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随筆紹介 「ある一日」  文科系

2017年12月09日 10時53分41秒 | 文芸作品
随筆 ある一日  H・Tさんの作品です

 
 若い時は考えもしなかったが、老いた今身辺整理の話をよく耳にするようになった。さて、私もとやり始める。不要な物を捨てるにも金のいる時代。古着は資源回収日に少しずつ……。食器など形のある物は決められた日に、決められた袋に入れて捨てると、難しい。
 一番やっかいなものは蔵書。友人にと思うけど、好みはそれぞれでこれも大変だ。そしてまた本はずっしりと重い。それでもと空の段ボール箱を用意してとりかかるが、思わぬ本に出会うとパラパラと頁だけでは終わらない。読み始めて日が暮れ、箱の中はまだ空っぽ。

 このあいだ朝から整理していたら、黄ばんでいたが野坂昭如氏の著作”アメリカひじき”が出て来た。アメリカの飛行機から落下傘とともに落ちて来た物を拾い上げてみたが、英語を読める人はいない。紅茶の葉っぱをひじきと思い、煮ても煮ても食べられず困ったという話。
 ずい分前のことだが私は驚いた。同じような出来事が私の住んでいた里にもあったのだ。

 戦争が終わり、学徒動員という名で働いていた工場は閉鎖。久しぶりの休日で家に居た。気力も読みたい本も新聞もなく、ラジオは雑音がガァーガァーで離ればなれになった友人知人を捜す放送をしていた。電灯も夜二時間だけ、突然の停電はあたりまえという貧しい日々。周りの田んぼに稲の穂が出始めたうだるような残暑の日だった。
 静かな外の様子が急に騒がしくなり飛び出してみると、アメリカのプロペラ機が近くの小学校の屋根すれすれにくるくるしながら、何かを落としていた。四角な箱、大きな麻袋などが次々で、近くの田んぼにはどろ水が上がっている。みんなは家の中からびくびくと眺めていた。やがて飛行機が飛び去り、落下物に変化もないのでおそるおそる近寄ってみると、どうも食べ物らしい。書かれている英語を読める者はひとりも居ない。小学校が、アメリカの捕虜収容所と間違えて食料を落としたと言い出し、我先にと拾いだした。田んぼの中は踏み荒らされ、あっちこっち怒鳴り声がして、みんなが必死に拾い、抱え込んで家の中へ。

 やがて夕方。だれが言い出したのか”今にアメリカ兵が電気の機械をもって調べ上げ、見つかったらひどい目にあわされる”。”電気探知機”におびえて、天井へ、仏壇の奥へと隠したりもした。そして、このことは絶対に口外しないようにと、秘密の大騒ぎ。
 しばらくして、ひそひそと、今で言う情報交換。箱の中から出て来た「アメリカ石けん」に大喜びも始まった。長い間石けんなど手にしたこともないその黄色。今まで灰を水に溶かしその上澄み液で洗って、色が付いてしまった下着やシーツを持ち出して、腕まくりで洗い出した。ねっとりとしたそれは手や洗い物にくっつくだけ、泡も出ないし、汚れもひどくなるばかりか、湯に入れても溶けないし、大弱りとなった。放り投げ始められた「アメリカ石けん」はチーズ、知っている人はいなかったのである。
 大根のように太く、ひもでくくられた物は、どうやら食べ物らしい。
「こんな馬のチンポコを毛唐は喰うんか」と言いながら、勇気ある爺様がパクリ。
「うまい。肉のかたまりだ」と言うと、コンロを外に持ち出して、薄く切って金網にのせ、うちわでパタパタやりだした。ハムやサラミとは知らなかったのである。紅茶の葉っぱは、「アメリカ煎じ薬」。ただ、何に効くのかが分からない。「さわらぬ神にたたりなし」と大げさなことを言いながら畑に埋められた。「缶入りアメリカ茶」は苦いと捨てられて、一件落着。コーヒーも知らなかったのである。
 地区の男衆が集められて夜提灯を手に家々を回り、アメリカ兵が調べに来ても絶対にしゃべってはいかんと、そんな日々を過ごした。
 荒れた田んぼは総出でどろんこになりながら元に戻し、このことは終わった。

 貧しかった遠い昔。みんなは必死に生きていた。

 気が付けば、きょうも段ボール箱は空っぽのまま、冷たい夜のとばりが落ちているだけであった。

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2 コメント

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ほろ苦く (らくせき)
2017-12-10 09:35:10
楽しいお話。ユーモアもあります。

ご本人に伝えます (文科系)
2017-12-10 12:50:49
 らくせきさん、良い評をありがとう。
 この作品は後世に伝えるべく遺しておく価値ある内容とともに、お仰る特長も備えていて、とても良い作品と僕も読みました。

 この方の生まれは多治見市。家内工業に毛の生えた程度の窯元の家に生まれた四捨五入90歳の独身女性です。養護学校の先生を務め終えられて、東山公園植物園のボランティア・ガイドさんもされているし、日朝友好にも色々努力されてこられた方です。

 ご本人にお伝えします。重ねて、ありがとう。

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