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あまりにくだらな過ぎる広島・長崎のオリンピック招致

2009年10月13日 17時52分16秒 | Weblog
★私の愛読するピープルズプラン研究所http://www.peoplesplan.org/jp/のHPに{山口響氏}の見出しのような記事を見ておゃつと思った。
 東京招致失敗の直後に提案された広島・長崎のオリンピック招致の立候補に「やるじゃん。」と感心していた単純な私はその批判的な記事に驚くとともに「なるほど」と思ってしまった。皆さんはいかがお考えでしょう。(ネット虫)
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 広島・長崎の両市が、2020年のオリンピック開催地として立候補を検討しているというニュースが流れた。

 正直耳を疑った。

 広島の秋葉市長も長崎の田上市長も、停滞を打ち破って颯爽と登場し、就任わずか10ヶ月ほどでノーベル平和賞までかっさらったオバマ大統領が先導している世界の「核廃絶気運」という熱に浮かされているとしか思えない。

 そもそも、東京が2016年の招致に失敗したことの検証すら、主流のメディアにおいてはほとんどなされていない段階で、なぜ招致の意図を明らかにする必要があったのだろう。

 ひとつにはカネの問題だ。東京都議会の福士敬子議員によれば、招致活動費は200億円を超えるだろうという。広島・長崎のような、東京に比べれば吹いて飛ばされるような弱小な自治体が、いったいどうやってこれだけの費用を捻出するというのか。

 オリンピックがいかにカネに汚いものであるかは、アンドリュー・ジェニングス著『オリンピックの汚れた貴族』を1冊読むだけで十分だ。100人近いIOC(国際オリンピック委員会)の委員たちは、招致活動を繰り広げる世界の各都市によって接待漬けになる。ファーストクラスでの旅行や豪華なディナー、スウィートルームは当然で、その大部分が男である委員たちは、招致側の用意した女性を買うこともあるという。それもこれも、招致のために必要なことだとして、招致費用の中から捻出されるのだ。

 東京招致が失敗したあと、石原都知事は、リオの選出に関して「目に見えない政治的な動きがある」と述べたが、なんのことはない、石原はちょっと正直すぎただけなのだ。東京はIOC委員の歓心を買うような接待ができなかった――東京落選の原因は、大部分それなのである。

 広島や長崎は、「核廃絶を目指す」という美名のもと、そのような汚い招致活動にのめり込む覚悟はあるのか。そんな招致にかけるカネがあるのなら、高齢化の進む被爆者援護にでも出資したらよいのではないか。

 もうひとつの問題は、広島・長崎が、「オリンピックは『平和の祭典』であり、世界で唯一の被爆地である広島・長崎はこれにふさわしい」という趣旨の主張をしていることだ。

 言っておくが、ナチスがドイツの国威発揚のために大いに利用した1936年のベルリン・オリンピックの例を出すまでもなく、オリンピックが「平和の祭典」であったことなど、過去一度もないといってよいだろう。

 1968年のメキシコ・オリンピックでは、オリンピックの開催に反対する学生約300人が、メキシコ軍によって虐殺された。この事件は、メキシコシティのトラテロルコ地区で起こったため、「トラテロルコ虐殺」と呼ばれている。核問題に関心のある方ならピンと来るだろうが、このトラテロルコは、ラテンアメリカ非核兵器地帯を設置する条約が調印された場所でもある(1967年)。

 また、ソウル・オリンピックの開催が決定されたのは、1980年の光州虐殺の記憶もまだ生々しい1981年9月のことであった。

 そこまで極端な例を出す必要はないかもしれない。オリンピックのスタジアム建設などに巨額の資金が投入される一方で、競技場近くに住んでいるホームレスが「目障りだ」という理由で排除されることがこれまで何度繰り返されてきた、という一事をもってしても、「平和の祭典」という看板はずいぶんと色あせてしまうことだろう。

 長崎出身の私は、広島・長崎がそのような空虚な試みに無謀にも乗り出すことを黙ってみていられない。IOC委員にとってみれば、現地の市民がオリンピック開催を支持していない都市は選びづらい、とのことだ。広島・長崎の市民たちに、「核兵器なき平和を本当に目指すなら、オリンピック招致よりももっと他にやることがあるだろう」という声を大いにあげ、なんとしても招致活動を「失敗」に導いてほしい。
コメント (7)
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表現の自由と「公」   落石

2009年10月13日 15時01分46秒 | Weblog
ちょっと古い話ですが、小泉さんが、靖国神社に
総理として参拝した時、賛否両論がありました。

この時の小泉さんの言い訳(?)は
心の自由、憲法19条で思想・良心の自由は
保障されているのではないのか?
何の問題もない、というものでした。

ここには私は、ずっと違和感があるのです。
個人なら、ともかく総理(公)としてはいけないのでは?

そういう批判はありました。
しかし、そんなに強いものでもなく、
参拝を止める力はありませんでした。

ここは、憲法にとって、かなり大きな問題を
ふくんでいると思うのですが・・・
よく分かりません。
どなたか、是非、教えて下しさい。

NHKなど公共放送というもののあり方に
結びつく重要な問題があるのでは?

どうも、日本人の多くは、私を筆頭に
ここがよく分かっていないような気がして・・・
コメント (4)
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 対米外交を鳩山首相の命取りにさせてはいけない (天木ファン)

2009年10月13日 00時40分48秒 | Weblog
★民主党よおたおたするな、外交政策で毅然とすることこそ六十年間持ち得なかった日本人の誇りを代弁することになる。君たちに天木氏の言葉を進呈しよう。
============================         以下、天木ブログより                  
http://www.amakiblog.com/blog/

 私の思いが杞憂で終わるのであればそれでいい。
 しかし私には鳩山首相が「対等な日米同盟」という曖昧で矛盾した標語に縛られたまま、外交に前のめりになり過ぎている危険を感じる。
 普天間基地移転問題にせよ、非核三原則にせよ、東アジア共同体構想にせよ、曖昧で矛盾した発言が、鳩山総理、岡田外相、北澤防衛相から発せられ、これがメディアで取り上げられる。最悪だ。
 このままでは米国との関係が悪くなる。
 今からでも遅くはない。ここで立ち止まって戦略をねり直す事だ。政策を統一する時だ。
 11月のオバマ大統領の訪日までに決断、統一できなければ、方針が決まるまで回答を遅らせばいい。 何も11月が最終決定日ではない。
 オバマ大統領の訪日を成功させようと急ぐあまり、軽はずみな対応をしてはならない。
 対米外交の要諦は明確な立場を伝えることである。
 それが米国の国益に反すれば米国は当然反発する。
 その反発を恐れてはならない。反発を怒りにさせてはいけない。
 反発をしたくても出来ないように、誰が見ても日本の主張に理があるように米国を説得するのだ。

 その最後の決め手は日本国民の声である。 米国は日本国民を的に回すことはできない。

 鳩山外交は国民の声を背にした対米外交を行わなければならない。
 オバマ大統領の顔色をうかがう外交ではなく、オバマ大統領を正しく導いていく外交でなくてはならない。

 それは自民党外交ではできなかったことだ。外務官僚の外交では考えられない外交だ。 これこそが政権交代後の脱官僚外交である。



コメント (2)
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