29日の拙稿「バルサの敗北を観た」を、こう僕は結んだ。
『ポルトガル人、ジョゼ・モウリーニョ監督。勝利のあとで端正な容姿を直立させ、スタジアムの一角に上向きの眼光を投げて、長くフリーズ。頭上に突き出した両手はVの字を作り、2本の人差し指がまた「1」になって天を突いている。事実上の決勝戦に勝利した歓喜を、体全体で静かに表しているようにも見えた』
この後の戦評に入って、モウリーニョの第一声はこうだ。
『守備の芸術をお見せすることができた』
次いで、
『10人になったけど、エトーもミリートも戻って上手く守ってくれると信じていた』
あのメッシを抑えきった2本のライン・ディフェンス! メッシが1本目のラインに沿って横へ流れる事しかできなかったとは! スピードに乗る前に足を出されていたなー。
縦パスをなかなか入れられなかったのはなぜか! 2本目のディフェンス・ラインによるマーク組織が厳しかったからだろう。
こうして、あのバルサが、インテルのラインディフェンスを怖がっているようにさえ見えたな。あそこに、FWのエトーもミリートも加わっていた。MFスナイデルだけが前にいたっけ?
ちなみに、まさに彗星のように現れたバルサの青年監督ガルディオラは、インテルのモウリーニョを尊敬しているのだそうだ。モウリーニョはもはや、世界1の監督と言って良いだろう。
このゲームを見終わって日本を振り返った時、トルシエ監督がよく語った「日本は守備の文化がない」を思い出していた。そういう動機から書いたのが、30日の拙稿である。これは、その続きの積もりだ。
さて、日本とヨーロッパの守備の違い、これを考えるに最も相応しいのは長谷部誠(ドイツ、ボルフスブルグ)、その言葉であろう。彼がプレーするドイツは世界6位の国であって、代表選手の多くが国内を出ず、屈強な組織的守備で名高い。さらにまたこの長谷部は、日本お得意の攻撃的中盤とはちょっと違い、むしろ守備にも比重を要求されるレギュラーの立場にあってドイツリーグ優勝を経験している。日本を振り返るこんなに良い教材は他にはないだろう。
因みにこのドイツ人やお隣のオランダ人は、日本選手が話題になるとすぐにこう尋ねるそうだ。「そいつ、闘えるのか?」。日本人は闘えないと思われてきたわけである。唯一の例外が中田英寿ではないか。長谷部がこう述べていることは、ここに何度も書いてきた。
『ヒデさんがあれだけやれたのは、強い身体を作っていたからだとつくづく思いました。思えば、ドイツワールドカップのブラジル戦でも、ヒデさんだけが互角にやれていた。僕がこちらに来ても、ヒデさんは強かったからあれだけになったと思い出さされてばかりでした。最初に毎日やらされたのが、軍隊のような体力トレーニングでしたから。毎日バタンキューでしたね』
こうして長谷部は守備から入って、半年ほど前から攻撃にも自信を持ち始めたと語っている。現在、クロス精度がリーグ4位なのだそうだ。ドイツでは非常に評価が高く、専門家には特に『日本では俊輔と同等のアイドルのはず』と思われているとのことだ。
さて振りかえって日本のサッカー・マスコミを観よう。ちょっと前までは長谷部よりも森本、最近では本田一辺倒と言えまいか。森本はもはや代表にも選ばれないだろうから置くとして、本田は確かに日本の救世主に見える。やはり日本の弱点である得点に絡むからだ。が、彼の身体の強さ、走力をも決して忘れてはならないと思う。本田は長谷部よりも前のポジションなのだが、立派に「走り回ってボールを奪う守備」もできるのである。格上の相手には、守備にも走り回る。だからこそ、全員守備の岡田ジャパンにもフィットしていると見られているはずだ。
日本のマスコミはずーっと、スペイン、オランダがお好きだった。そういうマスコミに対して僕は、最近のこの事実を突きつけてみたい。ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグの今年の決勝戦はインテルミラノ(イタリア)とバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)との闘いになった。このイタリアもドイツも守備の文化の国とも言える。ちなみに、本田はインテルに「何もできなかった」と語っているが、先年度の長谷部のチームは、バイエルンを退けて優勝しているのである。あの時のマガト監督がいなくなってから急に弱くなったのだが、楽天イーグルスを見ても分かるように集団球技ではよくあること、監督が大事なのである。長谷部は、その名監督マガトに見いだされ、鍛えられ、抜擢された選手だ。
なお、バイエルン・ミュンヘンの監督ファン・ハール(オランダ人)は、モウリーニョ(ポルトガル人)の師匠に当たる。前者がバルサの監督だった時にモウリーニョがそこの通訳だった。モウリーニョの監督見習い時代の話ということになる。この、守備の文化溢れた国の代表同士の対決。さて、どちらに軍配が上がるだろうか。僕もここは常識的に、インテルと答える。ロッベン、オリッチとバイエルンには優れたアタッカーが2人いるが、攻撃の組織でインテルが上だと思うから。バルサ戦第1戦でインテルが見せた長短のカウンターの鋭さを強調しておきたい。
インテルや長谷部を振り返って、日本サッカーに言えること。それは、これだろう。
『守備の文化が遅れているから、得点技術も上がらないのだ』
『点取り屋中心にサッカーを観る文化は、日本サッカーを遅らせている』
『育成世代にこそ、反則のない守備の文化を!』
『ポルトガル人、ジョゼ・モウリーニョ監督。勝利のあとで端正な容姿を直立させ、スタジアムの一角に上向きの眼光を投げて、長くフリーズ。頭上に突き出した両手はVの字を作り、2本の人差し指がまた「1」になって天を突いている。事実上の決勝戦に勝利した歓喜を、体全体で静かに表しているようにも見えた』
この後の戦評に入って、モウリーニョの第一声はこうだ。
『守備の芸術をお見せすることができた』
次いで、
『10人になったけど、エトーもミリートも戻って上手く守ってくれると信じていた』
あのメッシを抑えきった2本のライン・ディフェンス! メッシが1本目のラインに沿って横へ流れる事しかできなかったとは! スピードに乗る前に足を出されていたなー。
縦パスをなかなか入れられなかったのはなぜか! 2本目のディフェンス・ラインによるマーク組織が厳しかったからだろう。
こうして、あのバルサが、インテルのラインディフェンスを怖がっているようにさえ見えたな。あそこに、FWのエトーもミリートも加わっていた。MFスナイデルだけが前にいたっけ?
ちなみに、まさに彗星のように現れたバルサの青年監督ガルディオラは、インテルのモウリーニョを尊敬しているのだそうだ。モウリーニョはもはや、世界1の監督と言って良いだろう。
このゲームを見終わって日本を振り返った時、トルシエ監督がよく語った「日本は守備の文化がない」を思い出していた。そういう動機から書いたのが、30日の拙稿である。これは、その続きの積もりだ。
さて、日本とヨーロッパの守備の違い、これを考えるに最も相応しいのは長谷部誠(ドイツ、ボルフスブルグ)、その言葉であろう。彼がプレーするドイツは世界6位の国であって、代表選手の多くが国内を出ず、屈強な組織的守備で名高い。さらにまたこの長谷部は、日本お得意の攻撃的中盤とはちょっと違い、むしろ守備にも比重を要求されるレギュラーの立場にあってドイツリーグ優勝を経験している。日本を振り返るこんなに良い教材は他にはないだろう。
因みにこのドイツ人やお隣のオランダ人は、日本選手が話題になるとすぐにこう尋ねるそうだ。「そいつ、闘えるのか?」。日本人は闘えないと思われてきたわけである。唯一の例外が中田英寿ではないか。長谷部がこう述べていることは、ここに何度も書いてきた。
『ヒデさんがあれだけやれたのは、強い身体を作っていたからだとつくづく思いました。思えば、ドイツワールドカップのブラジル戦でも、ヒデさんだけが互角にやれていた。僕がこちらに来ても、ヒデさんは強かったからあれだけになったと思い出さされてばかりでした。最初に毎日やらされたのが、軍隊のような体力トレーニングでしたから。毎日バタンキューでしたね』
こうして長谷部は守備から入って、半年ほど前から攻撃にも自信を持ち始めたと語っている。現在、クロス精度がリーグ4位なのだそうだ。ドイツでは非常に評価が高く、専門家には特に『日本では俊輔と同等のアイドルのはず』と思われているとのことだ。
さて振りかえって日本のサッカー・マスコミを観よう。ちょっと前までは長谷部よりも森本、最近では本田一辺倒と言えまいか。森本はもはや代表にも選ばれないだろうから置くとして、本田は確かに日本の救世主に見える。やはり日本の弱点である得点に絡むからだ。が、彼の身体の強さ、走力をも決して忘れてはならないと思う。本田は長谷部よりも前のポジションなのだが、立派に「走り回ってボールを奪う守備」もできるのである。格上の相手には、守備にも走り回る。だからこそ、全員守備の岡田ジャパンにもフィットしていると見られているはずだ。
日本のマスコミはずーっと、スペイン、オランダがお好きだった。そういうマスコミに対して僕は、最近のこの事実を突きつけてみたい。ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグの今年の決勝戦はインテルミラノ(イタリア)とバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)との闘いになった。このイタリアもドイツも守備の文化の国とも言える。ちなみに、本田はインテルに「何もできなかった」と語っているが、先年度の長谷部のチームは、バイエルンを退けて優勝しているのである。あの時のマガト監督がいなくなってから急に弱くなったのだが、楽天イーグルスを見ても分かるように集団球技ではよくあること、監督が大事なのである。長谷部は、その名監督マガトに見いだされ、鍛えられ、抜擢された選手だ。
なお、バイエルン・ミュンヘンの監督ファン・ハール(オランダ人)は、モウリーニョ(ポルトガル人)の師匠に当たる。前者がバルサの監督だった時にモウリーニョがそこの通訳だった。モウリーニョの監督見習い時代の話ということになる。この、守備の文化溢れた国の代表同士の対決。さて、どちらに軍配が上がるだろうか。僕もここは常識的に、インテルと答える。ロッベン、オリッチとバイエルンには優れたアタッカーが2人いるが、攻撃の組織でインテルが上だと思うから。バルサ戦第1戦でインテルが見せた長短のカウンターの鋭さを強調しておきたい。
インテルや長谷部を振り返って、日本サッカーに言えること。それは、これだろう。
『守備の文化が遅れているから、得点技術も上がらないのだ』
『点取り屋中心にサッカーを観る文化は、日本サッカーを遅らせている』
『育成世代にこそ、反則のない守備の文化を!』
今日明日に、そういう人々に読んで貰いたいと思われる原稿を載せると良いですよ。
「イチかバチかのパワープレー」が「図に当たった」という(『中日』小杉氏)
そして「本当にこれでいいのか」というのが森山泰行の目。
織田信長は、勝利した桶狭間の一戦を生涯、封印した。
上の3者では、僕は森山に着目。だって、これが正論でしょう。「ここ数試合、同じ流れ」と浮かない顔をしていた楢崎も、トゥーリオに申し訳ないというようなことを語っていた玉田も、森山に賛成のはず。
森山が言っていることはこれ、要するに憲剛や長谷部のような「点取り法をあれこれと準備する人」が名古屋にはいないのだろう。代表でもこの2人が欠けるとセルビア戦のようになるという難しい役割なんだけど、日本人には少ないらしい。まず、「速くて針の穴を通す正確なパス」。これを必須条件とした上で、「広い視野と戦術眼」「味方攻撃陣の熟知」。また、3人目の動きを組み込んだ攻撃の組織化もあるのではないか。
名古屋でこれをやる人は小川佳純でしょう?彼が今こそ一皮剥けないといかんのだ。ピクシーがその指導をし切らないと、監督としての将来性も危うくなってくるはず。ペップは1年目でヨーロッパチャンピオンになったし、モウリーニョがポルトでそうなったときまで、ちっとも寄り道をしていない。ブラジルにおいてシャムスカがたどった栄光への道も至極超スピードだった。大成する監督は、「準備万端、一気に開花」よろしく、成長が早いのである。最近のピクシーには焦りと、そこから来る近視眼的な悪循環すら観られる。もう2年目のような失敗は許されないし、精神的に大変でしょうね。
勝負を決めたのは、一戦目のカウンターからの三点だ。
‥それが無ければ、1-0を二回繰り返して、「苦戦しつつもバルサの勝利」だった。
守備面で見るべきは、何故(あの)バルサが似たようなパターンで三点も失ってしまったのか?なのでは?
「レベルが違うので、別物だ」と言われてしまえば、それまでだが、
日本代表がカウンターに弱く、自らは(速効全般だけど)カウンター攻撃を使いこなせていないのを見ると、そう思わずにはいられない。
それも、「点取り屋中心にサッカーを観る文化」ですか?
①『冷静に見てみれば、二戦とも失点ゼロにする事には失敗している』
このバルサを0点に抑えるのは難しいと、それだけのことでしょう。アーセナルとの第1戦、あの歴史に残る名勝負で、イブラのカウンターには驚嘆でしたもの。この名勝負については、4月3日の拙稿をご覧下さい
②『勝負を決めたのは、一戦目のカウンターからの三点だ』
これはもう、全くその通り。僕はこの点を21日拙稿でこう観ましたけどね。ちょっと長くなりますが。
『ボールポゼッションはバルサが6割を越えていたはず。しかし、インテルの守備が固い。ラインがガッチリしていて、球際に強いのである。まず、なかなかゴール前へ行けない。たまに、フリーでシュートか!と思っても必ず足が出てくるので、バルサがなかなかシュートに持ち込めない。なお、準々決勝でアーセナルを負かした立役者・メッシが徹底的に押さえられていたのも印象に残った。彼の特徴である速いドリブルに入る前に止められていた感じだ。こうして、シュート数はインテルのほうがかなり多かったと思う。
この、インテルの得点力は、こんな感じ。バルサ陣営近くへの走り込みが速く、そこへのスルーパスが非常に鋭かった。これが、何本も何本も通る。スピードに乗って上手く抜け出すのだが、それへの縦パスの速く、上手いこと。もっとも結果として、オフサイドも圧倒的にインテルの方が多いのだが』
③ただね、バルサは可哀想だった。イニエスタが欠場だったから。イニエスタは「メッシと並ぶ(伝説的)天才だ」とチーム関係者は皆語る。しかも、メッシと違って、シャビと並び中盤の要、攻守の要だから、多分このチームではメッシの欠場よりも大きなマイナスになるのではないか。「点取り屋中心文化」でないバルサファンならば、そこにこそ目を付けて、大いに自分を慰めるだろう。
「イニエスタがいたら、3点も取られるはずがない」
これは多分真実だ。
逆に、ドイツのバイエルンが久しぶりにヨーロッパチャンピオンズリーグ決勝戦に残ったのは、ファンハール監督就任を抜きには語れまい。彼は、オランダ人で、バルサの監督としても確か、ヨーロッパチャンピオンになっている。これがバイエルン監督1年目でこれだけの成績を上げた。組織的守備がねばり強いドイツでは、攻撃が分かる監督がよいのかも知れない。
振り返って日本は、どんな監督がよいのかな。僕はとにかく、どこかがシャムスカを呼び戻して欲しい。
ただ、全くもって個人的な感想ですが‥
モリーニョ監督は、そもそも、メッシ(や、イブラヒモビッチ)のとこで勝負する気は、あまり無かった気がします。
特に、一戦目でのシャビに対する執拗なディフェンスを見て、そう感じました。
オフェンスでは、あっさりサイドからの攻撃を捨てて、ディフェンスに徹するような指示が出ていたのでは?
‥まあ、本当のとこは分からないのですが、テレビで見ていた限りでは、そう感じました。
イニエスタがいても、封じ込める下地はできていた‥そんな気がします。
「シャビとイニエスタを左右のサイドに押し込めて、真ん中の曖昧な領域でカウンター戦をしかければ、勝てる(可能性が高い)」というのがモリーニョ監督の描いた絵ではなかったかな?と、僕なりに「絵」をかいてみたわけです。
まあ、本当のとこは、誰にも分からない、でも、色々考えて語り合って楽しいのがサッカーですが‥
僕の強い印象はとにかくこういうこと。第1戦は、インテルの速い攻撃が目立った。走るのが速いし、そういうスピードに乗った人間に出すパスもなんか縦へという感じに溢れていて速かったし。その証拠が、圧倒的にインテルに多かったオフサイド。
第2戦は、10人にされたからちょっと特殊なゲームになったが、あの守備の型は既に第1戦に明確に見られた。それが、三つ上の僕のコメントの②。あの第1戦、僕としては3得点以上に守備が印象的だった。とにかく、こういう印象。「相手をスピードに乗せない」。TATさんがいうこのことも、これへの布石ではなかったか?
『一戦目でのシャビに対する執拗なディフェンスを見て、そう感じました』
逆に、第1戦のインテルの攻撃は
「自分らはスピードに乗る」
こうして、インテルの強さの秘密って、この「相手をスピードに乗せないが、自分らは乗る」と。そういうコツ、工夫なのかなと考えてみた。
バルサの威力は11年、15年CL優勝以外は、ちょっと落ちた。12年と、13年はベスト4だし、14,16,17年はベスト8に過ぎぬ。その代わりに、12、13年には独勢が台頭してきたし、その後はカウンター得点のスペイン・アレッティが目立ってきた。ファンハールの流れをくむ旧来守備の流派・モウリーニョ一党が、それぞれのリーグ戦でも勝てなくなったのも、このころである。ブレンダン・ロジャース、アンドレ・ビラス・ボアスらも勝てなくなっているが、彼らもモウリーニ流儀の守備の監督と言える。
こういう変化は、従来守備では手に負えぬ点取り術が起こったと観るのが妥当であって、それが、「潰し即、得点狙い」というゲーゲンプレスのいろんな変形の出現だと、僕は理解してきた。
この流れは当面、続くだろう。繋ぎ重視で、潰しを軽んじるチームはしばらく勝てないはずだ。
ハリルが10月18日のACL準決勝、浦和対上海上港戦の浦和を「モダンサッカー」と評したのは、そういう意味に他ならないと愚考する。
なお、この流れの間中レアルはCL強豪のままだが、このチームはバルサと違って、子飼いの選手ではなく時にあった世界最高選手を金に飽かして集めてくるというやり方を取っている。いわば、世界一のオールラウンド・チームと言える。