三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「べてるの家の当事者研究について」1

2011年09月28日 | 映画

「べてる楽会in広島」に行ってきました。
9月21日と24日に開かれると新聞に出てて、21日はミケランジェロ・アントニオーニ『赤い砂漠』が映像文化ライブラリーであるので、24日を申し込んだ。

『赤い砂漠』だが、予想どおり眠たくなる映画だった。
観客はほとんどが65歳以上(入場無料)の人で、終わると「つまらんかった」「さっぱりわからん」の声あり。
ミケランジェロ・アントニオーニは1960年代にカンヌ、ベネチア、ベルリンの世界三大映画祭で最高賞をとっている、たぶん世界でただ一人の映画監督である。
『情事』は1962年度キネマ旬報ベストテンで読者男、読者女の1位で、一般の人も高く評価していたわけだ。
だけど、私はミケランジェロ・アントニオーニのどこがいいのかわからない。


『赤い砂漠』の主人公(おなじみモニカ・ヴィッティ)は交通事故のショックで精神病院に入院したり、自殺未遂をしたりと、精神的に立ち直れない。
「これまで一貫して“愛の不毛”を描いてきたが、この映画ではそのテーマをさらに押し進め、“人間関係の不毛”を描いている」と評されるが、要は生きづらさに苦しんでいるわけである。
60年代には主人公の苦しみは多くの人に共感されたのだろうが、私にはだからどうしたとしか思えない(おそらく65歳以上の観客の多くも)。
たとえば、子どもが歩けなくなるので心配するが、実は幼稚園に行きたくないので歩けないふりをしただけだったとわかる。
映画ではそれだけのことだが、説明を読むと、主人公は子どもに「裏切られた思いだった。息子でさえ自分を必要としない」と思って深く傷ついたそうだ。
人は些細なことでも傷つくことがあり、その傷の深さは他と比べるべきではないけれども、それにしてもなあと思う。

一方、べてるの家の人たちの話を聞いてたら、「そうそう、わかる、わかる」と苦笑いしてしまう。
たとえば、べてるの家の亀井さんは、声をかけてもらったとかうれしくなったことがあれば、それをメモし、部屋に帰ってから、メモをにやにや見ながら一人で楽しむ。
わざわざメモを取る人はあまりいないだろうけど、孤独だと感じていて、声をかけられるなどしたらうれしく思って元気の出る人は少なくないはずだ。

万能川柳からいくつか。
鬼でも来い独り暮らしはもう飽きた 福士正和
老い一人退院ですよに喜べず 奥村トキ
さびしいと言えず気楽と笑ってる 渡辺次夫
亡夫の靴へふと足入れてみたくなり 中島節子
「ごはんよ」と呼ばれることのありがたさ 佐藤江里子

コメント (10)
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