三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

蓮池透『拉致』2

2010年07月31日 | 日記
森達也氏の言う「被害者側の聖域化」ということだが、蓮池透氏は『拉致』でこんなことを言っている。
「もっと経済制裁を強めてほしいというのは、もともと「家族会」や「救う会」が要求してきたことです。したがって、政府が制裁路線でやってきたのは、良く言えば、政府が「家族会」や「救う会」を大切にしてきたということです。一方、悪く言えば、家族の言うことだけをやっていればいいのだと、安易に考えてきたのではないかとも思うのです。
政府の方々と話していると、家族の意向と違った言動をとると、世論からバッシングがくるのではないか、それはまずいぞという雰囲気を感じます。しかし、「家族会」の意向が、そのまま日本の世論ではありません。たとえ、日本の世論だったとしても、それにしばられていたら、国として独自の外交戦略を持てないことは明白です」

どうやって交渉するのかという戦略がない日本政府はアメリカ頼みでやってきたが、アメリカが路線を変えたら打つ手がなくなってしまう。
「もしかしたら、家族の意向に逆らってでもやることが、問題の解決にとって必要な場合だってあるでしょう。家族は、やはり当事者ですから、ある意味で感情的、情緒的なアピールをするのは当然なのです。政府が、それと同じ水準ではいけません。
ところが、いまの政府のスタンスは、家族の言う通りにしているのだから、批判してもらっては困るという程度のように感じます」

政府が拉致被害者の顔色ばかり伺っているという批判を蓮池透氏マスコミにも向けている。
「被害者を気にしすぎるという点では、マスコミも同じでしょう。被害者家族が怒るようなことを報道したら、世論を敵に回してしまうので、タブーにしているような感じがします。つまり、被害者家族の言動は、サンクチュアリになってしまっているのです。
ある放送局も、結局は、家族の言っていることを、ただ延々とたれ流しするだけです」
「政府が家族の顔色をうかがうようになったからといって、何のポリシーもなく、「家族会」や、「救う会」がやっていることやその主張を、何の論評もなしに延々と流すというのは、言論機関としてはどうなのでしょうか」

この「被害者の聖域化」という問題は、拉致被害者だけでなく、犯罪被害者全般についても言えることだと思う。
被害者遺族が涙ながらに死刑を求めたなら、それには何も言えない。
ところが、それに乗っかって「被害者の気持ちを考えたら厳罰は当然だ」という意見が出てくる。
しかし、被害者感情に基づく施策が本当に犯罪を減らし、再犯を防ぐことにつながるかどうかをきちんと検証すべきである。
ところが、感情論で法律が改正され(たとえば少年法改正とか、刑事裁判被害者参加制度など)、厳罰化が進んでいる。

毎日新聞の「記者の目」に世論(せろん)と輿論(よろん)は違うとあった。
「「世論<せろん>」は「戦時中、『世論に惑わず』などと流言飛語か俗論のような言葉として」使われていた。これに対して「輿論」は「『輿論に基づく民主政治』など建設的なニュアンスがあった」という。建設的で責任を伴う「輿論」を集約するはずの世論調査だが、最近は俗論や無責任な「世論<せろん>」を誘導しているのでは、との指摘を受けるようになった」
「被害者の聖域化」は輿論ではなく世論(せろん)だと思う。

そして、蓮池透氏はこう言う。
「これまで日本の世論は、拉致問題に怒りを感じて、北朝鮮に対する憎しみの気持ちから、「制裁せよ」とか、極端な場合には「打倒しろ」と言ってきました。それによって、私に言わせれば、偏狭なナショナリズムのような雰囲気が日本社会に醸成されていきます。
一方、北朝鮮の側は、過去、植民地支配している間に、日本も何万、何十万の朝鮮人を拉致したではないかと思っています」
「そういう感情を持っている彼らに対して、日本側がただ怒りをぶつける。彼らがそれに応酬する。結局、この間の日朝関係というのは、「お前が悪い」「いや、悪いのはお前だ」として、憎しみを増幅させていただけではないでしょうか」

日本人の拉致と朝鮮人の強制連行を並べて発言したら、反日だとか、北朝鮮から金をもらっているんだとかボロクソに言われそうである。

しかし蓮池透氏は、父親がソ連に抑留され、そのあと平壌の病院で死んだという人が、「国交が正常化されたら、私は、その病院に行ってみたいと思っているのです」と語るのを聞いて、逆に朝鮮人が日本で亡くなって遺骨が日本に残されたままというケースもあると考える。
こういう複眼的思考というか、いろんな視点から物事を見ることが大切だと思う。

で、話は飛ぶようだが、石原慎太郎都知事がオリンピックを東京に招致するためにIOC会長に宛てた書簡に、次のような文章があると『拉致』に引用してある。
「私の祖国日本は、第二次大戦の後、自ら招いた戦争への反省のもと、戦争放棄をうたった憲法を採択し、世界の中で唯一、今日までいかなる大きな惨禍にまきこまれることなく過ごしてきました」
そして、2月13日の記者会見では「憲法の効果もあって平和でこられたのは歴史の事実としてたいしたもの」と語っている。
私は石原都知事を誤解していたのかもしれない。
それとも石原都知事はカメレオン的思考の持ち主なのだろうか。
コメント
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