しばらくパソコンに向き合えない事情あって、このところ立て続けに投稿。
それをいま読み返し、そこにあった慌ただしさと昂ぶりに、いささか自己嫌悪。
↓
山崎努が、“じこけんおに、あって……”と言うと
山口百恵の息子が、“事故に?” と首傾げるドラマがありました。
NHKの『キルトの家』というドラマで、脚本はいつものように
器用に生きることの出来ない人々を登場させる山田太一。
↓
山田太一といえば、
先日の『NHK日曜美術館』で、「私が敬愛してやまない画家に、ベン・シャーンがいます」と語っていました。
↓
ベン・シャーンは、50年前「第5福竜丸の被爆」をテーマにした作品で、フクシマの惨禍をに静かに告発した画家。
アメリカの貧しい町で石版工だったベン・シャーンは、虐げられた人々の嘆きと訴えを形にすべく画家となりました。
↓
山田太一は言う。
“ベン・シャーンの視点は、上からでも下からでもなく、そっと傍らにいる”
弱い立場の人々の痛みや哀しみに寄り添ったベン・シャーンの作品は
押しつけでない共感を呼び覚ましてくれ、観る者の心にそっと手を差し伸べてくれます。
★
この【ベン・シャーン展覧会】は、
現在「名古屋市美術館」で開催中。3月25日まで。
それをいま読み返し、そこにあった慌ただしさと昂ぶりに、いささか自己嫌悪。
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山崎努が、“じこけんおに、あって……”と言うと
山口百恵の息子が、“事故に?” と首傾げるドラマがありました。
NHKの『キルトの家』というドラマで、脚本はいつものように
器用に生きることの出来ない人々を登場させる山田太一。
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山田太一といえば、
先日の『NHK日曜美術館』で、「私が敬愛してやまない画家に、ベン・シャーンがいます」と語っていました。
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ベン・シャーンは、50年前「第5福竜丸の被爆」をテーマにした作品で、フクシマの惨禍をに静かに告発した画家。
アメリカの貧しい町で石版工だったベン・シャーンは、虐げられた人々の嘆きと訴えを形にすべく画家となりました。
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山田太一は言う。
“ベン・シャーンの視点は、上からでも下からでもなく、そっと傍らにいる”
弱い立場の人々の痛みや哀しみに寄り添ったベン・シャーンの作品は
押しつけでない共感を呼び覚ましてくれ、観る者の心にそっと手を差し伸べてくれます。
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この【ベン・シャーン展覧会】は、
現在「名古屋市美術館」で開催中。3月25日まで。










名古屋開催は2月11日から3月25日です。
次は岡山県立美術館から福島県立美術館の予定。
義憤として語ったとしても、ご本人たちからはこう言われるかも知れない。「余分なことだ。ほっといてくれ」。
また、こういう場合に政治問題として語るとき、一般論的正論としてはこんな言い方もあったかと思います。「主張なければ権利なし。まずご自分らが叫ばなければ。まだまだ貧困で、横暴で、不条理な社会なのです」。これはまー、権利意識というか、自治の思想というか、それが政治の基礎だという正しい側面をついた言葉なのでしょう。
こういうようなわけで、その弱い立場の人のことをその外にいる人が問題にするとき、まー案外いろいろな難しさがあるということだと思います。
そんな難しさを見つめるときに,上のこの言葉が意味を持ってくるのでしょうね。
『上からでも下からでもなく、そっと傍らにいる”。弱い立場の人々の痛みや哀しみに寄り添ったベン・シャーンの作品は押しつけでない共感を呼び覚ましてくれ』
「人の話を聞かず、異なる存在を許さず、感情的に罵倒する」人。
こういう一部の人の存在が、この国を汚していると警鐘を鳴らすのは、
かって自分もそうであったと自戒する、鈴木邦男氏。
名乗れない人よ、判りますか。