24日に「年をとった」という随筆で、「不整脈の悪化で走れなくなった、様子を見ている」と書いた。その様子見も2ヶ月続いてきた。ただ、あの随筆にも書いたように、筋肉の衰えを防ぐために家での階段往復の運動は続けていた。平均120往復ほどの。
さて、一昨日のこと、思い切ってジムへ行った。9月中頃以来である。「ウオームアップを念入りにしよう」という方針だけをもって。そしたら、後半40分近くは走り通せたのである。天にも昇る気持ちだった。
日ごろ5分程度のアップをこの日は20分近くやった。軽い体操の後、歩く時間をとにかく増やした。歩いてちょっと走り、また歩く。この繰り返しを20分ほど。そしたらあとはハートレートモニターに何の異常もなく走りきることができたのである。アップの歩行と合計して1時間で7.3キロ。それでももう嬉しかったこと! 2年前には1時間なら最大限12キロ、1年半前でも11キロ以上は走れていたのだけれど、この7.4キロがこんなに嬉しいとは。
希望が出てきた。以前の4~5倍のアップをすれば、走れると分かったのだし、最大スピードがどこまで出せるかはまだ実験してない。心拍140ちょっとまでしか出していないから。これから様子を見ながらいろいろやってみよう。1年半前のように心拍170近くまでは無理としても、160近くまでは出せると思うのだが。
「アップがほとんど要らなかった僕の体が、人一倍入念なアップを必要とするようになったのだ」
こういうことだけではないのだろうが、こんなことも発見しなければ走るのをもう諦めていたのだなーと、何か感慨無量である。いろいろ試しては来たのだが、年をとる分、いろんな観察、工夫がさらにいるということだろう。今までも、5年ほど前に不整脈が出たとき以来、諦めずにいろいろくふうしつうやってきたのだ。
さて、一昨日のこと、思い切ってジムへ行った。9月中頃以来である。「ウオームアップを念入りにしよう」という方針だけをもって。そしたら、後半40分近くは走り通せたのである。天にも昇る気持ちだった。
日ごろ5分程度のアップをこの日は20分近くやった。軽い体操の後、歩く時間をとにかく増やした。歩いてちょっと走り、また歩く。この繰り返しを20分ほど。そしたらあとはハートレートモニターに何の異常もなく走りきることができたのである。アップの歩行と合計して1時間で7.3キロ。それでももう嬉しかったこと! 2年前には1時間なら最大限12キロ、1年半前でも11キロ以上は走れていたのだけれど、この7.4キロがこんなに嬉しいとは。
希望が出てきた。以前の4~5倍のアップをすれば、走れると分かったのだし、最大スピードがどこまで出せるかはまだ実験してない。心拍140ちょっとまでしか出していないから。これから様子を見ながらいろいろやってみよう。1年半前のように心拍170近くまでは無理としても、160近くまでは出せると思うのだが。
「アップがほとんど要らなかった僕の体が、人一倍入念なアップを必要とするようになったのだ」
こういうことだけではないのだろうが、こんなことも発見しなければ走るのをもう諦めていたのだなーと、何か感慨無量である。いろいろ試しては来たのだが、年をとる分、いろんな観察、工夫がさらにいるということだろう。今までも、5年ほど前に不整脈が出たとき以来、諦めずにいろいろくふうしつうやってきたのだ。
当方は成り行き任せの日々、観察はするが、工夫はなし。
日常生活がおくれればよい、程度のこと。
あなたの根性には感心するばかり。
不整脈ランナーの雄姿が早く見たいものです。
こういう会話ができるのは、特に楽しいです。日々の生活で気にしていること楽しんでいることなど、実感がこもったテーマは「公的な作文」じゃありませんから。社会・政治言論にもその人の顔が見えていれば、全くニュアンスも変わってくるだろうともね。
公私を完全に分けてしまって、公が絵空事、「大義」になりがちな日本人の癖に逆らって、スポーツや随筆をも書いているつもりなので、ご応答が嬉しいんです。
82歳で死んだ父が「不整脈に全てをくじかれた老後」のように見えました。病気と生活の悪循環。入院何十回というのも、長兄が大病院の医者だったからできたこと、さもなければ70半ばで死んでいたと思います。
病気は結構、迎え撃てるもの。生活を変えないでも良い、いろんな道があるもの。父に反面教師として、こういう老後を教えてもらったようなものでした。。
病名は突発性の、心房細動と期外収縮。例えば、走りすぎるといきなり220もの心拍になる。すぐに歩くと納まるのですが、血栓が怖い。疲れを全く感じていないのにいきなりくるから、怖いんです。