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日々の思いをたまに綴るブログ。

交雑オオサンショウウオの運命やいかに

2012-10-31 00:34:33 | 生物・生態系・自然・環境
 来たよ殺処分。

 27日朝日新聞夕刊1面左端の記事。

サンショウウオ 行き場なし
鴨川で交雑種急増 処分悩む京都市

 京都市下京区の京都水族館の展示プールに、鴨川から連れてきたオオサンショウウオ36匹がひしめくように展示されている。いずれも交雑種や外来種で、国の特別天然記念物に指定される日本固有種の保護調査のため捕獲したものの行き場のない「やっかいもの」たちだ。奥の水槽にもプールに入りきらない22匹がおり、さらに別の施設にも160匹が暮らす。貴重な生物なので安易に殺すこともままならず、市は多額の餌代を負担しながら頭を悩ませている。

 鴨川で急増する中国産と日本固有種の交雑調査に取り組む京都市が捕獲した。昨年度は125匹を捕獲。固有種は23匹で96匹が交雑種、6匹が外来種だったという。

 日本固有種が激減し、中国産との交雑が急速に進んでいることが判明したのは京都大の松井正文教授(動物系統分類学)らの調査がきっかけだった。1970年代にペットや食用で持ち込まれ、野生化したとみられる。

 市は2011年から6年かけて調査捕獲をする計画だが、捕獲した交雑種は増える一方。固有種が絶滅する可能性があるので川に戻すことはできないが、貴重な生物なので安易に殺すこともできない。

 京都市水族館に譲渡したものの、「水槽はもういっぱい」。「日本ハンザキ研究所」(兵庫県朝来市)にも160匹の一時保管を委託。だが餌代などで月に10万円程度かかり「100年以上生きるとも言われる生き物。いずれ管理しきれなくなる」(同研究所)。

 松井教授は「標本にしたり殺処分したりすることも考えなければならないだろう」との意見だが、市は「殺処分には市民の理解が必要」。対策検討会の議論を市のホームページで公開し、反応を見ているという。(合田禄)


 この問題は、これまでにも何度かこのブログで取り上げてきた。

オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(5)

オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(4) 等)

 これまでの新聞報道では、交雑によりわが国固有種の遺伝子が保たれないから、外来種や交雑種を捕獲する必要があると言うのみで、捕獲した後どうするのかという視点を欠いていた(無視していた?)ように思う。
 しかし、実際に捕獲を始めたらこうなることは、私も以前少し書いたように、ちょっと考えればすぐわかることだろう。
 さて、どうするんでしょうね。

 研究者にとっては、おそらく遺伝子汚染というのは大問題なのだろう。
 しかし、大半の人間にとっても、当の生物にとっても(固有種、外来種、交雑種を問わず)どうでもいいことではないだろうか。

 京都市のホームページを見てみた。
 これかな?

「第2回外来種チュウゴクオオサンショウウオ対策検討会」議事録要旨

開催日時

平成24年2月16日(木曜日)10:00~12:00

開催場所

京都市勧業館みやこめっせ 第1会議室

1 調査結果について

 ○調査は1月及び2月も続いており,今年度の最終結果ではない。

 ○鴨川水系では,16箇所で調査を行い,84頭を捕獲した。内訳は,在来種3頭(3.6%),交雑種78頭(92.8%),外来種3頭(3.6%)であった。

 ○桂川水系の最上流域である上桂川(左京区花脊付近)では,4箇所で調査を行い,13頭を捕獲した。内訳は,在来種1頭(7.7%),交雑種12頭(92.3%),外来種0頭(0%)であった。

 ○桂川水系の清滝川では,1箇所で調査を行い,9頭を捕獲した。全て在来種

 ○桂川水系の久我橋下流では,1箇所で調査を行い,10頭を捕獲した。全て在来種

 ○問題は,鴨川水系以外,しかも桂川水系の最上流域で多数の交雑種が発見されたことである。

 ○捕獲された個体の年齢は,わかるもので20歳くらいのものが多い。


 対策検討会の名称には「外来種チュウゴクオオサンショウウオ」とあるが、割合から言って問題となっているのは、外来種ではなく交雑種のはずである。
 新聞報道にあるように、外来種が1970年代に持ち込まれ野生化したものなら、外来種のみで交配を繰り返す割合は減っていくから、いずれは純粋な外来種は死に絶える。しかし、固有種との交雑種が生まれたなら、交雑種と交雑種の子孫もまた交雑種だろうから、交雑種の血統が延々と続くことになる。それこそが問題であるはずだ。
 なのに、ここで「外来種」の語が用いられていることには、意図的なものを感じる。

 「2 捕獲個体の取扱い」という項目には、次のような意見がある。

 ○一時保管場所を探し続けているが,保護に適当な場所の確保が難しく,このまま捕獲し続けると,いずれ限界が来る。利活用を含めた取扱いを考えなければならない。

 ○交雑種を含めた外来種は国内希少種の取扱対象になっておらず,殺処分をすることは可能であるが,剥製等で譲り渡す場合は,個々に手続が必要となる。焼却等の処分であれば規制はなく問題ない。

 ○殺処分することはやむをえないが,情報公開を進めること,生物多様性を守るために外来種問題を市民に認識してもらう必要がある。殺処分するにしても苦しまない方法を考えなければならない。焼却するのは一つの方法であるが,大学,博物館等の管理体制の整ったところで標本として保管することが望ましい。


 さらに、こんなことも。

 ○殺処分という言葉が独り歩きするのではなく,サンプル(標本)を増やしていくという言葉を使ったほうが穏やかである。交雑種には餌を与えないことも重要である。


 気分が悪くなった。

 しかし、こんな意見もある。

 ○鴨川水系では在来種は絶滅状態に近い。現在保護されている個体から在来種のオオサンショウウオを増やして復元することは可能なのか。また,オオサンショウウオという最高捕食者を一気に取り除いてしまうことで,鴨川の生態系に影響は及ぼさないのであろうか。戻し交配等でかぎりなく在来種に近いものもある。在来種(日本産)として認定する範囲を決めて置かないと,処分することについて市民への説明も難しい。

 ○元々,鴨川にオオサンショウウオはいなかったとする市民もいれば,交雑種でもオオサンショウウオがいる鴨川が良いと考える市民もいる。今言えることは,遺伝的なものから戻し交雑の可能性があるものはなるべく残し,可能性のないものを処分していくことが良いのではないか。


 私はどちらかというとこういった意見に賛成だが、項目の末尾には

 ○在来種の特別天然記念物が危機的状況に陥っており,人間の手で交雑問題が起こったことを,人間の手で解決する手段として,検討会は,最終的に殺処分することになったとしてもしかたがないと考える。


とあるので、検討会としては殺処分OKということなのだろうか。

 じゃあお前飼えるのかと言われれば、飼えないというほかはない。金魚や亀とはわけが違う。

 しかし、平穏に暮らしている生物、しかも外見上固有種と極めて似ている生物を、外来種だからといってわざわざ捕獲して、もてあましたあげく、餓死や焼却によって殺処分というのは、どうにも違和感を覚える。

 固有種であれ外来種であれ、実害があるのなら、殺処分もやむを得ないと思う。農作物に被害を与えるとか、人間に危害を加えるとか、病原菌を媒介するとか。
 しかし、遺伝子汚染というのは、そもそも実害なのだろうか。

 外来種を捕獲し、交雑種も捕獲し、固有種のみを川に残せば、その川特有のオオサンショウウオの遺伝子型が受け継がれてゆくということなのだろう。
 何だか、箱庭をいじっているようである。生物を全て人間のコントロール下に置かなければ気が済まないと考えているように私には見える。
 しかし、自然って、そういうものなのだろうか。
 また、上記の意見にもあるように、オオサンショウウオを一気に除去することで、生態系に影響は生じないのだろうか。

 京都市民はどう考えるのだろうか。
 しかし、トキやコウノトリと違って、地域のシンボルでもなければ町おこしのネタにもなりそうにないオオサンショウウオのことなど、大して注目を集めず、殺処分(いやサンプル作成と言うべきなのか)が進められていくのだろうか。

 余談だが、冒頭の朝日記事は、朝日新聞デジタルでは次のような見出しになっている。

 サンショウウオに悲しんだ 交雑種殺せず水族館満杯
 

 私はこの朝日新聞デジタルに会員登録していないので、記事の全文は読めないのだが、仮に新聞紙上と同じ記事だったとしたら、紙面での記事の全文は上記のとおりなので、「サンショウウオに悲しんだ」という見出しがよくわからない。記事には「やっかいもの」とはあり、「殺処分には市民の理解が必要」とは言うものの、「悲し」みについては特に言及されていないからだ。
 これってもしかして、井伏鱒二の『山椒魚』の冒頭の「山椒魚は悲しんだ」のもじり?
 でも、「○○を悲しむ」とは言っても、「○○に悲しむ」とは普通言わないから、やはりよくわからないな。

 

オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(5)

2011-09-03 11:07:39 | 生物・生態系・自然・環境
 昔の記事にponさんという方からこんなコメントを頂いた。

初めまして。ブログ拝見させて頂きました。

私は京都の加茂川上流に住んでいて、近所の川でオオサンショウウオをよく見かけます。
交雑種は本来日本に「いるはずがない」ものです。中国と日本のオオサンショウウオは、気性や文化も全く違います。食べ物にどん欲な交雑種がいることによって、現に加茂川の鮎は急激に減っています。これは悪い影響ではないのでしょうか?


 レスを書こうとして少し調べていると、いろいろ思うことところがあったので新記事にする。

 ponさん、はじめまして。
 鮎が交雑種の食害にあっているとは初めて聞きました。
 交雑種についてのこれまでの新聞報道には、そんな話はなかったように思います。
 この問題の専門家であるらしい松井正文・京大教授の『外来生物クライシス』(小学館新書、2009)にもそんな話は出ていません。

 しかし、コメントいただいた記事に「現実論」さんもコメントで紹介しておられましたが、少し前にNHKで放送された「ちょっと変だぞ日本の自然 新型生物誕生SP」という番組では、この問題が取り上げられ、松井教授も出演されていたそうですね。 

 「老兵は黙って去りゆくのみ」というブログで、詳しい内容が紹介されていました。

 この方によると、こんなシーンがあったそうですね。

交雑種オオサンショウウオには日本のオオサンショウウオに見られない特徴がある。それはエサを与えたときの反応です。

交雑種オオサンショウウオの池に切り身のエサを放りこむ映像が出てきた。

ぞくぞくとエサに集まってきます。1分足らずで大混乱。エサに群がり、さらに噛みつき合いも始まりました。エサに興奮しているのです。

日本固有のオオサンショウウオの池に切り身のエサを放りこむ映像が出てきた。

何と、15分待ってもエサに変化はありません。それもそのはず日本のオオサンショウウオは獲物を待ち伏せして捕まえます。獲物を追いかけて捕まえることはほとんどありません。

人が外来種を持ち込んだゆえに生まれた新型オオサンショウウオ。日本固有のオオサンショウウオを始め、鴨川上流の生き物たちに大きな影響を与えているのです。


 なるほど確かに交雑種と日本固有種とでは餌のとり方や気性が違うようですね。

 ただ、これまでの新聞報道にはそんな話もなかったように思いますし、上記の松井教授の『外来生物クライシス』にもやはりありません。オオサンショウウオについて解説しているホームページをいくつか確認しましたが、見当たりません。
 本当に、そこまであからさまな差があるのでしょうか。

 例えば、交雑種にはしばらく餌をやらないで空腹にさせておき、固有種には餌をやったばかりの満腹の状態で、餌をやったとすれば、上記のような映像を撮ることは可能でしょう。
 また、交雑種は切り身の餌に慣らしておいて、固有種には生き餌ばかり与えていても、同様のことが可能です。
 あるいは、餌である魚の種類を、オオサンショウウオが好むものとそうでないものを使い分けることによっても。

 映像を全く見ないで言うのも何ですが、私はテレビというのはそういう仕掛け(彼らは「演出」と言う)を平気でやるメディアだと見ています。あるいはテレビは関知せずとも、撮影に協力した研究施設の方でそのような作為を加えることは可能でしょう。
 本当にそのような歴然とした差異があるのか、私はやや疑っています。

 「大山椒魚ウオッチング」というサイトによると、待ち伏せだけでなく餌を求めて歩き回ることもあるそうです。

羽束川での調査では、仕掛けておいたカニ籠に入っていました。このときの餌は、アジやイワシでしたから目の前に来たものだけでなく、餌を求めて歩き回っていることが分かります。ウナギの流し針仕掛けに食いついて発見されることも多いです。


 さて、交雑種により鮎が急速に減っているとのことですが、鮎が減少して餌を得ることができなくなれば、オオサンショウウオもまた減るのではないでしょうか。
 そのようにして様々な生物が増えたり減ったりして、生態系のバランスが保たれるのではないでしょうか。

 また、上記の「老兵は……」さんの記事によると、NHKの番組では、京都府賀茂川漁業協同組合が毎年鮎の放流を行なっているが、最近鮎を放流しても上流ではいつのまにかほとんどが消えてしまうと紹介されていたようです。

 わざわざ餌となる鮎を放流すれば、それを捕食する動物が増加するのは当然のことでしょう。
 それでは生業が成り立たない、放流はしたいが捕食されるのは困るというのであれば、交雑種のオオサンショウウオに限っては保護動物ではなく害獣であると公的に指定してもらって、駆除するしかないでしょう。

 しかし、チュウゴクオオサンショウウオもまた国際的な保護動物ですから、それと固有種との交雑種を害獣指定するのは容易なことではないでしょう。
 仮に指定し得たとしても、固有種は保護動物のままなら、一体一体DNA鑑定する必要があるということになり、たいへんなコストがかかります。
 そんな作業に予算を付けることに、国民は納得するでしょうか。

 おまけに、この放流されている鮎は、賀茂川産ではないようです。
 ウィキペディアの「鴨川(淀川水系)」の項目には、現在次のような記述があります。

天然アユは戦前まで遡上していたが、1935年に発生した2度の水害対策で川底の掘り下げと多数の堰の設置で、鮎の遡上が妨げられた。そのため現在は賀茂川漁協が琵琶湖産の鮎を放流している。


 つまり、あなたの言う交雑種同様、放流されている鮎も本来賀茂川に「いるはずがない」ものなのです。

 もちろん、鮎で生計を立てている人がいる以上、その食害は問題です。
 しかし、鮎は水産資源であるから他の地域産のものであっても放流してもかまわないが、オオサンショウウオは外来種も交雑種もその存在を許さないというのは、何だかおかしな話だと思います。

 それに、この交雑種による食害は、それほど重大な問題なのでしょうか。
 もしそうなら、交雑問題自体よりももっと伝えられていてもいいはずですが、私は聞いたことがありません。
 地元紙である京都新聞のサイトで検索しましたが、見当たりません。
 賀茂川漁協のサイトも見てみましたが、やはり見当たりません。
 「漁協の取り組み」という項目で、川鵜対策は挙げられています。

賀茂川には色々な鳥が行き来しています。中でも川鵜という鳥から鮎の稚魚を守るために4月頃から鮎の稚魚を放流しますが、成長するまでは川鵜に食べられないように川にロープを張り、対策しています。


 トップページの「川日記」で、NHKの番組については触れられていますが、

11/8/12(金) 先日TVで賀茂川出てましたね!日本の生態系が変?みたいな番組でした(^_^;)熊田曜子が出てたやつです。
賀茂川のオオサンショウウオのほとんどが中国産と混ざっていると言う話でした!!
純国産と違って獰猛で、放流した鮎や他の魚を食べ尽くす(-.-;)その上人まで噛まれる事もあります!!
川遊び中にオオサンショウウオを発見しても絶対に顔付近には手を近づけ無い様に気をつけてください(^_^;)


番組の内容をなぞっただけで、どうも深刻さに欠けるような。

 交雑種を問題視したい研究者とセンセーショナルな番組を作りたいNHKがタッグを組んで、問題を大げさに吹聴しているのではないかという気が私にはします。


オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(4)

2010-10-29 00:00:57 | 生物・生態系・自然・環境
 また、オオサンショウウオの交雑種についての記事が朝日新聞に掲載された。
 25日の夕刊の1面トップだった。
 それほど注目に値する問題だろうか。

 アサヒ・コムの記事から引用する。

中国種と交雑、絶滅危機 賀茂川のオオサンショウウオ

 国の特別天然記念物「オオサンショウウオ」が生息する京都・賀茂川で、中国原産のオオサンショウウオとの交配が進み、日本固有種が絶滅する可能性があることがわかった。京都大の松井正文教授(動物系統分類学)の研究グループが調査した。外来種と分離するなどの対策の必要性が指摘されている。

 松井教授が8月までの1年間、計79匹のオオサンショウウオを賀茂川で捕獲し、DNA型を鑑定した。その結果、揚子江流域などに生息する中国原産と同じ遺伝子型のチュウゴクオオサンショウウオが9匹確認され、チュウゴクオオサンショウウオなどの外来種との交雑種が67匹を占めた。日本固有種は3匹(4%)だけで、うち2匹は体長4、5センチの幼生だった。

 研究グループによると、2008年の調査では捕獲した36匹のうち固有種は15匹(42%)いたが、09年は50匹中14匹(28%)に減っていた。

 チュウゴクオオサンショウウオはペットや食用として1970年代に日本に輸入され、その後、野生化して各地に広がったと見られる。過去の調査では、徳島県でも確認されている。

 チュウゴクオオサンショウウオは固有種と比べて動きが活発で、エサを食べる量が多く、成長が早い。このため、賀茂川では固有種が外敵から身を守るために隠れる場所やえさを奪われているとみられている。また、固有種が幼生の段階で魚やカニに食べられる危険も高まっているという。

 松井教授は「このままでは交雑種が増えるばかりだ。行政と研究機関が連携し、日本固有種以外のものと分離するなどの対策が必要だ」と指摘する。(渡辺秀行)
ウェブ魚拓



 また松井正文教授か。

 何度も言うが、交雑種が増えると何が問題なのか私には理解できない。
 わが国のオオサンショウウオとチョウゴクオオサンショウウオは、別々の祖先から進化してたまたま似たような形質を備えたわけではあるまい。
 同じ祖先をもつ者が、異なる地域で長期間世代交代を経ることにより、若干異なる形質を獲得するに至ったのだろう。
 だからこそ、交雑が可能なのだろう。

 交雑の何が問題なのだろう。
 わが国のオオサンショウウオの独自の形質、あるいは遺伝子が失われるから?
 しかし、交雑しても遺伝子が消滅するわけではない。それは次世代に受け継がれていくのである。
 そして、より環境に適応したタイプのオオサンショウウオが残ってゆくのであろう。
 それはオオサンショウウオという生物の存続にとってむしろ有利なことではないのだろうか。

 上記のウェブ魚拓のグラフを見ていただきたい。
 わずか2年でこれほどまでに交雑種の割合が増加するとは私には信じがたいのだが、この変化が賀茂川におけるオオサンショウウオの交雑状況の実態を本当に反映しているのだとすれば、ここまでくればもう交雑種の増加を抑えることは不可能だろう。
 
 松井教授は「「このままでは交雑種が増えるばかりだ。行政と研究機関が連携し、日本固有種以外のものと分離するなどの対策が必要だ」と指摘」しているというが、さてどうやって分離するというのだろうか。
 分離されるのはチョウゴクオオサンショウウオとその交雑種だろうか、それとも日本固有種のオオサンショウウオだろうか。
 数から言えば後者の方が容易そうだが。

 で、一体一体DNA鑑定して分離するというのだろうか。
 そんなことに何の意味があるのだろう。
 
 わが国固有のトキやコウノトリは絶滅した。
 佐渡や豊岡ではわざわざ中国やロシアからそれらを移入してまで復活を図っている。
 地域的な遺伝子の特性を重視して、交雑はもちろん、国内における移動までをも問題視するような人々は、こうした動きにも大いに反対すべきではないのだろうか。

 また、朝日新聞は不偏不党を掲げている。
 少しは、こうした外来種の問題に寛容な立場の見解も載せてもらいたいものだ。

(関連記事)
オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・
オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(2)
オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(3)


外来カメに関する報道を読んで

2010-10-05 00:47:11 | 生物・生態系・自然・環境
 しばらく前に、朝日新聞に次のような記事ウェブ魚拓)が載っていた(太字は引用者による)。

外来種カメ持参で入園無料 須磨海浜水族園

 神戸市立須磨海浜水族園は7~13日、国内で大繁殖している北米原産のミシシッピアカミミガメを捕まえて持参した人の入園を無料にする。日本固有種のイシガメが激減するなど深刻な影響を受けているが、生態はよくわかっていないため、国内初の研究施設を設けて駆除方法を探る。

 ウミガメ研究者で「カメ博士」とも呼ばれ、今春就任した亀崎(かめざき)直樹園長(54)の発案。研究施設は約600万円かけて既存設備を改修し、7日にオープンする。アカミミガメ約3千匹を収容できる大型水槽を備え、来園者の見学もできる。

 アカミミガメの体長は最大約30センチで、幼名ミドリガメ。1966年に大手食品会社が景品として大量に消費者へ贈り、川などに捨てられたのが繁殖の始まりとも言われる。研究員の谷口真理さん(27)が5~7月に兵庫県内のため池6カ所で調べたところ、見つかったカメ84匹のうち61匹がアカミミガメだった。

 餌や越冬方法などの生態はほとんどわかっていないという。亀崎園長は「不妊化などの効果的な駆除方法を研究したい」と意気込む。

 入園料は18歳以上1300円、15~17歳800円、小中学生500円。問い合わせは同水族園(078・731・7301)へ。(日比野容子)


 しかし、その少し前にはこんな記事ウェブ魚拓)も載っていたのだ。

クサガメ、実は大陸から来ました 京大など外来種と指摘

 日本の在来種とされてきたクサガメが、大陸から持ち込まれた外来種だったことが、京都大などの調査でわかった。固有種のニホンイシガメの遺伝子や生態系へ影響を与えている恐れがあることもわかった。東京工業大学で開かれている日本進化学会で3日、発表する。

 クサガメは、川や沼にすみ、脚の付け根からくさいにおいを出すことで知られる。在来種とされてきたが、化石や遺跡からの出土例がないため、外来種の可能性が指摘されていた。

 大学院生の鈴木大さん、疋田努教授らは、本州、四国、九州の野生のクサガメ134匹のDNAを分析。103匹は韓国産と同じタイプで、日本の各地域による差がほとんどないことから、最近、移入したものと結論した。

 文献を調べると、18世紀初めに記載はなく、19世紀初めに記載されていることなどから、18世紀末に朝鮮からもちこまれたと推定した。

 外見がニホンイシガメとクサガメとの中間であるカメのDNAを調べ、交雑が起こっていることも確認した。交雑で生まれたカメに生殖能力もあった。今回は一部の遺伝子だけ調べたので、さらに調査が必要と疋田教授は話している。(瀬川茂子)


 だったら、クサガメや交雑種の駆除も図るべきではないのかな。
 そして、わが国には、南西諸島を除いて、カメといえばニホンイシガメしかいなくなる(あ、スッポンもいたな)。

 しかし、それでいいのだろうか。

 以前にも似たようなことを書いたが、交雑種に生殖能力があるなら、それは近縁種だからだろう。
 先祖が同じで、何らかの理由で別々の種となったのだろう。
 それが交雑したところで、何が問題だというのだろうか。

 たしかに、それによって、純粋のニホンイシガメがさらに減少し、その血統が絶えてしまうかもしれない。
 だとしても、それが生態系に大きな変化を及ぼすだろうか。交雑種の生態も似たようなものだろうに。

 生物の目的は子孫を増やすことにある。
 交雑してもニホンイシガメの遺伝情報は子々孫々受け継がれていくのだから、生物としては何の問題もない。
 人間が、希少種の血統は自然に介入してでも維持しなければならないと勝手に思い込み、騒いでいるにすぎない。

 そもそもミシシッピアカミミガメは本当にニホンイシガメの減少の原因なのだろうか。
 たしかに、公園の池などでミシシッピアカミミガメは本当によく見かける。人を見かけると餌がもらえるかとわざわざ向こうから寄ってくる。もっとも身近な亀だろう。
 しかし、その幼体であるミドリガメを私は野外で見たことがないし、そんな話も聞かない。
 繁殖しているのではなく、単に大きくなりすぎて捨てられたミシシッピアカミミガメが人目についているだけなのではないだろうか。

 ニホンヤモリも外来種だと聞く。
 身近なダンゴムシや、田んぼに現れるカブトエビも外来種だと聞く。
 そうした生物をも全て排除すれば、わが国古来の生物相が蘇るのかもしれない。
 しかし、そんなものにどれほどの意味があるのだろうか。
 また、そのためにどれほどのコストがかかることだろうか。

 外来種狩りよりも、まずは在来の生物が住める環境の維持に力を注ぐべきではないのだろうか。

オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(3)

2009-07-04 23:11:32 | 生物・生態系・自然・環境
 昨日の朝日新聞夕刊で、路上でオオサンショウウオを見つけても、特別天然記念物だからといってみだりに川に放してはいけない、外来種かもしれないから、という記事を読んだ(ウェブ魚拓その1)(その2)。

 このチュウゴクオオサンショウウオの問題は以前も朝日新聞が取り上げており、私も記事にしたことがある。

オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・

オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(2)

 以前の記事で、

>また、実際に駆除が容易とも思えません。正確に区別できるものでしょうか。一体一体DNA鑑定しろとでもいうのでしょうか。

と書いたが、今回の朝日の記事によると、実際にDNA鑑定しているというので驚いた。

>08年9月までに遺伝子を分析した

とあるから、それ以後はしていないようだが。 

 何度も書くが、外来生物の問題というのは、実害があるかどうかを基準に処置を判断すべきではないだろうか。
 遺伝子レベルで純血種を守らなければならないという必然性が私にはわからない。
 それは、研究者が予算を獲得するための方便にすぎないのではないだろうか。

>松井教授は「放したのが外来種なら固有種を駆逐したり交雑したりするおそれがある。固有種だったとしても外来種の中へ放り出したことになる」と指摘する。

 ではどうしろと言うのだろう。

>「オオサンショウウオが発見されたらまず府や市、研究機関に連絡してもらう」

 連絡すればどうなるのか。

 国産のオオサンショウウオなら、外来種のいない地域に放すのがベストということになるのだろうか。
 では、チュウゴクオオサンショウウオだと判明したらどうなるのか。
 まさか放しはしないのだろう。飼育先を探すのか。それとも……。

 遺伝子レベルでの純潔性を維持しなければならないのなら、人間はどうなんだろう。

 人権派寄りとされる朝日新聞が、そうした点に無自覚にこのような記事を流し続けるのが私には気がかりである。




(関連記事)
オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(4)

和歌山のタイワンザル全頭捕獲目前との報道を読んで

2008-08-19 23:11:14 | 生物・生態系・自然・環境
 13日の『朝日新聞』夕刊で次のような記事を読んだ。

 「環境 エコロジー」というページで、
捕獲進む外来ザル ニホンザルと交雑 生態系に影響」
の見出し。

 リードは、

《農作物への被害、ニホンザルとの交雑による生態系への影響などから、特定外来生物に指定されたタイワンザルとアカゲザルの捕獲が進んでいる。和歌山県のタイワンザル対策は6年かけて全頭捕獲まで「あと十数匹]に迫った。だが、残ったサルは警戒心も強く、これからが正念場。千葉県・房総半島のアカゲザルは交雑が予想以上に広がり、捕獲は長引きそうだ。(清水弟)》

とある。

 本文は、

《和歌山県の海南市、和歌山市の境界、大池造園地域に野生化した外国産サルがいることは78年に知られていた。98年4月、大池から30キロほどの地点で見つかったサルが、遺伝子分析でニホンザルとタイワンザルの交雑と判明。同県や日本霊長類学会の調査で200~300匹のタイワンザルが確認された。
 事態を重視した県は、02年度から全頭捕獲に乗り出した。捕獲数は07年度までにのべ434匹。純粋なニホンザル43匹と追跡用に発信器を付けて放した42匹を除き、349匹を安楽死させた。全頭捕獲まで残りは22~42匹と推定され、うち7匹には避妊処理がしてある。
 霊長類学会のワーキンググループは捕獲個体の計測や遺伝子分析にも協力した。京大霊長類研究所の川本芳・准教授(集団遺伝学)が今年5月、「和歌山のタイワンザル交雑群に関する総合的研究」として報告した。
 03年3月から06年6月に捕獲した314匹の遺伝子分析によると、約9割が交雑個体になっていた。タイワンザルが野生化したのは50年代で、直後から交雑が始まり、50年間でここまで進んでしまったとみられる。
 霊長研の廣田穣・准教授(形態進化)らは、交雑個体の尾長や尾椎(尾の骨)の数が、交雑の度合いときれいな相関を描くことを突き止めた。ニホンザルの尾は約10センチ、タイワンザルは40センチ近い。336匹の尾を測り、座高と比べた相対尾長をみると、交雑度に比例して長くなっていた。
 ワーキンググループと県は今月下旬から生息調査を行い、最後の詰めを協議する。グループ代表の和秀雄・大阪大名誉教授(生殖生物学)は「ここまで来たのは県ががんばったからだ。最後まで手を緩めないでほしいし、私たちも全頭捕獲まで協力したい」と話している。》(太字は引用者による)

というもの。さらに房総半島のアカゲザルの話が続くが、省略する。

 記事中、捕獲や安楽死の是非は全く問われていないから、朝日はこれらを容認できるものと考えているらしい。むしろ推奨しているようにも読める。
 特定外来生物に指定されているのだから、当然だということか。

 タイワンザルは何故特定外来生物に指定されたのか。
 記事には、
《農作物への被害、ニホンザルとの交雑による生態系への影響などから、特定外来生物に指定された》
とある。
 しかし、農作物への被害なら、ニホンザルとて同じだろう。
 それでも、タイワンザルを選別して駆除することにより、被害を多少でも抑えられるからか?
 農家と霊長類研究者との利害が一致したということか?
 そして、タイワンザルを保護することで実利を得る者はいないから、有力な反対の声は上がらなかったのだろう。

 前にも書いたが、トキやコウノトリは、絶滅したにもかかわらず、わざわざ外国産のものを輸入してまで、復活させようとしている。
 これは遺伝子汚染ではないのか? わが国の生態系を乱すものではないのか?
 と思うのだが、誰もそんな指摘はしない。

 ミシシッピアカミミガメ(いわゆるミドリガメの成体)は、在来のカメの生育を脅かしているものと思われるが、特定外来生物には指定されていない。
 また、交雑の恐れが指摘されている外国産のカブトムシやクワガタムシも、特定外来生物には指定されていない。
 それは、それらが規制されると、商業的に困る人々がいるからではないのか。
 そして、タイワンザルに関しては、そういう人々がいない。ただそれだけのことではないのか。

 これも前に書いたが、ポピュラーな国産のカメであるクサガメは、昔からわが国にいたのではないそうだ。16~17世紀に朝鮮から持ち込まれたとの説がある。
 また、カブトエビやダンゴムシも、帰化動物であるという。
 しかし、今日誰も、これらの動物を駆除せよとは言わない。国産の生物としてすっかりなじんだ感があるからだろう。
 ならば、タイワンザルも国産のサルとしてなじむ日が来るのではないだろうか。
 仮に交雑が進んで、尾が長い交雑種が増加したとして、それが何だというのだろう。それでサルの生態がそうそう変わるわけでもあるまい。

 その外来生物によってわが国固有の生物が絶滅に瀕しているとか、あるいは、その外来生物が国民にとって非常に危険な生物であるというのなら、駆除すべきだろう。私もセアカゴケグモやカミツキガメを保護すべきだとは思わない。
 また、農家が困っているのであれば、害獣は駆除せざるを得ないとも思う。
 しかし、そこに遺伝子汚染などという概念を持ち込んで、巨費を投じて、個体の遺伝子を調査し、タイワンザルのみを選別して殺処分するなどというのは、実にくだらない行いだと思える。

 我々は外来生物に対して、もっと寛容であってもいいのではないだろうか。


山本弘『“環境問題のウソ”のウソ』(楽工社、2008)

2008-01-19 23:47:30 | 生物・生態系・自然・環境
 SF作家であり「と学会」会長としても知られる著者が、ベストセラーとなった『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社、2007)の著者、武田邦彦を批判した本。

 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』が売れているとは聞いていたが、私は読んでいない。その前の武田の著書『「リサイクル」してはいけない』(青春出版社、2000)は読んでおり、それと同様の内容と思われたからだ。
 その後、続編『環境問題はなぜウソがまかり通るのか2』も昨年同じ洋泉社から出版された。こちらは読んでみた。

 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』にデータ捏造疑惑があることは、以前まったけさんのブログ(現在休止中)で知った。ペットボトルのリサイクル率が低すぎるということが、業界団体の公式データから明らかになっているかのように述べているが、その数字が実は業界団体のものではなかったという話だったかと思う。
 また、『「リサイクル」してはいけない』でも、ごみは分別せずに全て燃やして、灰を人工鉱山に貯めておき、将来金属資源が枯渇したときに利用せよといった奇矯な主張がみられ、首をかしげていた(人工鉱山を管理するコストとか、安全性とか、灰から微量の金属を抽出する技術とか、問題点がありすぎると感じた。普通に分別した方がはるかに効果的ではないかと)。
 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか2』では、京都議定書は「現代の不平等条約」であり、先進国中わが国だけが馬鹿をみたという趣旨の記述があったが、その理由を読んで説得力に乏しいと感じた。
 しかし、著者の主張の大本の部分、つまり、ペットボトルのリサイクルはかえって石油を無駄に消費するとか、リサイクルのためにコストがかかるということはその分環境負荷が大きくなるということだといった主張は正しいと考えていた。そのようなことをこのブログで書いたり、まったけさんの所でコメントしたこともある。
 だが、山本によると、それすらも誤っているという。
 山本によると、武田は『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』で、1本のペットボトルをリサイクルするには3.5倍の石油を使うと述べている。しかしその根拠は不明であるという。
 また、武田が批判する、ペットボトルからペットボトルが再生されていないという点についても、既にそのような技術が実用化され、再生ペットボトルが利用されている、しかし武田は敢えてそれを無視しているのだという。
 さらに、コストや価格が、リサイクルに要する資源やエネルギーを正確に反映しているかのように語る武田の主張は暴論だとする。

《1965~1975年にかけての民間公害防止設備投資額の累積額は、約5.3兆円に達した。〔中略〕
 では、5.3兆円もの金を使った分、環境負荷は増えただろうか?
 そんなことはない。有害な排出物は減り、空や海はきれいになったのだ。
 武田教授をはじめとする環境問題懐疑論者は、よく環境保護にかかるコストを問題にする。だが、単純にコストだけを見てはいけないことは、70年代の日本人が公害対策にかけた努力を見れば分かる。当たり前の話だが、環境負荷を減らすためのコストは、環境負荷を減らすのだ。》

《トンあたり25万円の税金を使って回収したペットボトルを、業者に3万8900円で売っているのだから、当然、まったく採算は取れていない。このへんも「けしからん!」と怒る人がいることだろう。
 しかし、よく考えていただきたい。そもそも環境対策というものは、短期的に見れば採算なんか取れないものなのである。コストだけ見れば、リサイクルなんかせず、じゃんじゃん使い捨てにするのがいいに決まってる。最終的にはごみがあふれかえって、浪費のツケを払わされることになるかもしれないが、それは何年、何十年も先の話だ。
 環境対策にかぎったことではない。税金というのは、社会福祉、教育、治安維持、防衛、道路網整備など、短期的な採算の取れない活動に注ぎこむものだ。採算が取れる活動なら民間企業にまかせておけばいいのだから。
〔中略〕
 環境問題を論じる際について考えなくてはいけないのは、コストそのものではない。そのコストがどれぐらい環境負荷を減少させるのか、またそれだけのコストをかける価値があるのか、という点である。》(p.65~66)

《人件費は環境負荷に比例しない。人件費とは人間が生きていくための金である。人件費をゼロに減らしても、人間が生きている以上、人件費分の環境負荷はほぼそっくりこの世に残るのだ。
 人件費が増える場合も同じだ。ごみを分別収集するために作業員を雇い、人件費が増えても、その分の環境負荷が増えるわけではない。リサイクルによる環境負荷を検討する際には、燃料費や施設費など、「リサイクルをしなければ生じなかった活動」にのみ注目しなければならない。》

 言われてみればそのとおりなのだが、言われるまでこういった視点から武田説を疑うことがなかったのは、我ながら恥ずかしい。

 ただ、山本の態度にも疑問がある。
 山本は、次のように述べている。

《武田教授の本の内容がすべてウソだとは言わない。正しいこともたくさん書いてある。勉強になる部分や、「もっともだ」と思う部分もいっぱいある。しかし、明らかなウソや間違いが多すぎる。だから僕は武田教授の本を信用しない。》

 しかし、その正しい部分、もっともな部分は一切示されていない。したがって読者にはそれがわからない。ただ「明らかなウソや間違い」、つまり批判が容易な部分のみを取り上げているのに、結果として武田の著作全体への不信感が残る仕掛けとなっている。
 これが1本の論文程度のものなら、こうしたスタイルもあっていいだろう。しかし、本書は丸々一冊のかなりの部分を武田批判に充てており、しかも判型も『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』に似せている、明らかな反論本である。その割に武田批判の内容はそれほど深くない。どうせなら、武田の主張の正しい部分、もっともな部分も挙げてほしかった。その方が、環境問題懐疑論者には有用だったろう。
 また、山本は「ミランカ」という映像配信ポータルサイトの番組で武田と対談し、その後さらに武田とメールで何度もやりとりしているが、そのメールの内容を本書で公開している。その章で、次のように述べている。

《なお、武田教授には、ミランカの番組に出演した際、話し合った内容を本に書くつもりだということは説明している。当然、教授はそれを承知したうえで、本では自分の意見を正しく紹介してほしいという意図でメールを送ってきたはずである。
 したがって、ここでメールの内容を公開しても差し支えないと判断した。教授の考えを読者に正しく伝えるためには、教授自身の文章を要約したり書き直したりせず、原文通りに紹介するのが最適だと考えたからである。》

 ずいぶん勝手な言いぐさだと思う。せめて、掲載の可否を武田に一言問い合わせるべきではないのか。その結果拒否されたなら、自分で適宜要約や書き直しをすべきだろう。
 メールはあくまで私信である。公開を前提としたものではない。
 私は初期の「と学会」本の愛読者だった。その後、あまりこの方面への関心を持たなくなっていたのだが、それでも、トンデモ本をきちんと批判するという彼らの姿勢は好ましく思っていた。
 しかし、この一件で、山本弘という人はずいぶん礼節に欠けるところがあるのだなと思った。

平山廉『カメのきた道』(日本放送出版協会(NHKブックス)、2007)

2008-01-07 23:17:00 | 生物・生態系・自然・環境
《私たちは地球生命の頂点に位置するのが人類と勘違いしていないか・・・。
 甲羅というシェルターとスローな生き方という
 第三の戦略を
 選んだカメたち》

という帯の言葉に惹かれて買ってみた。

 著者は早稲田大学国際教養学部教授。専門は化石爬虫類だという。
 「はじめに」でこう述べている。

《カメに関する本というと、ほとんどがペット動物としての飼育に関するものや、ウミガメの生態を扱ったもの、あるいは人間との関わりを文化史的に論じたものぐらいで、化石をベースに彼らの進化を論じたものは見たことがない。》

 で、著者がそれを書いてみたということらしい。
 化石のみならず、現存する亀の生態や、亀の体の仕組みの解説、人間と亀との関わり合いなど、記述は多岐にわたっている。文章は平明で、気軽に面白く読めた。

 進化論に対する有力な批判として、中間形質をもつ化石が発見されていないという主張があると、昔聞いた覚えがある。
 これは、亀についても当てはまるようだ。
 本書によると、最古の亀は、中生代三畳紀の中頃に現れたという。その亀は、原始的な特徴がいくつもあるものの、既に完全な亀の形態を備えているという。
 亀の甲羅は背骨や肋骨と一体化している。このような特徴は他の爬虫類はおろか、脊椎動物にも見当たらない。アルマジロやヨロイ竜(アンキロサウルスなど)のように装甲をもつ動物は他にもいるが、これらは皮膚を硬化させたものであり亀とは全く構造が異なる。
 ところが、甲羅を中途半端に発達させた亀(の祖先たる爬虫類)は、未だ発見されておらず、亀がどのような爬虫類を祖先として進化してきたかについては、現在でも論争が続いているという。本書では、この点について著者の自説が展開されており、興味深い。

 日本の亀としては、ニホンイシガメとクサガメが代表的だが、本書によると、クサガメは人為的に持ち込まれた可能性が高いのだという。

《化石はもちろんのこと、先史時代の遺跡からも出土しておらず、また古い文献を見てもニホンイシガメやスッポンの記述はあるのに、クサガメについては何も触れられていない。現生カメ類が専門の安川雄一郎さん(高田爬虫類研究所沖縄分室)によると、近世(おそらく室町時代末期から江戸時代初期)になって朝鮮半島から移入されたのではないかということである。》

 知らなかった。
 そういえば、カブトエビやダンゴムシのような身近な動物も帰化動物であると最近知った。
 現在、都会の公園の池で見られる亀は、外来種であるミシシッピアカミミガメ(ペットとして売られているミドリガメの成体)がほとんどで、私などは違和感を禁じ得ないのだが、もう数百年もすると、ミシシッピアカミミガメもクサガメのように在来種として扱われることになるのだろうか。

廃ペットボトルの価格高騰のニュースを読んで

2007-11-23 23:27:00 | 生物・生態系・自然・環境
 古い話だが、今月4日の『朝日新聞』社会面に、使用済みペットボトル(廃ペット)の相場が急騰しているとの記事が載っていた(ウェブ魚拓)。
 ペットボトルのリサイクルは、従来は、自治体が回収した廃ペットを「日本容器包装リサイクル協会」(容リ協)が無償で引き取り、それを業者に有償で引き取ってもらい、繊維やペットボトルに再生していたという。つまり、需要がないのにコストを投じて無理矢理再生していたわけだ。
 ところが、最近の原油高でペットボトルの原料であるポリエステルの価格が上昇し、加工費を加えても廃ペットから再生する方が割安になったため、廃ペットの需要が急増しているのだという。また、中国への輸出も増加しているという。
 廃ペットを容リ協に回さず、独自に入札を実施して売却する自治体も増えているという。環境の激変に再生業者は「ついていけない」と悲鳴をあげているが、一方で中国での需要増を商機ととらえている業者もあるという。

 少し前に、著書『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社)が話題になった武田邦彦は、以前からペットボトルのリサイクルは資源の無駄だと主張していた。その根拠の1つは、再生品の方がコストが3倍以上もかかるということにあった。コストが余分にかかるということは、それだけ輸送や分別や再生のための設備の稼働に費用がかかるということであり、ひいてはそれだけ余分に資源を無駄遣いしていることなのだと。私も武田の著作などを読んで、そのように素朴に考えていた。
 しかし、原油高により再生品の方が安く生産できるということになると、やや話は変わってくる。さらに、その石油をはるばるアラビアなどから輸送してくるコストなどを考えると、安価で回収できる廃ペットが資源として注目されるのも当然なのだろう。
 ただ、石油という資源は金属と同様、木材や食糧と違って新たに作り出すことはできないから、大切に使わなければならない、しかるに、プラスチック製品のリサイクルと称しつつ、その過程で石油をより消費するのはおかしいのではないかという武田の主張の根源的な部分は、なお有効だろう。

 私がこの朝日の記事で気になったのは、中国への輸出が急増しているという点だ。
 国内での廃ペットは、再生されるポリエステルの質が悪いので、ペットボトルにはほとんど利用されないと聞く。
 しかし、規制が徹底していない海外諸国の場合、質の悪い製品であっても、ペットボトルその他に再生してしまうことはないだろうか。
 そのために、商品の保管や輸送に問題が発生したり、健康被害が生じたりすることはないだろうか。
 さらに、その商品がわが国にも入ってくるということはないだろうか。
 わが国は、ごみの輸出にはもっと慎重であるべきではないだろうか。

 中国では、輸入した廃家電から貴金属や電子部品を取り出す作業を原始的な手法で行っており、作業者の健康被害や環境への汚染が問題となっていると聞く。
 こうした事態が積み重なると、民衆は、規制のおざなりな当局よりも、その原因となったわが国に非難の目を向けてくることにはならないだろうか。
 カネでごみ処理を他国に押しつけていると。
 自分たちは万全の規制の下でクリーンな生活をして、ごみは他国に押しつけて、そのごみから再生された製品、言わば二流の製品を、他国の人間に利用させるのかと。
  
 終戦後の食糧難の時期、学校給食に米国から救援物資(いわゆるララ物資)として提供された脱脂粉乳が使用された。
 しかし、あれは米国では家畜のエサに使われていたものであり、米国人は日本人を家畜なみに見ていたのだと、未だに語られ続けている。
 私はこの話の真偽は知らない(こういうサイトを見ると、どうもそうではないらしいが)。
 しかし、援助物資でさえ、このように怨念を込めて語り継がれていくのである(反米感情に加え、脱脂粉乳が大変に不味かったことも原因なのだろうが)。
 ましてや、ごみの輸出においておや。
 
 ペットボトルは、昔は2リットルなどの大容量のものしか認められていなかったが、リサイクルできることを条件に、現在主流の小型のものが量産され、普及したと聞く。
 しかし、ちょっと考えればわかるように、ペットボトルは、金属缶やガラス瓶と比べて、およそリサイクルに不向きな容器である。
 リサイクル社会と言うなら、こうした商品は本来使わない方向に持っていくべきではないかと思う。
 ではお前はペットボトルを利用しないのかと問われれば、毎日のように利用していると答えざるを得ない。それは安価で便利だし、現実にそれしか選択肢がなくなっている(例えば、ペットボトル以外の容器のお茶など最近ほとんど見かけない)からだ。
 こういったことは消費者の行動に頼るのではなく、国が率先して規制していくべきことだろう。
 90年代以降、環境問題が声高に叫ばれるようになってきた。それ自体は好ましいことだと思うが、極端な分別収集や、省エネタイプの製品への買い換えの推奨、クールビズ、マイバッグなど、何だか問題の本質とはあまり関係ない、単なるファッションとしての政策や運動が多すぎるような気がする。

古紙100%にこだわる環境省の愚行

2007-09-01 16:25:27 | 生物・生態系・自然・環境
 8月30日付け『朝日新聞』夕刊によると、省庁用のコピー用紙の規格をめぐって、林野庁と環境省が対立しているという(ウェブ魚拓)。
 政府が使うコピー用紙の古紙配合率は100%と定められているのに対し、林野庁が間伐材をコピー用紙に利用するよう求めているが、100%にこだわる環境省が反対しているのだそうだ。
 アジア諸国で古紙需要が高まり、わが国の古紙の輸出が進んだため調達コストが高まり、製紙業界は古紙使用割合の引き下げを求めているともいう。


《同省の担当者は「古紙100%のコピー用紙は資源循環の象徴。公費を使って地球環境を改善していくのが制度の趣旨で、リサイクルの後退につながるような見直しは軽々にはできない」と主張する。間伐材についても、持続可能な森林経営に役立つとの国際的な定義が確立されていないと突き放す。現時点で古紙100%の基準を変える必要はないとしている。》


 間伐が森林の保全に有効というのは常識かと思っていたが。
 業界団体の主張にはそれなりの根拠があろうものを。

 たしかに、古紙100%は資源循環の象徴だろうが、古紙100%は70%より環境に優しいと言えるのか。
 古紙100%といっても、回収した古紙がすんなり新しいコピー用紙になるわけではあるまい。分別したり、溶かしたり、インクを抜いたり、漂白したりといったさまざまな工程が必要なはずだ。そのために工場を動かすのにエネルギーが必要だし、環境も汚染する(汚染しないようにするためにもまたコストがかかる)。普通に考えれば、古紙含有率が高い方が環境負荷が高いと言えるのではないだろうか。


 そういえば、先週発売の『週刊ダイヤモンド』8/25号は、「ゴミ争奪 リサイクルの罠」と題する特集を掲載している。その中の「環境負荷を余計に高める矛盾だらけのリサイクル」に、次のような記述があった。


《「大量生産・消費・廃棄から脱却し、限りある資源を有効に活用する。そのため、ゴミ発生を抑制し、排出したゴミはできるだけ資源として適正に利用し、どうしても利用できないものは適正に処分する」――。リサイクルの理念は、基本法ではこううたわれている。あくまでリサイクルは「資源の適正な利用」が原則なのだ。だが、あまたあるリサイクルのうち、これを実現しているものは少ない。
 たとえば、日本製紙は古紙一〇〇%配合紙の販売を全面廃止した。じつは、紙のリサイクルは、パルプから新しく紙をつくる場合よりも石油を多く使う。一〇〇%再生紙の環境負荷の高さは製紙業界では半ば常識だったが、古紙含有率が高いほど環境に優しいという消費者のイメージが根強いなか、なかなか真実を打ち出せないでいた。「リサイクルは全面的に善」という思想が「適正な利用」を阻む。》


 環境省が古紙100%の根拠とするグリーン購入法の第1条には、こうある。


《第一条 この法律は、国、独立行政法人等、地方公共団体及び地方独立行政法人による環境物品等の調達の推進、環境物品等に関する情報の提供その他の環境物品等への需要の転換を促進するために必要な事項を定めることにより、環境への負荷の少ない持続的発展が可能な社会の構築を図り、もって現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする。》


 目的は「環境への負荷の少ない持続的発展が可能な社会の構築」にあるのであって、資源循環100%をうたうことにあるのではない。
 石油やレアメタルのような地下資源と違って、森林は再生可能な資源だ。資源循環100%にこだわる意味がどれほどあるだろう。そのために石油を無駄遣いしてどうするというのだろう。


 「グリーン購入法」で検索していたら、環境省のホームページにこんなQ&Aがあった。


《今年度中に「古紙パルプ配合率100%品」の生産が中止され、グリーン購入法に適合するコピー用紙が市場からなくなると聞いていますが、判断基準の見直し等は行わないのでしょうか。

海外への古紙流出による古紙不足を受け、一部の製紙メーカーが「古紙パルプ配合率100%品」の生産を中止するようですが、コピー用紙等の基準上100%となっている品目については、他メーカーへのヒアリング結果をうけ、基準を満たす製品の生産は継続されることから、緊急の見直し予定はございません。》


 古紙不足で古紙100%を維持するためには、製品は割高にならざるを得ないのではないだろうか。
 敢えてそれを使うというのか! 官公庁が! 税金で! 環境負荷も高いのに!
 こういうのは、省庁エゴ以外の何物でもないと思う。

 武田邦彦の『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社)が売れていると聞く。
 昔からこの種の本はちらほら出ていたが、ベストセラーにまでなったのは今回が初めてではないだろうか。
 私はこの人の本は、以前『「リサイクル」してはいけない』(青春出版社)を読んだことがある。一部、これはどうかなという記述もあったが、基本的にはこの人の主張は間違っていないと思う。
 この種の本が読まれているのであれば、リサイクルに対する硬直した考え方も少しは変わってくるだろうか。