倉塚平『ユートピアと性 オナイダ・コミュニティの複合婚実験』はフリーセックスのユートピアについて書かれているとどこかで読み、図書館で借りました。
『ユートピアと性』によると、オナイダ・コミュニティはいわゆるフリーセックス、自由恋愛が認められていたわけではなく、セックスのコミュニティ管理を実行していたとのことです。
まとめてみましょう。
ジョン・ハンフリー・ノイズは1811年生まれ。
1848年にニューヨーク州北部のオナイダ湖の近くの農場で、信奉者である数百人のキリスト教的完全主義者たちと共同生活を営み、コミュニティは1879年に崩壊するまでの31年間存続した。
ジョン・ハンフリー・ノイズは次のような考えを説いています。
言葉の説明をしますと、「完全主義者」とは、罪を犯すことのない信仰者になったと称する人。
完全主義者は完全な社会を求め、地上における天国を求め、社会改良運動に乗り出し、悲惨な境遇にある人たちが罪を犯すことのないように社会を改善しようとした。
中には、ユートピア建設によって黄金時代の到来を目指す人たちもいた。
完全主義者は罪から解放されているので、何をしてもいいということになる。
「留保性交」とは、妊娠することを防ぐために、性交はするが射精しないという、ノイズの大発見。
接して漏らさずということらしいです。
ほほ~という教えですが、オナイダ・コミュニティではフリーセックスや乱交を認めていたわけではありません。
ノイズの複合婚は厳しいルールと規律に基づくコミュニティ管理下のセックスであった。
複合婚を成り立たせた前提を倉塚平氏は3つあげています。
1 留保性交の厳格な実施
のちに妊娠、出産が認められますが、男女の組み合わせも管理しています。
2 スペシャル・ラブの禁止
母性愛、夫婦愛、家族愛を否定し、一夫一妻制は奴隷化の制度と見なした。
夫婦関係は加入と同時に解消され、男女二人だけの排他的な恋愛はスペシャル・ラブの名のもとにエゴイズムとして糾弾され、引き裂かれた。
親が自分の子をとくに可愛がることもスペシャル・ラブとして批判された。
男女の愛、親子の愛、友情といった、特定個人に対する愛はコミュニティを崩壊させる最も強力な力として働くからである。
3 組み合わせの上長者優位
男の子は13歳~17歳で複合婚にイニシエートされるが、20歳ぐらいまでは更年期後の女性としか交わることを許されなかった。
ある調査では、コミュニティで育った女性がイニシエートされた年齢は、10歳1名、12歳7名、13歳8名、14歳4名、15歳2名、18歳1名で、初潮年齢と同じ。
初潮が始まるとイニシエートされた。
イニシエートしたのは、ノイズがコミュニティにいるときはいつも、ノイズが外に行っているときは側近の2、3の者が行なった。
ノイズは性交に神の生命の霊を媒介伝達する機能を認めた。
1869年から優性主義思想による出産が認められた。
カップルはノイズを中心とする中央メンバーが決めたが、カップルの関係は永続的なものではない。
ノイズはというと、8~10人の子供の父親になった。
1879年8月、複合婚を廃止。
1881年1月、有限会社に組織替えした。
ノイズはナイアガラの滝の近くにある豪邸で優雅な余生を送り、1886年、この世を去った。
何ともうらやましい人生です。
オナイダ・コミュニティは巨大な株式会社に成長し、1987年の売り上げは2億6800万ドルとのことです。