三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ショーン・マクナマラ『ソウル・サーファー』と福音派

2012年07月05日 | キリスト教

ショーン・マクナマラ『ソウル・サーファー』は、13歳のときにサーフィンをしてて、鮫に襲われて片腕を失うが、プロ・サーファーになったベサニー・ハミルトンの実話をもとにした映画。

悪くはないが、キリスト教のにおいの強さが気になる。
家族そろって教会に通い、兄弟は教会の青年会(?)活動に積極的に参加し、教会の女伝道師(性格が悪そうに見える)の話を素直に聞く。
それがどうしていけないのかと言われると困るのだが。

どうもなあと思ってたら、エンド・クレジットのSpecial Thanksの最初と最後にJesus Christという名前が出てきた。
れれれと思ってウィキペディアを見ると、ベサニー・ハミルトンはI Am Secondというキリスト教福音派と関係があるそうだ。
進化論なんて頭から信じてなさそう。
ベサニー・ハミルトンと親友はサーフィンの練習のために学校に通わず、自宅学習をしているというシーンがあるが、学校で聖書に反する知識を学ばせたくないからだと邪推したくなる。

ネットで調べたら、Youtubeにベサニー・ハミルトンへのインタビューがあった。

Nick interview with Bethany (英語、日本語字幕)

こんなことを話している。
「私はとても小さい時にもう神に人生を任せた」
「直ぐに、それは神が計画した私の人生だという気がした」
「神は私の人生に計画を与える。それに神は私を愛している。だから、神は私に忍耐と力とサーフィンに対する新たな情熱を与えてくれた。そして、私は諦めないことにした」
「サーフィンは私にとって一番大切なものというわけじゃない。イエス・キリストこそ一番大切。イエスに力と希望をもらって日々を過ごす」etc

インタビュアー(障害者)が「あなたは神があなたに与えた計画を実行するためその事故を起こしたと思えるの」と問うと、「ええ、そう思う。神は理由があって私に腕を失わせたと分かっている。その理由は今分かった。だって、たくさんの素晴らしいことが私の人生で現れた。私の信仰を人達に話す機会ができたし、サーフィンをし続けられるし、片手でサーフィンのことを人に話せるし、片手でもサーフィンレースに出られるし、希望を失った人は多い。私の経験を聞いて、彼らの人生が変わった。だから、全然腕を取り戻したいという気持ちはない」と答える。

あらゆることは全能の神のお考え。
だから、ベサニー・ハミルトンが鮫に片腕を食べられたのも、神の意思なのである。

2004年、津波の被害に遭ったタイのプーケット島に、ベサニー・ハミルトンたち教会のメンバーはボランティアに行く。
彼らは、津波で何万人もの人が死んだのも神のお考え、残された人にとっては神の与えた試練だと思いながら、被災者の世話をしたのだろうか。

『ラビット・ホール』という映画は、一人息子が交通事故で死んだ夫婦が主人公である。
夫婦で子どもを亡くした親の会に出席しているが、娘を亡くした人が「娘は天使になって神様のそばにいる」と話すのを聞いて、母親はキレる。
「そんなに天使が必要なら、自分で作ればいいのよ。だって神なんだから」
正論だと思う。

信仰によって障害や子どもを亡くしたことを受け入れることを非難しているわけではない。
だけども、と思う。

本田哲郎『聖書を発見する』に、福音主義、原理主義の人は、
「富、健康、長寿こそ神の祝福のしるしであって、貧困、病気、短命は神の罰だという人たち」とある。
渡辺靖『アメリカン・デモクラシーの逆説』に、こんな例が紹介されている。
2005年8月、アメリカ南東部を襲って1800人の死者を出したハリケーン「カトリーナ」に関して、キリスト教保守派の組織「リベント・アメリカ」(「アメリカを悔い改める」という意味)の創設者マイケルマーカベージは「同性愛者の祭りを毎年催しているニューオリンズへの神の審判だ」と述べ、同派のテレビ伝道師ジョン・ヘイギーは反カトリックの立場から「カトリーナは罪の都市に対する神の罰だ」と発言した。
石原慎太郎都知事の「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」という暴言と同じことを福音派が言っているわけだ。

タイの人たちはほとんどが仏教徒である。
さすがに『ソウル・サーファー』では、石原都知事のようにあからさまに「津波は神の罰だ」なんて言わない。
でも、そんな勘ぐりをしたくなるキリスト教福音派の宣伝映画でした。

コメント (4)
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