トラッシュボックス

本やニュースの感想を中心に日々の思いを綴るブログ。

『風雲児たち』の小笠原諸島とペリーのエピソードについて

2012-02-14 00:03:19 | マンガ・アニメ・特撮
 みなもと太郎著『風雲児たち』という、もう30年以上も描き続けられている歴史マンガがある。

 潮出版社の月刊マンガ誌『少年ワールド』とその後身『コミックトム』に連載。幕末群雄伝を描くはずが、幕末に直結するエピソードとして関ヶ原の戦いから始まり、蘭学事始、田沼意次、大黒屋光太夫、シーボルトなどの魅力的なエピソードを経て、ようやく幕末が近づいたころに掲載誌が休刊。『コミックトムプラス』として復活した際に坂本龍馬を主人公に据え『雲竜奔馬』と改題してスタートしたがこれも2年ほどで休刊。リイド社の時代劇コミック専門誌『コミック乱』に舞台を移し『風雲児たち 幕末編』として連載を再開し、今日に至る。

 歴史好きの方には是非一読をお薦めする。

 その『雲竜奔馬』及び『風雲児たち 幕末編』の次のエピソードがだいぶ前から気になっていた。
 今、本が手元にないので、正確な引用ではないが――

 日本の開国を迫るペリーは、交渉の中で小笠原諸島が米国領であると主張する。当時米国人による開拓が進められていたからだ。幕府は小笠原諸島を自国領と認識していたが、無人島として放置していた。幕府は国内に残る文書を領有の根拠として示すが、ペリーは、こんなものは昨日作ることも可能であり根拠とはならない、小笠原諸島が日本領だと示す国際的に通用する文書を出せと要求。幕府は苦慮するが、70年ほど前に林子平が著した『三国通覧図説』のフランス語版に小笠原諸島についての記述があることを発見し、ペリーに呈示。ペリーは主張を撤回した。
 実は、ペリーはこの『三国通覧図説』の存在を知っていた。小笠原諸島には英国人も入植しており、英国も自国領だと主張していたが、ペリーはこれを根拠に英国に主張を取り下げさせた。その上で、幕府が『三国通覧図説』海外版の存在を知らなければ小笠原諸島を米国領としようと画策していたのだ。

――といった話だったと思う。

 林子平は『三国通覧図説』の後の著作『海国兵談』で松平定信に弾圧された。しかし『三国通覧図説』は蘭方医桂川甫周によって国外に持ち出され、大黒屋光太夫とともにロシアに漂流しその地に骨を埋めた船員新蔵によって露訳され、ヨーロッパに流布した。
 幕府が弾圧した著述家や冷遇した蘭方医、無名の船員がわが国の国土を救ったのだ、というストーリーになっている(彼らはいずれも『風雲児たち』の主要人物)。

 連載中、『三国通覧図説』が登場してからこのペリーのエピソードに至るまで十数年が経過しているはずである。実に壮大な伏線の張り方だと私は当時感心した。

 ところが、その後幕末関係の本を読んでも、こんなエピソードは出てこない。
 田中弘之『幕末の小笠原』(中公新書、1997)にもない。
 東京都小笠原村の公式ホームページにもない。

 ペリーが『三国通覧図説』の存在を知りつつ、それを伏せて米国領だと主張したのなら、それは背信行為である。
 マンガでは、
米国側「ま バレたらしゃーないということで」
日本側「油断できんなあ〜」
といったオチ(字句は不正確)でこの話は締められているが、そんな簡単な話ではないだろう。
 ペリーが開国を要求するとともに白旗を渡していたというエピソードは「つくる会」の活動などにより近年広く知られるようになったが、それ以上に問題視しなければならないエピソードではないだろうか。

 それが、他の幕末関係の書籍などには見当たらない。

 これは史実ではないのではないだろうか。

 そう疑問に思って、5年ほど前に『風雲児たち』のファンサイト「「風雲児たち」長屋」のゲストブックに投稿してみたが、有益な情報を得ることはできなかった(過去ログがまだ残っていれば、2006年9月に投稿とレスがあるはず)。
 ああしたファンサイトに集まる人々は、その作品を楽しむことが主目的であり、作品中のエピソードが史実かどうかいったことにはあまり関心がないらしい。

 その後もこの点がずっと気になっていたが、やはりわからないままだった。
 数か月前、このブログで呼びかけてみようとふと思い立った。
 その前に、私の以前の投稿を確認しようと、「風雲児たち」長屋のゲストブックを再度訪れてみた。

 すると、こんなやりとりが掲載されており、興味深く読んだ。

■ ■ はじめまして
えねす

はじめまして、えねすと申します。
みなもと先生の『風雲児たち』に小学生のころ出会い、それから10年以上経った今でも愛読させて頂いてます。

こんな所でお聞きして良い話なのか分からない……のですが。
幕末編にてペリーが小笠原諸島の領有権を主張したという描写。
ここを読んだ際林子平の快挙を絶賛したものですが、つい最近ネットでwikipediaの『三国通覧図説』の項目を見た際に少々『?』マークが浮かんでしまったのです。

そこには「ペリーが日本での幕府との交渉で小笠原諸島を要求した事実はなく、日本にもアメリカにもそういった記録はない」とありました。
この記事の出典先を見ると「林子平の伝記などに出てくるこの話は『河北新報』に載った新聞小説が元ネタであり、アメリカ・日本両国の記録には書いていない」と。

何ぃぃぃぃ!と叫んでしまいました……。
ぶっちゃけ自分は風雲児たちに載ってた展開をすっごく信じたいのですが、どうなんでしょう……?
全てにおいて自分が閲覧したのはあくまでもネット情報ですし、あまり信じていないのも事実なのですが、wikipediaの出典先が現在の領土問題を扱う島根県の公式?ページだったので信ぴょう性は高いかも……。


とても暑い気候が続いておりますが、そんな中〆切修羅場とか……。
お体に気をつけてください。では失礼いたします。

... 2011/08/14(Sun) 9:23:10 [2877]


--------------------------------------------------------------------------------
■ ■ Re:はじめまして
渡辺活火山

はじめまして、ようこそ。管理人の渡辺活火山です。

風雲児たちの記述と史実が違う、と言うことはここに限らず2chなどでも取り出されています。
たとえば龍馬についても、幕末の重要人物とする見方と単なる使い走りだった、とする見方もあります。

有名な場面、大政奉還後の政府案を西郷に提出した提案書に龍馬自身の名を書かなかったため、それを見た西郷が「土佐から出るべきおはんの名が無いが?」と言われ、「役人になるのはすかん」と言い、「じゃあ、なにをする?」と言われ、「世界の海援隊でもしますかのう」と答えた、と言います。(これは同席した陸奥の回想とされてます)
このシーン自体の根拠である政府案には、実は龍馬の名前が書かれていた、と言う説もあり、そうなるとこの場面自体が存在しないことになります。

学問としての歴史なら、残された資料のみを頼りにして組み立てなければなりませんが、読み物としての歴史なら、資料に無いことや枝葉を加えて読者が読みやすい構成するのが普通でしょう。

風雲児たちは歴史のおもしろさを感じるには最適の読み物です。そのあたりの小説や某大河ドラマなど足下にも及びません。
登場する人物も歴史の授業では考えられないほど生き生き感じられ心と頭に入ってきます。

この漫画で歴史のおもしろさを感じて、歴史を学ぶ足がかりになればいいと思います。
史実との相違は読者それぞれが調べて納得すれば良いことでしょう。
風雲児たちは歴史の学術書ではありませんから。

今後とも、風雲児たちとみなもと先生、それとこの長屋をよろしくご贔屓下さいませ。


... 2011/08/15(Mon) 9:59:21 [2878]


--------------------------------------------------------------------------------
■ ■ Re:はじめまして
えねす

わざわざ管理人様のご返信を頂き恐悦至極な次第……ありがとうございます!

2chなどで取り沙汰されているというのは初めて聞きました。
その内見に行くべきなのかな……?

確かに、歴史大河漫画という風雲児たちにはエンターテイメント性が強く必要でありそれを多く導入されている事は分かりますね……。
どうにも、幼少のころから読み続けてきたせいか風雲児たちの内容を信じすぎてしまっているという事なのか。
一応柔軟に信じるべきという事は分かっていたつもりなのですが……。反省。

どこが史実でどこがエンターテイメントなのか。
そこらへんを探すのは難しいかもですが、やってみます。
ありがとうございますっ!

... 2011/08/15(Mon) 12:48:31 [2879]


--------------------------------------------------------------------------------
■ ■ Re:はじめまして
べっきぃ

 活火山様のあとで蛇足ですが。
 みなもと先生は歴史家ではありません。あくまでも漫画家・娯楽を提供する職業です。そして『風雲児たち』は歴史書・ノンフィクションではなくあくまでもフィクションであり娯楽作品です。

 たとえば最新刊のクライマックス。松蔭死刑と弟子たちによる葬式。その日に桂と蔵六がであった、というのも事実の可能性はうすいと思っています。というのも客観的な証拠がないからです。見ていたのはせいぜい伊藤たち松蔭チルドレン。結局長州では無名の医者に過ぎない蔵六を長州軍の軍師にするために桂が創りチルドレンたちで口裏を合わせて創った伝説ではないか?と思っております。
 でも、今回の二人の出会いのシーンを読んで私は純粋に楽しみました。そのほうが面白いからです。

 あくまでも風雲児の価値は「歴史は一人でできるものではなく何千何万の人間の何百年にわたるぶつかり合いの末うまれていく」という歴史の醍醐味そのものを漫画で描き、それに成功している稀有な作品、という視点からで『風雲児たち』を楽しむべきではないでしょうか?

... 2011/08/28(Sun) 17:11:45 [2880]


--------------------------------------------------------------------------------


 早速ウィキペディアの「三国通覧図説」の項目を見て、そこからリンクされている島根県の「Web竹島問題研究所」の記述を確認してみた。

【質問4】
   日本は1905年の島根県告示が独島(竹島)が日本の領土だという証拠と主張している。しかし、19世紀に日本がアメリカとの小笠原群島問題の際に提出した地図には独島(竹島)が韓国の領土だと明示されている。これについて説明を願いたい。

【回答】
   ご意見ありがとうございます。韓国で質問にあるような見解が発表されたので、改めて事実関係を調べてみましたが、19世紀に日米間で小笠原諸島の領有権を争った事実そのものが存在しないことを確認しました。伝えられるところによれば、韓国での議論は、(A)アメリカのペリー提督が日本に開国を求めて来航した際、小笠原諸島の帰属が問題となり、日本は、林子平の三国通覧図説を示してアメリカ側の主張に反駁したというものです。さらに、(B)三国通覧図説の絵図では竹島が朝鮮領となっているので、それをアメリカとの外交交渉に用いた以上、三国通覧図説の絵図は日本政府が公的に認めたことになる、という議論だと承知しています。

   (A)の話は、林子平の各種の伝記に登場するエピソードでありながら小笠原諸島の領有の経緯を扱った学術文献には全く出てこないことに疑問を持ち、この話の来歴を辿った人がいます。その方の研究によれば、『河北新報』に掲載された林子平を題材とする新聞小説が元ネタだそうです(若松正志「小笠原諸島の領有と林子平恩人説の展開」『日本史研究』536, 2007.4, p.103)。この新聞小説の連載第44回(1924年11月16日)には、次のような話が載っています。「...ペルリが来航した時、先づ小笠原島に入りピールアイランド殖民政府といふものを置き、自国の領地だと称して日本政府にその確認を求めた。...幕府では頗る窮迫したが、偶仙台の林子平が天明中に著述した三国通覧図説に小笠原島の地図と説明が乗せてあり、これを独逸で翻訳公刊したものがあると聞き、辛うじてそれを求めてペルリに提示した...」。ペリーの記録は、1856年に米国上院文書(33d Cong. 2d Sess. Ex. Doc. No.79)として議会に提出されその後単行本として版を重ねた『ペリー艦隊日本遠征記』を始めとして、同じく上院に海軍長官が提出した報告書(33d Cong. 2d Sess. Ex. Doc. No.34)、ペリーの秘書官R・ピノーの日誌、同じく中国語通事S.W.ウィリアムズの日誌などがあります。これらには、上記のような話が出ていないばかりか、ペリーは小笠原寄港後香港に赴き、そこで英国政府の代表に対し、三国通覧図説(クラップロートによる訳本)を引用してボニン諸島という名称が日本に由来するものであることを説き、英国の「発見」に基づく領有主張を退けています。1853年12月つまり「日米和親条約」締結交渉が行われる前年のことです。無論、ペリーが日本での幕府との交渉で小笠原を要求したとか幕府が林子平を引き合いに出して反駁したというような記録は、日本側にもありません(『大日本古文書』など)。

   (B)の三国通覧図説の絵図で竹島が朝鮮領となっているかを検討するまでもなく、そもそも(A)の話は新聞小説に端を発した俗説であって、史実ではないのです。 (事務局:総務課)


 なるほど!

 若松論文は未読だが、県のホームページがこう述べているからには、どうもこれが結論と見てよさそうだ。

 検索してみると、竹島問題絡みで、既にある程度は知られている話のようだが、長年連載されている『風雲児たち』の読者に広く浸透しているとは思えないので、ここで紹介する次第。


(以下2011.2.18付記)
 記事中、ファンサイトの名称を「風雲児たち広場」と誤記しておりました。
 正しくは、サイト名は「「風雲児たち」長屋」で、ゲストブックの名称が「風雲児たち広場」です。訂正しました。

コメント (0) |  トラックバック (0) |