幸せの探求

2008年にエホバの証人から抜け出た元2世です。思っていること、感じたことをなるべく素直に書いていきたいと思います。

読みやすい文章を書く重要性

2011-02-13 15:49:00 | 小雑記
読みやすい文章を書くことは大切だ。よくわかっていることだが、なぜだろう。

一つには、そのほうが読む相手にしっかりと理解してもらえるからだ。
もう一つには、自分の文章を読みやすいものにに練っていく段階で、自分の論理の整合性を確かめられるからである。きっちりとした筋の通った部分は文章もわかりやすい。反対に自分で整理しきれていなかったり、無意識に不安を感じている部分は文章も乱れがちになるものだ。自分の書いた文章を客観的に読んでみることで、自分自身の言いたいことがどこまで煮詰まっているか、見直す機会になる。

年下の高校生たちを教えていて、また大学の教科書が意味不明なことに苦しんでいて、ふとそんなことを考えた。

銭湯の可能性

2011-02-01 22:22:44 | 小雑記
私は毎日銭湯に行く。清潔さと気分転換のためだ。そのおかげで毎月1万円少しは風呂代に消えることになるが、必要経費だと思っている。
一人暮らしを始めてから一年ほどは、毎日行ったりはしなかった。お金がもったいないと節約のつもりで、2日に1回くらいにしていた。
するとしばらくして体調を崩した。生まれてからずっと毎日風呂に入っていた日本人は、とびとびの風呂ではやはり駄目なのだ。

それに懲りて以来、ほぼ毎日欠かさずに通うようにしている。体調はとても良くなった。

銭湯は斜陽産業と言われることがある。多くの家庭に内風呂が付いた今では必要ない商売だとみなされるのも無理はない。
しかし私は銭湯に可能性を感じる。風呂好きの日本人にとって、ゆったりと大きな風呂に入れる魅力は消えないからだ。

現状の多くの銭湯には改善の余地がある。いくつか挙げると
・湯船の温度
熱すぎるものが多い。平均体感42、3度くらいあるのではと思う。今の日本は高齢社会で、高齢者は特に熱い風呂に入るのは危険が伴う。好みがあるので何とも言えないが、熱い湯船とぬるめの湯船を(ほかの仕様は揃えて)2つ並べるスーパー銭湯方式は賢い。
・シャワーの温度
市井の銭湯はシャワーの温度調整が基本的にできないので、稀にとても熱くなる。温度調整ができるだけでもかなり快適さは増すと思う。
・営業時間
夜遅くと早朝に可能性がありそうだ。現状では朝午後4時前後から12時前後の営業が多いが、夜型化している現代人はもっと遅い時間に風呂に入りたいと思っている人が多そうだし、その先には朝6時7時当たりの需要も眠っていると思われる。(「朝早くに開けてほしい」と言っている友達が実際にいた)

もっとほかにもありそうだ。

今は学生だが、もし出来るものなら新しく銭湯を作ってもいいかなと、割と本気で思っている。「あんたバカァ!?」といわれるかもしれないが、絶対に可能性はある。世間の言ってることなんて、全然当てにならないんだからさ。

全てのことは起こりうる

2011-01-31 23:59:48 | 小雑記
どんなことだって起こる可能性はある。
今こうして生きていること、食物を手に入れられること、生活を営めること…当然の出来事はひとつもない。これらは、いつどこで崩れても全くおかしくない。
だから、全ての可能性に対して覚悟をしておいたほうがいい。明日死ぬかもしれないと心に留めておいていいくらいだ。
明日が大げさだとしても、10年後ぐらいには、自分の寿命が尽きている可能性は大いにある。
それは必然の事実。

しかし、人生を悲観するわけではない。むしろ、人生で必ず起こることへの準備をしているという点で前向きな考え方だと思う。
「すべてのことは起こりうるのだ」と心に留めていれば、実際に悲しい事が起こったときに、悲しみを乗り越えられる可能性を持てる。
事実を受け入れる準備をしているのとしていないのとでは、すこしづつその後が違ってくる。

自分も実際に多くの出来事に遭遇した。悲しいことも、嬉しいこともどちらもあって、多くは自分の意志を超えていた。
これからも、予期しえないことは起こるだろう。悲しいことにもたくさん出会うだろう。
その覚悟をしておきたい。

いつかの自分へ

2011-01-19 23:40:09 | 幸せの探求
親は自分の子供に輝いてほしいと願い、そのためにいろいろと力を尽くす。勉強をさせる、習い事をさせる等々。時には自分の果たせなかった夢を子供に投影しようとし、時には自分の考える「幸せ」の形を子供に最大限つかんでほしいと願う。それは子供が幼少期から中学生あたりまでは、ある程度の努力を積めば堅実に積み上がっているように見える。

しかし、大体高校生前後を境に、「親の願う子供の形」と「子供の願う自らの形」は微妙にずれていく場合が多い。子供は次第に自我に目覚め、自らの望む姿を模索しようとする。
親の望むような進歩を順調に遂げることは決して多くない。

このとき親がすべきことは、今までどおりに自らの理想像を求めることでは、ない。

それは、子供が「子供の願う自らの形」をしっかりと形にできるよう助けること、なのだと思う。親の考える幸せの姿とそれはぴったり一致はしない。恐らく微妙にずれるが、それは子供が「自分自身」を持ってくれたことの証であり、単純に純粋培養されたのではない強さがそこには芽生えうる。子供が長く悩み、時には立ち止まったりしながらつかんだ自分自身の形は、本人の大きな財産となる。

自らの望みを他人に投影させることは決してできない。たとえそれが子供であったとしても、である。親にとっての子供は、成長するにつれ切なさを増していく存在であること、それを覚悟しなければならない。

自らの望みは、自分にしか実現できない。

こんにちは

2010-04-19 23:00:49 | 日常
こんにちは。お久しぶりです。

このブログもたいして活用することなく、日時が過ぎています。JWやめるやめない言っていたのが遠い昔のようです。

過去に書いた記事を読み返すと、もう恥ずかしい記事ばかりですが、書いてしまった以上消すわけにもいかないですね。恥を忍んで置いておきます。

閑散としたブログですが、今後も年に数回更新する程度には残していくつもりですので、どうぞよろしくお願いします。どこかで火が付いたらまた書き始めるかもですが、その時はよろしくです。
オフにもしばらくは行かないでしょう。

では。

ポケモン

2009-12-02 00:53:25 | 日常
ひさびさの更新です。最近、ポケモンにはまっていました。最近発売された金銀リメイクのあれです。
証人をやっていた私が小学生時代にできたほぼ唯一のゲームがポケモンでした(テトリス等を除く)。そのせいか今でもこのゲームは好きです(HN見てもわかるとおり)。本質は殴り合いのゲームなのに、なぜか最終的には買ってもらえたのが不思議です(流行にだいぶ後れてではありましたが)

赤緑の第一世代しかやったことがなかったので金銀は原作をやらずにリメイクをやるというトリッキーなことをしています。やってみて思うのですが、このゲームはアイテムや技、グラフィック等とても完成度の高い、すごい作品ですね。子供向けといえないほどのやりこみ要素と深みがあります。

ちなみにラプラス、ピジョット、カイリュー、後の世代ではエーフィ、サーナイト等、端正な顔立ちのポケモンが私の好みです。

以下JWの話題・・・・・

最近はJW関連のことにかかわる機会はめっきり減りました。時々夢に集会場が出てきたり、実家に帰ったときに母親につつかれる程度です。最近の雑誌にさらっと目を通してみましたが、グラフィックがやたらと綺麗なのが多いですね。そしてものみの塔の研究記事は相変わらずの内容。あれで心から納得できる人たちがたくさんいるというのが不思議でしょうがないです。

証人を実質的に辞めた今精神的に最もつらいのは、幼いころに「世」の友達をあまり作れなかったことでしょうか。このときのトラウマが今でも心に刺さっています。まあ、これは自力で乗り越えていくべきところなのでしょう。自分に課せられた宿命と考え、ゆっくりがんばっていくことにします。

久しぶりに文章を書いたので支離滅裂ですね・・・ 乱文失礼します。

少しづつ、少しづつ

2009-04-27 18:53:59 | 幸せの探求
長らくブログを放置していました。ある意味、旅に出ていたとも言えます。

書きたいことがなかったわけではありません。
考えることは続けています。
生きていく上で本当に大事な事は何だろう。
どうやって生きていくべきなのか。
人間とは何か。
こうしたことは、エホバの証人を辞める・続けるで悩みだしたころからずっと頭から離れることはありませんでした。今でもそれは変わりません。
出来るだけ主観をなくし、心が澄んだ状態でこうしたことを考えることにしています。


半年、一年とこうしたことを考えるにつれ、少しづつわかってきたこと、あるいは自分の中で考えがまとまってきたことがいくつかあります。

…まず、私は神様はいると思います。聖書を全面的に支持するわけではありませんし、これからの人生でどこかの宗教に属するつもりもありませんが、存在している自体はほぼ確実であると思います。

そうでなければ、この宇宙や地球と、私たち生命の存在の説明がつかないからです。
美しすぎる生命の途方もないエネルギーを感じたり、人間という生命体の奥深さに少しづつ目が開かれるにつけても、何らかの知性の働きを感じないわけにはいきません。エホバの証人いかんにかかわらず、これは否定の出来ない事実であると思います。

…また、人生で絶対に外せないいくつかの要素も見えてきました。
まず、信頼を勝ち得ること。「信は万物の素なり」という言葉は、まさに金言だと思います。
そして、人間が、本質的に幸せを求める生命体であることを理解すること。この幸せは物質的なものというよりも、人と人の魂が通い合うときの本当の意味での深い安心感のことだと、自分では理解しています。
つまり、人間は一人では決して幸せになれないのです。
このブログに私は「幸せの探求」という題をつけました。そのときには上に書いたことを理解できていたわけではありませんが、かなり良い題を付けられたと今になって思います。一年前の私も、やはり心の一番奥で幸せを求めていたのだと思います。
それは、今も変わっていません。

エホバの証人を辞めた後、いろいろ苦しい状態が続いていました。立ち上がれないほど打ちのめされた気分になったこともあります。
毎日、自分の未熟さを痛感させられることばかりでした。エホバの証人を辞めて世間に出ることは、蛙が海に出ることだということを思い知らされました。
でも、泳げるようになるよう必死でがんばっているつもりです。壁にぶつかり、いたいいたいと泣きそうになりつつ毎日を生きています。
ほかの人を傷つけ、自分も傷つく毎日でした。
でも、最近は少しだけ落ち着いてきました。波はあるものの、何とか一日一日を過ごしていける日が増えてきました。
そして、少しづつ、前に進んできました。…おそらく。

これからも、私は旅を続けます。

更新が滞ってしまい・・・

2008-10-20 15:27:10 | 日常
まことに申し訳ないです。書きたいことはいっぱいあるのですが、下宿にパソコンがなく、大学から更新しないといけないので、中々記事に出来ません。あと、最近は前回の記事で書いた合唱サークルが忙しくなってきて、そちらに強烈に時間をとられているというのもあります。…て、定演が終わるまでは月一の更新がやっとだと思います。12月になったらまたいっぱい記事を書く予定なので、待っていてください。

でも多分、最近の私の生活自体がどんどんJWと無関係になってきているので、秋口のような記事は書かない気がします。今秋口の記事を見ると、今自分の書きたいことも半分近くは書いてあります。つまり、あそこらへんの問題は未解決ってことです。でも、心の中の暴風はとりあえず去って、一息つけそうです。

最近は、エホバの証人についても、割と距離を置いて、もっといえば醒めた見方をするようになってしまった気がします。やめる前後はエホバの証人の教えについてむちゃくちゃ悩みましたが、最近はもっと切実な実生活の方を心配するようになってきています。だって、エホバの証人社会のぬるま湯の中で、模範的2世を演じて、それで年上の兄弟姉妹にほめられるばっかりだった(書いていて恥ずかしいですが、事実です)自分が、シビアな実社会にはじめて出てきて、その空気を吸って、そしてその中でいきていくんですから。全部が1からの勉強といっても言い過ぎではありません(さすがにいいすぎか)。しんどいですが、がんばっとります。

ちなみに下宿費用は両親から出してもらってます。母親が不活発な私に下宿を許したのは「そちらの長老兄弟に研究させてもらいなさい。環境を変えなあかん。」とのことらしいです。でも、こちらに来てから集会には一度も行っていません。当分行きたくないです。お母さんごめんなさい。

ちなみに、集会に行くのをやめてからだんだん、本を読むようになりました。
これも、自分の中で変わったことのひとつです。
以前は、背教的な考えに触れたくないのと、エホバの出版物の活字にこりごりしていたので、あまり本は読みませんでした。
でも、証人を辞めて、いざそれに代わる新しい価値観を探そうとすると、自分の力だけでは到底見つけ出すことは出来ず、かくして今かなりの勢いで読書中です。

その中で、少し注目しているのがこれ。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
このお話は、ちょうどエホバの証人を辞めるかやめないかというときに、舞台で見たのが初めてでした。
そのときは、ちんぷんかんぷんでした。いろんな人が出てくるけど、全体的にワケワカラン、?マークの連続でした。
でも、証人の活動停止後しばらくして、この話が気になりだしました。あれだけ謎な物語、しかも作者は宮沢賢治、何か隠された意味があるに違いない。
そう思って、改めて本屋で立ち読みし、文庫も買って、読み直してみました。
やっぱり意味はよくわからなかったのですが、解説本を読むと
「この物語は宮沢賢治が『ほんとうの幸ひ』をもとめる物語である。電車内の登場人物はそれぞれ、自分の価値観・宗教観に照らした幸福の降車場に降りていくが、それらは皆違っている。そしてジョバンニ(主人公)は、改めて『ほんとうの幸ひ』とは何かについて考えをめぐらすのである」
というような解説が載っていました。そしてこの見解が、まるで私の心の池に小石を落としたかのように、静かな波紋をもって広がっていきました。なるほど、そういう話だったのか…すげぇ、昔の人たちも、今の自分と同じようなことを悩み、そして終に答えを見出せずに死んでいったのか。となると、自分の抱えている疑問はやはり当面は解決不可能ということなのだろうか、と妙に納得がいってしまいました。まるで宮沢賢治と心がつながったかのようでした。賢治よ、お前もか・・・

ある人たちはエホバの証人に所属することで、もしくはもっと広い意味でのキリスト教に、その人たちにとっての『ほんとうの幸ひ』を見出しています。私の母親もそうです。でもそうでない人たちもいます。その間の断崖は、まるで星と星の間のように時に離れているのかもしれません。

この作品をきっかけに宮沢賢治の作品をいくつか読んでみました。時にそれは聖書並みに難解で、アタマ痛くなりそうなときもあります。
でも、一人の人間として悩み、また鋭い感性を持った彼の作品は、口では言えない面白さがある、ような気もします。彼の思想の背景には日蓮宗やキリスト教もあるようで、ますます興味が募ります。

『ほんとうの幸ひ』って何だろう。それは賢治も求め、また僕も不器用ながらも求めようとしているもの。どこかに、それは、あるの、だろうか。


音楽~合唱との出会い、そしてサークル

2008-09-25 19:59:25 | 日常
今の趣味について書きたいとおもいます。

母は小学校に入る前から私にピアノを習わせてくれました。しかし、音楽というものに興味のなかった小学生時代の私は練習をまったくまじめにしませんでした。これには後々音楽に目覚めたあとで思いっきり後悔しましたが。ピアノには中二のときに目覚めて、そこから1年くらいはめっちゃ練習しましたが、高校受験で続けられなくなってやめました。

ところで、エホバの証人は普通、どんな音楽聴いてるんでしょう。僕はほぼ100%クラシックしか聞かない2世人でした。ただ、中学校時代に校内の合唱祭があり、そこで合唱に触れ、みんなでひとつの歌を作り上げる合唱がとっても好きになりました。それがきっかけで大学では合唱サークルに入り、歌を歌っています。合唱曲は一般にはほとんど知られていないのですが、大勢の人間でひとつの音楽を作り上げるのはとてもやりがいがあって、人間の勉強になります。

大学で部活動をやったことで、私は初めて正面から人間に向き合い始められた気がします。それまでは、エホバの証人じゃない人は「世の人」ということで、まともに触れ合うことすらほとんどなかったですから。小中高と毎日一緒に教室にいても、学校の同級生とエホバの証人としての自分の側面は話し合うことが出来ず、とってもさびしかったです。でも、大学に入り合唱をはじめたことで、少しずつ自分を解放していくことが出来、同時に人間的に揉まれることで自分を見つめなおすきっかけになりました。そうした部活の交流を通して自分を見たとき、エホバの証人として自分がかなり無理をして生きていることが次第にわかるようになり、それがエホバの証人から遠ざかる原因にもなったと感じています。

これからも合唱を続けて、いろんな音楽に触れて、歌いまくって、よい思い出をいっぱい作っていきたいです。

生い立ちⅢ~父

2008-09-15 15:44:25 | 生い立ち
父の話をあまりしていませんでした。
私の父は、一人っ子で、大学に行っていました。就職してその後母と結婚し、母がエホバの証人と聖書研究をはじめた後、しばらくたって母に引っ張られるように研究を始めました。
しかし、もともと哲学などの本に造詣が深い父はエホバの証人の信仰形態がまったく肌に合わなかったようで、程なくして研究中止し、逆に証人に激しい反対を加えるようになりました(これについては以前の記事で触れましたが)。母は、父の反対に耐えて、私たち子供を育てました。母曰く「自分の子供なら引っ張って集会につれてくることも出来たが、家の頭ではそれは出来なかった。それに、子供を守ることのほうが大切だと思った。」とのことでした。

やめた後父はどうなって行ったかというと、だんだん人相が悪くなっていき、性格も暴力的になっていきました。これは私と妹にとってエホバの証人を続けることの正しさを立証する実例のように思われました。ふらふらしている父と、対照的な(?)母を比較して母は「お父さんはエホバを捨てて何もいいことはなかった。」といっています。

証人内ではよくこのような話が語られます。

証人を辞めると人相が悪くなる。
辞めてよくなった人を見たことがない。

私は幸か不幸か、その実例を間近で見ることになってしまいました。研究を辞めた後の父はまさに転落していきました(精神的な意味で)。

それでも父は何とか身を持ち崩したりすることはせず、仕事も続け、一家を養っています。この点については私は父を尊敬しています。

どう考えたらいいのでしょうか。

父は、聖書に書いてあることを当てはめて、より柔和な態度を身につけていればおそらく、今のように疲労し、憔悴しきった顔にはならなかったでしょう。しかし、そのためにはエホバの証人の活動を続けなければなず、それは父の性格からして、無理でしょう。理詰めで考えようとする人に証人は向いていないのかも知れません。

また、「証人を続けている母との確執が父の性格に悪影響を及ぼした」という感じでもない気がします。父の性格はもともとのものであり、証人にまったくかかわらなくても、大きくは変わらなかった可能性が高いでしょう。

私は証人を全否定することは今のところ、出来ないように感じています。19年を過ごした組織や育てた母への恨みつらみも、基本的には一切ありません。その理由の一部は、「あまりにも頼りなかった(母談)」父に危機感を感じたことが母の証人入信のひとつのきっかけであり、その危機感から愛情をこめて私たちを育てていたこと、また証人を離れた後の父を私も見ていたことです。

今、父を見ていると非常に哀れに感じます。以前ならば、「強情張らずに組織に戻ってくればいいのに。そしたら明るくなれるのに」と思っていました。
今は、非常に複雑な気持ちです。もし証人を辞めたら、自分も顔が気づかないうちにキツくなっていくのだろうか。それはいやだ、明るく、さわやかでありたい…。証人を辞めても、その外で幸せを見つけたい…と、切に感じています。

そういえば、私の不活発化に対して、母は何とか私を集会に行かせようしています。母曰く「指一本でも組織に引っかかっていれば、そこから這い上がってくることは出来る。だから集会に行きなさい。」とのこと。そして「主と結ばれた親に従順であることは大原則だから守らないとだめ。」「強情を張っていても何もいいことはない。もっと”柔順”になって親に従いなさい」挙句の果てに「親にそのまま不従順な態度を示してばかりいると、お前の人生は大失敗する」とまで言われる始末です。その大失敗の実例も示してきます。集会に交わっていない二世などの話を引き合いに出して。母曰く、私はサタンにまんまとだまされてしまったようです。早く目を覚ませ。顔を合わせるたびに、この調子です。何を言っても、まあ、無駄です(愚痴)。

一方、妹はというと、一言母親にこういったそうです。

「おにいちゃんは、堕ちていけばいいよ。その様子を写真に取っとくから。」

妹は、私が父と同じコースをたどるものと思っているようです。彼女はたぶん証人を辞めることはこの先無いでしょう。