国連は反戦組織です。国連憲章前文の冒頭にこう謳っているのが、第1にその証拠。
『われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い・・・・ここに国際連合という国際機関を設ける』
ここに書かれた。『将来の世代を救い』とは、「長いスパン」での国連の最大目的が戦争を無くすことという以外には解釈できないはずです。
また第2に、これも何回か述べていることですが、第一条第一項も「国際の平和及び安全の維持」とあります。ヒトラー、東條が起こした第二次世界大戦などはもうコリゴリだという世界の当時の想いが詰まった文言かと解釈していますが。
前文冒頭と、第一条第一項とがこうなっている以上、国連の最大目的は平和、反戦(組織)だということです。
なお、国連のこの最大目的は、反対物である戦争が現にこれだけ存在すると述べた所でこれを否定したり、無いものにできたりしたことにはなりませんし、だから無意味だということにもなりません。
こういう長いスパンの最大目的を持った国際機構が存在するというのは、存在しない19世紀とは全く違います。これらの理念、条項に基づいて例えば違法戦争の基準、定義があるだけでも全く違うと、国際法学者たちは皆述べています。
この違法戦争条項についても、違法戦争が現に多く起こっているから無意味だということにも、上と同様の理由でなりません。
次に、戦争を長いスパンで根絶していくためには、常備軍もなくさねばならぬというのは、18世紀ドイツの大哲学者カントや米大統領ウィルソンが間違いなく想い描いていた所です。ウィルソンは、カントの「永遠平和論」に導かれて国際連盟設立を主導、奔走したのですから。ある理論というものが、現実政治変革に関わってこんなに大きな力を持つものだということも、ここで明記しておきたいと思うものです。
また、警察力と軍事力との違いも前に指摘したとおりです。軍事力のない国でも、警察力はありますね。
またなお、国連が掲げた反戦理念の実現については、以上のような論議、実践を長く、細かく積み上げていく必要があるのだとは、前に述べたとおりです。常備軍廃棄は永久に幻想という人と、国連理念を細かく実践していこうという論議をしたい人との時代時代の綱引きで、「将来の世代を救い・・・」が千年後になるか、百年後になるかという、そんな差さえ生まれてくるのだと、僕は確信しています。
さらにまた、こういう理念に合う時代合わぬ時代という問題もあり、その点では新自由主義という生き馬の目を抜くような現代は、国連憲章にとって最も不幸な時代だとも愚考してきました。こういう今とは違って西欧には2度の世界大戦(国家総力戦)で相当懲りた時代もありましたが、他はまだまだ痛切な歴史から学ぶという懲り方が足らないのかも知れないとも思ったりします。日本などはまだまだ「敗戦」でなく「終戦」と言いたがる人も多く、中国も懲りているのかどうか・・・??
ただ、こんな現代でさえ、この事は信じています。事故でなく故意で核兵器を使う国はもう現れてこないだろうと。90年以降にこれだけ酷いことを重ねてきたアメリカでさえ、72年間小型原爆一つ使っていない訳です。これはもう、21世紀人類の到達点になったかと、貴方には笑われるかも知れないが、愚考してきました。このことにも、国連、その理念、違法戦争の定義などが関わっているとも、確信しています。
これだけ国連規則を蹂躙してきた米国が国連を出られないことにも、「国連理念」の力が働いていると、また愚考してきました。いくら力に任せた正に横暴、自分勝手を押し通していても、やはりどこかで「正義」という「良い子の顔」も欲しいのでしょう。どんな悪人政治家でも、自分のたった一度の人生に「これほどの世界史的汚名」は覚悟できなくなったのだろうかと、考えたりもしてきました。
『われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い・・・・ここに国際連合という国際機関を設ける』
ここに書かれた。『将来の世代を救い』とは、「長いスパン」での国連の最大目的が戦争を無くすことという以外には解釈できないはずです。
また第2に、これも何回か述べていることですが、第一条第一項も「国際の平和及び安全の維持」とあります。ヒトラー、東條が起こした第二次世界大戦などはもうコリゴリだという世界の当時の想いが詰まった文言かと解釈していますが。
前文冒頭と、第一条第一項とがこうなっている以上、国連の最大目的は平和、反戦(組織)だということです。
なお、国連のこの最大目的は、反対物である戦争が現にこれだけ存在すると述べた所でこれを否定したり、無いものにできたりしたことにはなりませんし、だから無意味だということにもなりません。
こういう長いスパンの最大目的を持った国際機構が存在するというのは、存在しない19世紀とは全く違います。これらの理念、条項に基づいて例えば違法戦争の基準、定義があるだけでも全く違うと、国際法学者たちは皆述べています。
この違法戦争条項についても、違法戦争が現に多く起こっているから無意味だということにも、上と同様の理由でなりません。
次に、戦争を長いスパンで根絶していくためには、常備軍もなくさねばならぬというのは、18世紀ドイツの大哲学者カントや米大統領ウィルソンが間違いなく想い描いていた所です。ウィルソンは、カントの「永遠平和論」に導かれて国際連盟設立を主導、奔走したのですから。ある理論というものが、現実政治変革に関わってこんなに大きな力を持つものだということも、ここで明記しておきたいと思うものです。
また、警察力と軍事力との違いも前に指摘したとおりです。軍事力のない国でも、警察力はありますね。
またなお、国連が掲げた反戦理念の実現については、以上のような論議、実践を長く、細かく積み上げていく必要があるのだとは、前に述べたとおりです。常備軍廃棄は永久に幻想という人と、国連理念を細かく実践していこうという論議をしたい人との時代時代の綱引きで、「将来の世代を救い・・・」が千年後になるか、百年後になるかという、そんな差さえ生まれてくるのだと、僕は確信しています。
さらにまた、こういう理念に合う時代合わぬ時代という問題もあり、その点では新自由主義という生き馬の目を抜くような現代は、国連憲章にとって最も不幸な時代だとも愚考してきました。こういう今とは違って西欧には2度の世界大戦(国家総力戦)で相当懲りた時代もありましたが、他はまだまだ痛切な歴史から学ぶという懲り方が足らないのかも知れないとも思ったりします。日本などはまだまだ「敗戦」でなく「終戦」と言いたがる人も多く、中国も懲りているのかどうか・・・??
ただ、こんな現代でさえ、この事は信じています。事故でなく故意で核兵器を使う国はもう現れてこないだろうと。90年以降にこれだけ酷いことを重ねてきたアメリカでさえ、72年間小型原爆一つ使っていない訳です。これはもう、21世紀人類の到達点になったかと、貴方には笑われるかも知れないが、愚考してきました。このことにも、国連、その理念、違法戦争の定義などが関わっているとも、確信しています。
これだけ国連規則を蹂躙してきた米国が国連を出られないことにも、「国連理念」の力が働いていると、また愚考してきました。いくら力に任せた正に横暴、自分勝手を押し通していても、やはりどこかで「正義」という「良い子の顔」も欲しいのでしょう。どんな悪人政治家でも、自分のたった一度の人生に「これほどの世界史的汚名」は覚悟できなくなったのだろうかと、考えたりもしてきました。
国際連合安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為の存在を決定し、勧告を行うとともに、非軍事的強制措置・軍事的強制措置をとるかを決定することができる
「軍事的強制措置をとるかを決定することができる」
「軍隊と警察とは違う」
なお、カントも言うような常備軍を無くした暁には、警察力も今のように強力なものである必要はなくなるでしょう。
これと同様に、戦争を無くすのは人類の長いスパンで続いていく行為。こういう論議に、今の現実をそのまま対置しての形式論理批判などは、無意味なことが多いと思います。そもそも、数百年単位のような話と、目前の現実の話とは全く違うのですから。つまり「現実、現実」とだけ語ってもしかたないもの。スパンの長い取り組み論議は、スパンの長い歴史学習からしか出て来ないもののはずで、そういう長い人類史がまた、目前のことよりも遙かに重い現実です。ただその学び方は、目前のことを学ぶよりも難しいもの。
こうして、目前の現実に縛られているだけでは、何の価値ある討論も出来ないと思います。長いスパンの討論、取り組み話って、そういうものじゃないでしょうか。
以上は、こういうことと同じ論理です。中長期計画のない会社は厳しい時代には生き残れません。そういうものを作り上げるために話し合っている場で、こんな話をしても仕方ないでしょう。
「この計画のこの部分、今のあの部長では到底無理です」
「現実、現実」と語っている人は、中長期計画の意味そのものが分からない場合も多いものだと思います。
のようだけど、毎回書いてあるアメリカ批判も今の現実のアメリカにこだわった処からきているわけでしょう。
何も片方だけが現実の話をしているとはとても思えない。
言葉を借りるならば、数百年単位の話をするのに現在のアメリカ批判は話が違うとなる。今のことだけ見ているのと変わらないから。
そして、人類が抱える問題というものも今の現実からこそ出てくるのだ。ただしここに途方もない難問が出てくる。
今の何を問題と見るかは、その人、その人の長い人類史理解に懸かってくるのだと思いますね。今の現実しか見えぬ人は、今への問題意識も薄いでしょう。カントは哲学者ですが、100年後の反戦組織、国際連合誕生を正しくも予言していたと言って良い。ながい歴史(的現実)を正しく理解、分析していたということでしょう。
それだけのことを述べたにすぎません。
でもって、中国もロシアも、国連を重視していない風。
そりゃ、色々厳しいね。
私は反戦組織というのですから、戦争そのものを認めないことが反戦組織だと思うのですが、どうも文科系さんの認識は違うようです
国連は、国際連合憲章第7章に明記されているように、世界平和を乱す国・組織への「軍事的強制措置を取ること」を容認しています
国連憲章第7章の規定のもとに、安全保障理事会は国際の平和と安全を維持または回復するために強制措置をとることができる。強制措置は経済制裁から国際的な軍事行動にまで多岐にわたる。(国際連合広報センター)
「軍事行動を容認している反戦組織」
言葉としても矛盾していますよね
そして、そもそもこの議論の発端となった文科系さんの「軍事力の無くしかたを聴いてみたい」でしたが、国連は軍事力の保持を否定していませんし、軍事力を無くすことを目的とした組織でもありません
軍事力を無くしたら、国連軍も編成できませんし
①「将来こうしたい」という最大組織目的が、その組織そのものということです。
②それと違う現実はあって当たり前。それらを変えていくために作ったのですから。
③その現実に向かい合いつつ平和を実現していこうというのですから、その途上で軍備も必要ということ。そこから、警察軍がある。
④この発動には厳密な連合規定がありますから、これは従来の軍事とは全く違います。ここがまさに、警察ということ。
⑤戦争を無くすために将来常備軍を無くせたら、警察力も小さくできるはずです。これがカントの構想。
こういうことをはっきりさせると,アメリカのイラク戦争がいかに非合法なものかが実にはっきりとしてくるわけです。こうして、国連の存在、その性格理解が現実のためにこそ大事になると思うのです。これはつまり、現実理解のための議論という積もりでした。「現実派」があまりにも国連のことを語らないから必要な議論と思ってきたのです。
付き合って下さって、色々有り難うございました。
それなら私の主張とは大差ありませんね
米ロ中英仏やイスラエル・インド・パキスタンそして北朝鮮が核兵器を捨て、ロシア・中国・北朝鮮が完全に民主化し、各国の領土問題が解決した未来なら、平和の実現のための軍縮という政策も十分現実的となりますから、私も否定しませんし、むしろ推奨します
北朝鮮が弾道ミサイルを撃ちまくり、中国が空母艦隊を複数運用し、イスラエルが相変わらず国連を完全無視してパレスチナを占領している現状において、近い将来においてもあまり期待できない未来ではありますが
こちらこそ長々付き合って頂きありがとうございました