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「100年に1度の危機」とは何だったのか(6)  文科系

2016年12月01日 07時49分23秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 第3章 金融グローバリゼーションの改革

 第1節 国際機関などの対応

 金融グローバリゼーションの主は『アメリカ型の市場経済至上主義に基づく政策体系』で、これが主導する世界的合意がワシントンコンセンサスと呼ばれてきたもの。これにめぐって「100年に1度の危機」直後にはこんな状況があった。
『2009年のロンドンG20で、当時の英首相ブラウンは、「旧来のワシントン・コンセンサスは終わった」と演説しました。多くの論者は、ワシントン・コンセンサスは、1970年代にケインズ主義の退場に代わって登場し、1980年代に広がり、1990年代に最盛期を迎え、2000年代に入って終焉を迎えた、あるいは2008~09年のグローバル金融危機まで生き延びた、と主張しています。IMFの漸進主義と個別対応への舵切りをみると、そうした主張に根拠があるようにもみえます。
 しかし、ことがらはそれほど単純ではありません。1980年代から急速に進行した金融グローバル化の歯車は、リーマンショックによってもその向きを反転させることはありませんでした。脱規制から再規制への転換が実現したとしても、市場経済の世界的浸透と拡大は止まることはないでしょう』(前掲書、伊藤正直著「金融危機は再びやってくる」)

 ここで言うロンドンG20の後2010年11月のG20ソウル会議では、こんな改革論議があった。①銀行規制。②金融派生商品契約を市場登録すること。③格付け会社の公共性。④新技術、商品の社会的有用性。これらの論議内容を、前掲書「金融が乗っ取る世界経済」から要約してみよう。

①の銀行規制に、最も激しい抵抗があったと語られる。国家の「大きすぎて潰せない」とか「外貨を稼いでくれる」、よって「パナマやケイマンの脱税も見逃してくれるだろう」とかの態度を見越しているから、その力がまた絶大なのだとも。この期に及んでもなお、「規制のない自由競争こそ合理的である」という理論を、従来同様に押し通していると語られてあった。
 ②の「金融派生商品登録」問題についてもまた、難航している。債権の持ち主以外もその債権に保険を掛けられるようになっている証券化の登録とか、それが特に為替が絡んでくると、世界の大銀行などがこぞって反対すると述べてあった。ここでも英米などの大国国家が金融に関わる国際競争力強化を望むから、規制を拒むのだ。
 ③格付け会社の公準化がまた至難だ。アメリカ1国の格付け3私企業ランクに過ぎないものが、世界諸国家の経済・財政法制などの中に組み込まれているという問題がある。破綻直前までリーマンをAAAに格付けていたなどという実績が多い私企業に過ぎないのに。この点について、同書中に紹介されたこんなニュースは、日本人には大変興味深いものだろう。
『大企業の社債、ギリシャの国債など、格下げされると「崖から落ちる」ほどの効果がありうるのだ。いつかトヨタが、人員整理をせず、利益見込みを下方修正した時、当時の奥田碩会長は、格付けを下げたムーディーズに対してひどく怒ったことは理解できる』(P189)
 関連してここで、16年10月15日の新聞にこんな文章が紹介されていた。見出しは、『国際秩序の多極化強調BRICS首脳「ゴア宣言」』。その「ポイント」解説にこんな文章があった。
『独自のBRICS格付け機関を設けることを検討する』
 15日からブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ5カ国の会議がインドのゴアで開かれていて、そこでの出来事なのである。
 ④「金融の新技術、商品の社会的有用性」とは、金融商品、新技術の世界展開を巡る正当性の議論なのである。「イノベーションとして、人類の進歩なのである」と推進派が強調するが、国家の命運を左右する為替(関連金融派生商品)だけでも1日4兆ドル(2010年)などという途方もない取引のほとんどが、世界的(投資)銀行のギャンブル場に供されているというような現状が、どうして「進歩」と言えるのか。これが著者の抑えた立場である。逆に、この現状を正当化するこういう論議も紹介されてあった。
『「金作り=悪、物作り=善」というような考え方が、そもそも誤っているのだ』

 伊藤正直氏が「金融グローバル化の歯車は、リーマンショックによってもその向きを反転させることはありませんでした」と語るように、国際機関の対応の鈍さを観る時、こう思わずには居られない。米英など大国国家が金融に関わって「国際競争力強化」を望むから、規制を拒むのだと。さらには、この「国際競争力強化」願望に関わって、以下のような方向さえ観られるようになった。

 初めは現物輸出入の赤字分を金融収支の黒字分で補ってきたという程度から、この「国際競争力強化」願望はいまや金融でもって世界政治経済を制覇できるのではないか、と。世界の主要企業、穀物・食肉・石油・医療・流通など主要産業分野を金融が握りたいというだけではない。諸国家(の独立性)を浸食できるという野望さえ今やうかがわれるのである。通貨戦争に破れて破産した国家には通常ではIMF(国際通貨基金)が出動して、その国家財政方針を、つまり税金の使い方を決めてきた。これを国連(経済正規部隊)が破産国家救援に出動したと観て国連正規軍派遣になぞらえるとしたら、経済版の「紛争国家への有志国軍出動」の道もあるという理屈だ。現に、破産国ギリシャがゴールドマンを指南に入れたという、そんなやり方のことである。国家財政やその税金も世界金融に狙われるだけではなく、国家主権そのものが狙われているのだと言いたい。税金がなくなった国家は未来の税金も自由には支出できなくなる。つまり、施政の自由もなくなる。苦し紛れの窮余の一策にせよ税の使い方を金融に任せた国はもはや自立国家ではあり得ないということだ。ちなみに、中東、アフリカから膨大な難民が発生、流出したのは、こんな背景もあるはずだ。NICSと呼ばれたことがあるタイや韓国の経済・国家規模に比べれば、中東や北アフリカの中小国家から税金を奪うことなどは、国際金融にとっては朝飯前のはずだからである。

 浜矩子が「国家がなくなる」と語るのは、これに近い議論である。あまりにも目に余る紛争国家などには有志国軍出動ではなく国連軍の正規介入をと、またそれに相応しい民主的国連の建設をと、経済戦争についても主張していくしかない。
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