2月に麻生首相がロシアのメドヴェージェフ大統領とサハリンで会談し、記者会見でこう述べたという(アサヒ・コム記事の
ウェブ魚拓)。
「向こうが2島、こっちが4島では進展しない」
「政治家で決断する以外に方法はない」
この麻生発言をmig21さんがブログで強く支持し、エールを送っている(「
286.たとえ世間は叩けども-麻生流ウルトラCを評価する-」)。
mig21さんは、以前にも、記事「
146.北方領土問題-本当の悪役は誰か?-」で、米国の策略によりわが国は4島返還論に転じざるを得なくなり、日ソ関係は冷え込んだという趣旨のことを述べていた。
私はこの以前の記事に大いに疑問を覚えたので、コメントさせていただいた。またその際、mig21さんから丁寧な応答をいただいた。
mig21さんの見解はこのころと変わっていないようだし、私もまた同様だ。
mig21さんのブログの記事は読んでいて面白く、また興味深いものも多々あるのだが、北方領土関連の記事には同意できない点が多い。単に見解の相違というだけでなく、事実を歪めており誤解を招きやすいと思える。
私は、かなり昔のことだが、北方領土問題について少々調べたことがある。
以前mig21さんにコメントした際にはもう記憶がおぼろげだったので、自らまとまった記事が書けなかったが、今回のmig21さんの記事を機に以前のメモを引っ張り出し、またとりあえず手元にあったいくつかの本に当たってみて、とりあえず思うところを述べてみる。
mig21さんは今回の記事「286.たとえ世間は叩けども-麻生流ウルトラCを評価する-」で、次のように述べている。
既にロシア(当時のソビエト)側は50年以上前に妥協案を出しました。
1956年の日ソ共同宣言での一項『平和条約締結後の歯舞、色丹の2島返還』がそれです。
プーチン政権からの基本スタンスである2島返還は、この出来事に基づいています。
致命的なのは、これがロシア側の一方的通告でないことです。
日本自身が2島返還に同意のサインをしていたのです。
この決断は日本は苦渋の選択でしたが、ソビエトとしてもギリギリの選択でした。
ソビエト書記長フルシチョフ(当時)が食い下がる日本の外交団に『これ以上妥協することは到底できない。』と苦しい胸のうちを吐露したのはよく知られる話です。
そのため、ロシアとしては、一度両国で合意がされたのに、それを無視する日本の主張が理解できないのです。(実は、日本側の豹変に関してアメリカの横槍があったことが今ではよく知られています。以前これに関しては記事を記載しましたので、よろしければ下記のTB記事をご参照ください。)
日本側が同意した経緯がある以上、この日ソ共同宣言をベースに交渉を始めるのが自然です。
その「下記のTB記事」である「146.北方領土問題-本当の悪役は誰か?-」では、次のように述べている。
では、何故プーチンさんは、2島返還にこだわるのか?
答えは簡単です。
日本政府が1956年の日ソ共同宣言で『2島(歯舞諸島、色丹島)返還でエエですよ。』と言ったからです。
ところで、この交渉には、当時のアメリカの国務長官ダレスさんの発言が色濃い影を落としています。
ダレスさんは、『4島全部返せって言え!でないと沖縄を返還しない!』と横槍を入れたのです。
横槍の理由は、明白でした。
日ソが親密になるのを邪魔するためだったのです。
これは、当時東西の雪解けをねらったソビエトのフルシチョフ政権への警戒感のためです。
また、ダレスさんが強烈な反共主義者であったことも大いに関係しているでしょう。
結局、日本はアメリカの策略に乗せられてしまいました。
交渉はちぐはぐなものとなってしまい、2島返還条件の平和条約すらまとまらず、
単なる共同宣言となってしまったのでした。
そして、日ソ関係は、一気に冷え込み、アメリカの目論見どおりになったのでした。
2島返還で日ソは合意していた。
しかし、米国の横槍が入り、わが国は4島返還論に転じたため、領土問題は未解決となっている。
というのがmig21さんの主張である。
こういう主張をしているのは、mig21さんだけではない。
mig21さんの以前の記事よりさらに前のことだが、コメントをいただいたことのある
ペトロニウスさんという方のブログを読んで、田中宇が同様の主張をしていると知り、印象に残っていた。
ほかにも同様の主張をしている人はいるのだろう。
しかし、私の理解している日ソ国交正常化交渉の経過は、それとはやや異なる。
手元にあった、私が昔から愛用している戸川猪佐武『昭和の宰相 第5巻 岸信介と保守暗闘』(講談社文庫、1985)に交渉経過がそこそこ詳しく記述されていたので、もっぱら本書に拠って交渉経過を振り返ってみる。
1955年6~9月 ロンドンで日ソの第1次交渉。日本側全権は松本俊一・民主党衆院議員(元駐英大使)、ソ連側全権はマリク駐英大使。なお当時は鳩山一郎内閣だが、保守合同前で、民主党の単独政権だった。
わが国は、北方領土4島のみならず、ウルップ島以北の全千島列島と南樺太の返還をも要求。ソ連は、一切の返還に応じないとの立場。
交渉が続く中、マリクは、条件によっては歯舞、色丹を返還する用意があると譲歩。もともとソ連の譲歩に期待していなかった松本は、好機として重光葵外相に請訓したが、重光は強硬論に立ち、ウルップ島以北の全千島列島と南樺太については、わが国はサンフランシスコ平和条約で放棄したものの帰属は決定していないから、連合国の国際会議により決定すべき、また歯舞、色丹のみならず国後、択捉もわが国「固有の領土」であるから返還されるべきと主張するよう指示。交渉は決裂。
同年11月、自由党と民主党が合同し自民党成立。総裁は空席とし集団指導体制(翌年4月、鳩山一郎首相が初代総裁に)。
1956年1~3月、第2次ロンドン交渉。わが国の主張は上記の重光指示と変わらず。ソ連は、歯舞、色丹は平和条約発効時に譲渡するがその他の旧日本領についてはソ連に帰属すると主張し平行線。
同年4~5月、日ソ漁業交渉。河野一郎農相が訪ソしイシコフ漁業相らと会談。国交交渉については7月末日までに再開することで合意。
同年7~8月、重光外相が全権として訪ソし交渉(松本も同行。モスクワ交渉)。重光は従来の主張を繰り返すがソ連側が全く応じなかったため、国後、択捉要求は撤回するが国境を画定せずに実質ソ連領とするとの修正案を提示するがこれも拒否され、ソ連が主張する平和条約発効後に2島を譲渡するとの案で妥結したいと請訓(松本は妥結に反対)。しかし本国では鳩山首相、河野農相が世論や党内の納得を得られないとして妥結に反対し交渉中断を指示。
帰路、重光はロンドンでスエズ問題国際会議に出席、米国大使館のダレス国務長官を訪問し日ソ交渉の経過を説明。その際ダレスから、サンフランシスコ平和条約でも千島列島の帰属は決まっておらず、日本がソ連案を受諾するなら日本はソ連に対してサ条約以上のことを認めることになり、その場合は同条約第26条によって米国も沖縄の併合を主張しうる地位に立つと言われ、衝撃を受ける。
日ソ国交正常化を公約としていた鳩山首相は自ら訪ソして交渉に乗り出すことを決意。平和条約でなく共同宣言形式で国交正常化し、領土問題については国交正常化後も交渉を継続するようソ連側に打診し、同意を得る(
松本・グロムイコ書簡)。これを受けて同年10月鳩山首相、河野農相らが訪ソし、フルシチョフらと交渉。調印された日ソ共同宣言で、歯舞、色丹については平和条約発効時に引き渡すと明記されたものの、国後、択捉についての領土交渉の継続は明記されず、単に平和条約の交渉を継続するとされた。
同年12月、ソ連の反対がなくなったため、わが国は国連に加盟した。
さて、mig21さんが「たとえ世間は叩けども-麻生流ウルトラCを評価する-」で言う、
日本自身が2島返還に同意のサインをしていたのです。
とは、いつの時点での話なのだろうか。
mig21さんは、「北方領土問題-本当の悪役は誰か?-」では、
日本政府が1956年の日ソ共同宣言で『2島(歯舞諸島、色丹島)返還でエエですよ。』と言ったからです。
と述べているから、日ソ共同宣言を指すのかもしれない。
しかし、日ソ共同宣言の調印に当たって、わが国は、2島返還でいい、国後、択捉はあきらめると表明したわけではない。
わが国としては、国後、択捉については継続協議すると盛り込みたかった、しかしソ連がそれに応じなかったというだけにすぎない。
応じなかったからといって、継続協議できないわけではない。共同宣言には歯舞、色丹の引き渡しは明記されているが、その他の領土については触れられていないからだ。共同宣言に歯舞、色丹以外の領土問題は存在しないとでも明記されているなら話は別だが。
交渉の途中で日本側全権が2島返還でやむなしと考えたことはあったが、いずれも本国の反対により交渉は中断している。
日本側の2島返還への同意など、存在しない。
ダレスの横槍はあった。
だが、それだけでわが国が4島返還に転じたわけではない。
「固有の領土」論に基づく4島返還論を持ち出したのは、第1次ロンドン交渉の時点での重光外相や外務省である。
そして、第1次ロンドン交渉で松本が2島返還での妥結を図るも重光外相により拒否され、モスクワ交渉ではその重光が2島返還での妥結を図る(注)も鳩山首相により拒否されている。ダレスの横槍はその後のことである。
それを、全てがダレスの横槍に起因するかのように表現するのは、読者をだますものだろう。
mig21さんが、
そして、日本がとりあえずまず2島からと交渉を始めると、思い出したかの様に4島にしなさい!
決裂承知でこう言い出してきたのですから。
と述べているのも事実と異なる。
重光は、「とりあえずまず2島」などと考えていない。2島で最終的に完全に解決すると決意したのだ。平和条約の締結とはそういうことである。
mig21さんの言い分では、米国はまるで沖縄を人質にしてわが国から2島返還という選択肢を奪い、日ソが対立せざるを得ないように仕向けたかのようである。
しかし、人質と言うなら、当時まだ残存していた抑留者や、わが国の国連加盟、さらに漁業問題を人質にとっていたのがソ連である。
鳩山としては、領土問題を棚上げしてでも、それらの解決を優先したかったのだ。
そして、その米国は結局沖縄も小笠原も返還した。対するにソ連、ロシアはどうか。
mig21さんの「アメリカの方がよっぽど悪者」という感覚が私には理解できない。
また、mig21さんは、
日本側が同意した経緯がある以上、この日ソ共同宣言をベースに交渉を始めるのが自然です。
と言うが、わが国は従来から日ソ共同宣言をベースに交渉を始めるべきだと主張している。
1960年の日米安保改定により状況が変わったため、共同宣言は無効であるとし、その後長らく「領土問題は存在しない」と主張していたのはソ連の方である。
ソ連崩壊後、新生ロシアになってようやく共同宣言の有効性を認めるに至ったのだ。
ロシア通のはずのmig21さんが、そんなこともご存じないのだろうか。
ちなみに、わが国は何も4島の即時無条件返還を要求しているのではない。
外務省のサイトの「北方領土問題に関するQ&A」によると、
(Q1)北方領土問題に関する政府の基本的立場は、どのようなものですか?
(A1)我が国政府は、我が国固有の領土である北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)の帰属に関する問題を解決して平和条約を早期に締結するという一貫した方針を堅持しています。また、北方四島の我が国への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期、態様については柔軟に対応する考えです。
とある。
十分現実的な主張ではないかと思う。
mig21さんは、「286.たとえ世間は叩けども-麻生流ウルトラCを評価する-」では、歯舞諸島の一部である貝殻島にソ連側が上陸した際に米国は知らんぷりだったというエピソードを持ち出している。
しかし、ソ連が既に実効支配している地域にある無人島に、ソ連人が上陸したことが、日米安保発動の要因になるのだろうか。
だったら、米国は「固有の領土」論を支持するのだから、ソ連が4島を占拠していることをもって、日米安保を発動させなければならないことになる。しかし、それが非現実的であることは言うまでもあるまい。
貝殻島への上陸を何故ことさら問題視しなければならないのか、不可解である。
mig21さんは、
確かにロシアは紳士的な国でないときがあります。
強引に経営権を奪ったサハリン2事件の様に油断できない部分があります。
しかし、それはアメリカ相手でも中国相手でも同じこと。
あるいは政治が絡まないビジネスの世界でも似たようなものです。
結局利益を取り合うという行為は、こういうものなのです。
と述べている。
私もそのように思う。
しかし、なるべくなら、紳士的でない要素が少ない国と、深くつきあいたいものだ。
もう一点、mig21さんは「286.たとえ世間は叩けども-麻生流ウルトラCを評価する-」のコメント欄で、
領土問題をズルズル引き伸ばすのは、利権がらみも大きいと聞きます。イベントの運営費や広報誌の印刷費用、さらに北方領土担当相なんてものもありましたから、それに連なる官僚利権もあるはずです。
と述べている。
たしかに、それを利権というならば、利権はあるだろう。
しかし、そんなことを言い出せば、あらゆる政策に利権があると言えるのではないだろうか。
そして、ちょっと考えてみればわかると思うが、2島返還、あるいは2島プラスアルファなら、利権は存在しないのだろうか。それによって新たな利権が発生するのではないか。
だから、利権云々といった批判は、あまり意味のないものだと思う。
では、そう言う深沢には、どういう解決策があるのかと問われるかもしれない。
60年たって何の成果もないのに、それでも4島返還に固執するのかと。
私は、「146.北方領土問題-本当の悪役は誰か?-」のコメント欄でも述べたように、4島一括返還に必ずしも固執するわけではなく、残り2島の継続協議を明記するなら、2島先行返還でもやむを得ないという立場だ。
しかし、2島返還をもって最終的解決とすることには賛成できない。
私には、元島民や、漁業関係者の知り合いはいない。
だから、彼らの生の声がどのようなものなのか、わからない。
しかし、平和条約締結によるメリットがどれほどあるのかもまたわからない。
mig21さんは言う。
関係を築くことで得るメリットに思いを馳せるべきでしょう。
資源が豊富で国民の教養も高く、広大な国土を持つロシアとの関係強化は大いにメリットがあります。
既に民間企業はその関係強化を進めています。
今やロシアは輸出大国日本の大得意。
ここ数年での日本からの輸出額は10倍以上になっています。
昨今の世界的不況でしばらくは一息つきそうですが、この流れは今後も止まらないはずです。
加えてあまり知られていませんが、日本に対するロシアの感情は非常によいのです。
武道、食事、文学などの日本文化熱はもはやブームでない普遍的なものになりました。
さらにゲームや漫画などニューカルチャーも若者中心に高い支持を集めています。
大学では日本史や日本文学を研究する講座が急増し、Webサイトでは日本文化を学ぶような愛好者サイトの交流も盛んです。
日本を訪れるロシア人も増え、秋葉原などの電化製品免税店ではロシア語の看板も見られるほどです。
私はよく知らないのだが、現状で既にそれほど関係が深まっているのか。
ならば、固有の領土を諦めてまで、さらに得られるメリットとはどのようなものなのか。
平和条約の締結により、漁船の銃撃や拿捕がなくなるのだろうか。それはまた、別の次元の問題ではないだろうか。
mig21さんは、ロシアの対日感情は非常に良いと言うが、わが国の対露感情は悪い。その原因の多くはロシアのソ連時代のふるまいによるものだが、現ロシアがそれを改めないのであれば、その感情は引き継がれていくことになるだろう。
領土の不当な奪取をわが国が容認することで、対露感情が好転するとはとても思えない。
以前、「146.北方領土問題-本当の悪役は誰か?-」のコメント欄で、mig21さんからこう言われた。
深沢さんのご意見は正論だと思いますが、世の中、特に外国は、日本の正論などまったく気にしていないと思います。外国に行くとよくわかりますが、日本人の『筋論・正論』などは歯牙にもかけない人が多いです。その意味では、日本はもう少し妥協をしたり、狡猾になることも大事ではないでしょうか?いくら正論を叫んでも結局北方領土の『ほ』の字も戻らない現実が厳然とあるのですから。
それは、おっしゃるとおりだと思う。
私も、外交では、目的に応じて、妥協したり、狡猾になる必要はあると思う。
しかし、北方領土問題で、スジ論から後退すべき理由が、私には見当たらないのだ。
それなりの理由があるのなら、妥協もやむを得まい。
しかし、例えばmig21さんが「2島プラスアルファ」の例として呈示する、
2島返還で我慢するから、天然ガスを(国際価格より激安の)ベラルーシ並みの価格で売って欲しい。
2島返還で我慢するから、ロシアが計画する原発や高速鉄道の受注を日本の企業優先にして欲しい。
2島返還で我慢するから、欧州向けの貨物鉄道を日本のために安値で増便して欲しい。
これらが国後、択捉を諦める代償としてふさわしいとは、私には到底思えない。
mig21さんなら、「銀河鉄道999」の「かじられ星」のエピソードはご存知だろう。
国土の侵食に無頓着だったかじられ星は、やがてかじられつくされてしまった。
現在のわが国が「かじられ星」だと言うのではない。
また、先に述べたように、それ相応の理由があれば、妥協も必要だろう。
しかし、それ相応の理由がないのなら、100年でも200年でも、「正論」を主張し続けてもいいのではないかと私は思う。
将来、どんなチャンスがやってこないとも限らないのだから。
(注 この重光の豹変ぶりを意外とする声は多いという。戸川は、重光は次期自民党総裁(すなわち首相)を志して、日ソ交渉の妥結に政治生命を賭けたとしている)
(補足記事
「2島」は4島の半分ではない)