが「ワイドショートとは違う」と自信ありげに言ってましたし、新聞記者は「週刊誌ね」とバカにしたように言ってました。
たしかにワイドショーや週刊誌はひどいけど、テレビのニュースや新聞だって真実をどれだけ伝えているか、歪めているかわかったものではありません。
メディア・リテラシーということが言われますが、真偽を見抜くのは難しいですね。