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草食系は進化の過程・・・?   らくせき

2012年02月12日 | Weblog
朝鮮日報の記事です。

恋愛や消費に消極的で、夢も希薄な若者を指す「草食系」という言葉は、
日本では否定的な意味を持つ。
この言葉は、現実に安住し、留学も海外勤務も避け、
デモもしない日本の青年たちの特徴を表現する新造語だ。
しかし最近、草食系は「ポスト成長時代に適応した青年モデル」だとする
肯定論が持ち上がっている。

これは、みずほ総合研究所の高田創チーフエコノミストが
最近『「草食系」はバランスシート(貸借対照表)調整の「進化型」』と
いうタイトルの論文のなかで展開したもの。

高度成長期は期待水準が高まり続け、
冒険を楽しむ肉食系が主導する世の中だったと分析。
高度成長期には、インフレの中で負債を活用する
攻撃的な投資(レバレッジ)が盛んに行われた。
日本も、出世や金のためなら困難をいとわない
「エコノミック・アニマル」型サラリーマンが主流だった。

ところが、過去20年続いてきた低成長の中で、
高度成長期の行動様式に従ってきた肉食系は挫折を繰り返し、
最終的に草食系へ進化したという。

社会学者の古市憲寿は最近、著書『絶望の国の幸福な若者たち』を通じ、
日本の若者の70%が現在の生活に満足している など、
過去40年に渡る調査の中で最も幸福度が高いと主張した。
長期不況に適応し、期待水準そのものを低くした草食系の若者が増えたせいだ。

高田は、前掲論文で、米国や欧州の場合、構造的に
低成長経済体制になったにもかかわらず、
政府が肉食系の有権者を満足させるため、
不動産や金融バブルを利用して強引に高度成長を維持することから、
結局はバブル崩壊という破局を迎えていると主張する。


たしかに民主党政権のジレンマのひとつに、
依然として高度成長期の幻想にとらわれている国民の期待に応えるため、
財政赤字の拡大や、減税政策など、ポピュリズム的政策を
展開していかざるを得ないという現象がある。
こうした現象は、ある面で、政治の無能にも原因がありそうである。

何事も表があれば裏。万事塞翁が馬かな・・・
でも、こう考えれば、あまり暗くならずにはすみそう。
少子化でも、光と影があるのでしょうね。









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キーワード
高度成長期 ポピュリズム バブル崩壊 レバレッジ みずほ総合研究所 貸借対照表
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2 コメント

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感想 (文科系)
2012-02-12 21:43:07
 草食系、肉食系の定義をしっかりしないと、社会、人間への見方も誤ってくると思う。多面的な価値を持つ人間を、どの面から切って観ているかということなのだから。
 戦後の廃墟から「高収入、高ポスト」への競争社会が始まった。ここにおける典型的な男たちを近ごろ肉食系と呼び始めたのだろう。競争好きで、他を食い、好色であるなどなどが、その特徴だろう。競争は日本的組織と組織の争いだから、組織への忠誠心はどんな正義よりも大前提となった。集団的肉食系と言えばその典型は、オオカミ・犬族というところか。

 こういう男たちの失ったものは何か。「物事を組織的に上手く成し遂げる」以外の、人間素養の多くを失ったと言えまいか。飯は掻き込むだけで、五感を鍛える暇もなかったから、文化的喜びなどは少ない。この点は例えば、同世代の女性と比較統計を取ると非常に分かり易いはずだ。仕事に関係ない人間関係、親しい人々と作り合う幸せも少なかったと言えまいか。これも中高年の男女を比べるとよく分かるはずだ。

 さて、こういう定義で現代社会を見る時、こんなことを思う。社会の表面で踊り回っている人々は相変わらず肉食系である。会社人間、政治家、官僚、これらいずれもが競争好きで、好色であるのは明らかだろう。
 他方、競争から下ろされた人だけでなく、下りた人も随分増えてきたのではないか。こういう人々の中には、「五感の喜び」や「親しい人間」が戻ってきた人々は確かに多いと思う。安くて美味しいものを探す人、自然好きな人、きれいな小物で家や部屋を飾って楽しむ人、友達を大事にする人などなど。こういう意味ではエントリー標記の命題は、正しい側面があると思う。新しい社会正義もこういう所からしか始まらないのだから。
 
 
感想 (文科系)
2012-02-20 06:36:38
 上の文章をちょっと書き直して、加筆してみました。僕にとっても日本人にとっても、大切なものと思う内容だから。

感想 (文科系)
 草食系、肉食系の定義をしっかりしないと、社会、人間への見方も誤ってくると思う。多面的な価値を持つ人間を、どの本質的側面から切って観ているかということなのだから。

 戦後の廃墟から「高収入、高ポスト」への競争社会が始まった。ここにおける典型的な男たちを近ごろ肉食系と呼び始めたのだろう。競走馬さながらの競争好きで、他を食い、種馬よろしく好色であるなどなどが、その特徴だろう。競争は日本的組織と組織の争いだから、組織への忠誠心はどんな正義よりも大前提となった。集団的肉食系と言えばその典型は、オオカミ・犬族というところか。そう言えば、イヌも好色の象徴の1つ?

 こういう男たちの失ったものは何か。「物事を組織的に上手く成し遂げる」以外の、人間素養、教養の多くを失ったと言えまいか。飯は掻き込むだけで、五感を鍛える暇もなかったから、文化的喜びなどは少ない。この点は例えば、同世代の女性と比較統計を取ると非常に分かり易いはずだ。特に、一生仕事を持った(専門職などの)女性と。仕事に関係ない人間関係、親しい人々と作り合う幸せも少なかったと言えまいか。これも中高年の男女を比べると大きな違いがあることがよく分かるはずだ。

 さて、こういう定義で現代社会を見る時、こんなことを思う。社会の表面で踊り回っている人々は相変わらず肉食系である。会社(ライン上級)人間、政治家、官僚、これらいずれもが競争好きで、好色であり、ザンデル教授の授業テーマではないが日本では特に「社会的公正、正義よりも組織」であるのは明らかだろう。
 他方、競争から下ろされた人だけでなく、下りた人も随分増えてきたのではないか。こういう人々の中には、「五感の喜び」や「親しい人間」が戻ってきた人々は確かに多いと思う。安くて美味しいものを探す人、自然好きな人、きれいな小物で家や部屋を飾って楽しむ人、自分の城を大事にし始めた男、友達を大事にし始めた人などなど。
 こういう意味ではエントリー標記の命題は、正しい側面があると思う。新しい社会正義もこういう所からしか始まらないのだから。
 
 振り返れば、僕の兄弟姉妹4人のうち、兄、弟、妹は上の典型らしく、僕自身も形は異なるが例外とは言えないと今は観ている。僕の両親が多分これの典型。しかも明治末生まれの中流以下から大変な成り上がりを見せた走りなのだから、子供もそう育ったと僕は振り返ってきた。僕がここでこんなことを書いている(書ける)のが、書いている内容も含めて、そういう「家族」の反省なのかも知れない。
 但し一言。兄弟皆、金には執着しない。というよりも金儲け蔑視があった。そして、学問、研究に執着してきた。また、下に行くほど(最後がいわゆる団塊世代。兄がその9学年上だ)、競走馬度が増して、人間としてのゆがみが増しているように見える。兄だけには、僕と同じこの反省が1部重なるようだ。弟はどうも、この反省?が形式的で、むしろ悪く働いているように見える。世間知らずの、小心な人間なのだが。

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