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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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8月6日の社説   大西五郎

2008年08月22日 17時58分16秒 | Weblog
これも大西さんから送ってもらったものです。落石


各紙米元国務長官らの「核兵器のない世界を」を評価しながら、
読売・日経・産経は北朝鮮の脅威強調。平和市長会議に触れたのは毎日のみ。

― 8月6日広島平和祈念式典の日の新聞各紙の社説 ―


 8月6日広島平和祈念日の各紙の社説は一斉に「核」の問題を取り上げた。そ
の中で各紙ともアメリカのキッシンジャー元国務長官、
ペリー元国防長官ら米国の核政策を推進した要人らが、
米紙に「核のない世界へ」と核廃絶を訴える文章を寄せたことや
オーストリア首相やノルウェー外相からも核廃絶の提起がなされていることを紹介していた。

 核廃絶の必要性を説く点では、各紙とも共通していたが、
朝日は核問題で国連特別総会での論議を主張し、
毎日は日本が被爆国として「核兵器のない世界」の先駆けとなれと説いた。
中日は原爆や戦争のおそろしさを『伝える』ことの大切さを強調していた。

これに対して、読売・日経・産経の三紙は、
北朝鮮が六カ国会議に申告した核開発計画に核兵器が含まれていなかったとして、
北朝鮮の核の脅威にどう備えるかが重要だ。
アメリカがテロ支援国家指定解除などで妥協しないように働きかけるべきだ
という論調になっていた。

 なお、各紙とも事前に「平和宣言」の文案を入手していた(社説の中で触れていた)のに、
広島・長崎の今年の「平和宣言」の眼目ともいうべき2368都市に達した
「平和市長会議」が核拡散防止条約再検討会議に対して核廃絶を検討課題とするよう求める
「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に触れたのは毎日だけだった。



朝日新聞「核廃絶は夢物語ではない」

昨年元米国務長官のキッシンジャー、シュルツ氏ら4人や
今年に入って英国のハード元外相、ロバートソン前NATO事務総長ら4人が、
「核兵器のない世界を」と提言した。
ここ60年余りの国際政治を支配してきた「核による安全」という発想を逆転したのである。
オーストラリア首相やノルウェー外相からも核廃絶への提起がなされている。
核をめぐる危機がいつ、世界のどこで噴出するとも知れない。
イスラエルがイラクやシリアの各施設を攻撃する危険や
正常不安のパキスタンの核保有、北朝鮮の核廃棄のメドも立っていない。
核テロへの恐れも高まっている。
キッシンジャー氏らが核廃絶に転じたのは、核世界が保有国の手に余る状況にあることの現れでもある。
こうした変化の中で外交をどう発展させるか。
まず第一に最強の核保有である米国に方針転換してもらうことだ。
米国の「核の傘」の下にいる日本だが、米国の同盟国であるオーストラリア、
ノルウェーと連携し、大幅な核軍縮を次期大統領に促すべきだ。
 そして、国連で特別総会を開き、核抑止論の限界や核拡散、核テロのリスク、
核に頼らない安全保障のあり方などについて、とことん討議してはどうだろう。
核世界の変化に日本外交の動きは極めて鈍い。
福田首相には、各危機の暗雲を晴らす国際社会の試みの先頭に立つ決意を示してもらいたい。


毎日新聞「世界は核廃絶の頂を目指せ」

 核兵器拡散の危険は膨らんでいる。核兵器を保有する国が増え、
テロリストが核兵器を手にする恐れもある。
米国務長官だったキッシンジャー、シュルツ両氏らが昨年から
2回にわたって核兵器廃絶を提言したのは、その危機の表れだ。
 今年の広島の平和宣言は、被爆体験の悲劇と苦悩を経て
「核兵器は廃絶されることだけに意味がある」との真理を見出し、
今日の流れを導いたと指摘する。
さらに核拡散防止条約の批准国が190カ国に上る現状などを踏まえ、
今秋に選ばれる米新大統領が多数派の声に耳を傾けるよう期待を寄せる。
 世界2300以上の都市でつくる平和市長会議は
今年のNPT再検討会議の準備会合で2020年までの核廃絶の道筋を示した
「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表し、各国に強調を促した。
国際社会は、非人道兵器の対人地雷やクラスター爆弾の禁止を実現した。
その究極にある核兵器の廃絶という「頂」を見据えて、
日本が被爆国として「核兵器のない世界」の先駆けとならねばならない。


読売新聞「核拡散を止めねばならない」

 米国のキッシンジャー元国務長官、ペリー元国防長官ら4人が、
米紙に「核兵器のない世界へ」と題する論文を寄稿した。
論文は、米国、ロシアをはじめとする核保有国に核兵器の削減を求めた。
核兵器や核物質の安全管理の強化を唱えている。
 広島、長崎に原爆を投下し、今も核武装大国であり続ける
米国の元高官らのアピールに、釈然としない人は少なくないだろう。
が、論文の背景には、北朝鮮やイランによる核開発が核の拡散を招き、
核兵器がテロリストの手に渡ってしまう、新たな“核状況”への米国も懸念がある。
 洞爺湖サミットの首脳宣言は、すべての核保有国に
「透明性のある方法」で核削減することを呼びかけた。
しかし実際、こうした宣言とは裏腹な事態が起きている。
北朝鮮の核開発計画申告に核兵器が含まれていない。
インドがNPTに入らないのに米印原子力協定を進めようとしている。
これではNPTはますます形骸化してしまう。
 日本は、米国から原爆の惨禍を蒙りながら、日本の安全保障のためには、
米国の「核」に頼らざるを得ない。
そんな深いジレンマと、核をめぐる複雑極まりない国際社会の下で
核をどう廃絶していくか。日本にとって重い課題である。


日経新聞「核拡散への監視を緩めるな」

 ストックホルム国際平和研究所が6月に発表した2008年版年鑑によると、
現存する核弾頭は世界の8カ国で合計2万5000個を上回る。
このうち1万個以上がミサイルなどに搭載され、実際に使用可能な状態だ。
即時発射態勢にある核弾頭は数千個に及ぶ。
 核兵器の拡散を防ぐ国際的枠組みの柱は、核拡散防止条約(NPT)だ。
核兵器の保有を米ロ英仏中の5カ国に限定し、他国の保有を禁じている。
NPTで核兵器の削減義務を負う5カ国が依然、核戦力を国防戦略の軸に据えているのも問題だが、
核保有国とされるインド、パキスタン、イスラエルはいずれも非加盟だ。
核実験を行った北朝鮮もNPT脱退を宣言したままだ。
 米国は、インド、北朝鮮に妥協的態度をとっている。
核不拡散の枠組みづくりは世界共通の課題だ。
唯一の被爆国として日本の責務も問われる。
日本の安全保障に密接に絡む北朝鮮の核問題を厳しく監視し、
譲歩を重ねる米国に歯止めをかける役割はその一つだ。


産経新聞「原爆の日 北の核許さぬ決意新たに」

 これまで唯一の被爆国である日本から、米国などあらゆる核保有国に対し、核
廃絶の願いを発信することに主眼が置かれてきた。
しかし、今の日本が直面する最大の脅威は北朝鮮の核である。
北の核申告は極めて不十分な内容だった。
争点になっていた高濃縮ウランによる核開発や
シリアへの核開発への協力に関する記載はなく、別の文書を作ることで問題が先送りされた。
 7月に北京で開かれた6カ国協議は、北の核申告に対する検証の3原則で合意し、
シンガポールでの非公式外相会合も、検証作業を「加速させる必要性」で一致した。
しかし、北は見返りの支援のみを要求し、肝心の検証開始の時期や手順に踏み込んでいない。
時間稼ぎとしか思えない不誠実な態度に対しても、広島、長崎から怒りのメッセージを発してほしい。
 現時点では、北が本気で核廃棄を行うという保証は何もない。不
十分な核計画の申告だけで、検証もないまま米が北のテロ支援国家指定を
解除することの危険性を重ねて指摘したい。
日本政府は、米が軽々に指定解除をしないよう、さらに働きかけを強めてほしい。


中日新聞「伝えたい、語りたい」

 八月のヒロシマには、「伝えたい」意思にあふれています。
町中で目にする「戦争と平和」の展示やパフォーマンスだけではありません。
原爆のつめ跡を残す建物や被爆樹木、夕凪のあとの涼風さえも、
いのちの重さや平穏な日々の尊さを無言で語りかけてきます。
 昨年の平和祈念式典では、小学生の代表が
「途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、
今に私たちがいます。原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を、
一人でも多くの人たちに『伝えること』は、私たちの使命です」と訴えました。
そして「世界中の人々の心を『平和の灯火』でつなぐことを誓います」と結んでいました。
私たちは、ヒロシマのこの意思を受け止めねばなりません。
 「伝えたい」気持ちの高まりは、長崎でも同じです。
九日の長崎平和宣言には、永井隆博士の言葉が引用されています。
永井博士の孫の永井徳三郎さんは「自分自身を愛するように、
あなたの隣人を愛しなさい」という祖父の博士の言葉を伝えたいといいます。
平和とは、一人一人の小さな意思の積み重ねではあるまいか。
そう信じて徳三郎さんは、祖父の言葉を子どもたちに伝え、
その言葉をきっかけに、平和のために何かを始めてもらいたいと思っています。



[平和市長会議とは]

 二つの宣言で触れられた「平和市長会議」とは、
1982年6月の第2回国連軍縮特別総会において、
荒木広島市長(当時)が、世界の都市が国境を超えて連帯し、
ともに核兵器廃絶への道を切り開こうと
「核兵器廃絶に向けての都市連帯推進計画」を提唱し、
広島・長崎両市長から世界各国の市長宛にこの計画への賛同を求めました。
 同年10月、この計画に賛同する市長たちによって
「世界平和連帯都市市長会議」が結成され、国連のNGOとして登録されました。
そして2001年に「平和市長会議」と名称を改めました。
平和市長会議の規約では、会の目的を
「都市連帯推進計画に賛同するすべての都市相互の緊密な連帯を通じて
核兵器廃絶の市民意識を国際的な規模で喚起するとともに、
人類の共存を脅かす飢餓・貧困等の諸問題の解決さらには難民問題、
人権問題の解決及び環境保護のために努力し、
もって世界恒久平和の実現に寄与することを目的とする。」
としています。
そして2020年までに核兵器の廃絶(2020年ビジョン)を目指して、
署名活動など国際世論を喚起する行動計画を掲げています。
平和市長会議は、2008年8月現在、
世界131の国・地域の2,368都市の賛同をえています。
広島市長が会長、長崎市長が副会長を務め、
他にドイツのハノーバー市長、イタリアのフィレンツェ市長、
アメリカのアクロン市長なども副会長になっています。


[ヒロシマ・ナガサキ議定書]

 今年4月にスイス・ジュネーブで開かれた核拡散防止条約(NPT)
再検討会議準備委員会で秋葉平和市長会議会長が核兵器廃絶を目指す
「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表、
2年後に開かれる核拡散防止条約再検討会議での討議・採択するよう呼びかけました。
またそのために2009年10月の国連総会でも拡散防止条約再検討会議での
検討課題とする決議の獲得に向けて働きかけを行うことにしています。
 「ヒロシマ・ナガサキ議定書」は、
▽新たな核兵器の取得と使用につながる行為の即時停止、
▽核兵器廃絶の国際的枠組み合意に向け、核保有国に誠実な交渉開始を要求する、▽2015年までに核兵器取得やしようにつながる行為の禁止を法制化する、
▽2020年廃絶の作業プログラム策定、を段階的に進める、
という内容になっています。

 現在、この地方では、愛知県の蟹江市、三重県の熊野市、伊賀市、名張市が
議定書に賛同しています。
核兵器廃絶は「憲法九条を守る運動」とは直接的には結びつきませんが、
「武力行使の禁止、戦力不保持」の九条の精神と合致します。
私たちもそれぞれが住んでいる市町村の首長や議会に、
「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同するよう働きかけようではありませんか。

※議定書とは、条約の修正または補完の目的で用いられる文書で、
国際合意として成立すれば条約と同じ効力を発揮するものです。


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またまた、麻生太郎の品性下劣   文科系

2008年08月22日 17時36分25秒 | 国内政治・経済・社会問題
麻生太郎の「品性下劣」がまたまた世を騒がせている。太田農相の「消費者がやかましい」発言を、麻生太郎が自民党幹事長として擁護したその「言語」のことである。
「『やかましい』とは、関西以西では『よく知っている』という意味」
これは、自民党の大臣の1人でさえが大真面目にこうたしなめざるをえなかったほどに、堂々と語った言葉らしい。
「日本の国の大臣であるならば、日本の北から南まで皆さんが分かる日本語を」
(以上、毎日新聞22日社説より)

麻生太郎は、こういうたちの悪い屁理屈ばかりで世渡りを通してくることができた漫画の世界にだけいるような人物でもあるのだろう。こんな人物が日本の総理大臣になるかもしれないという最近の動き全体がずーっと特別に腹に据えかねてきたので、8月12日のまもるさん投稿「麻生さんが総理になったら」に重ねて、また改めてここで告発しておきたい。
まもるさんの「総理になったら」投稿では、露骨な差別発言、根っからの差別体質が話題にされたのであるが、今度のは堂々たる屁理屈政治の横車である。前者は、「そういう発言をしたという事実はない」と国会でご本人が語ったというだけのことを根拠にして「既に論破されたこと」と済まそうとしている?のだが、今度は一体どういう弁明をやるのだろうか。いつものように、だんまりを決め込んでおいて、「やかましい」国民が忘れたころに、「そういう事実はない」と以前と同じように反論する?のだろうか。それでは、総理大臣就任機会を失してしまうはずだが。

こういう人物は、批判すればするほどまた悪あがきをして、屁理屈を語るのだろうから、自民党減らしの選挙がやりやすくなることはなはだしいと思う。
「当面、麻生批判で自民党下野を勝ち取ろう!」
幹事長とは、自民党の事務局長のことだろう。党の裏方のまとめ役らしい。こんな知性でまとめられる自民党って一体なんなんだ?
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2008年8月15日社説について   大西五郎

2008年08月22日 13時04分30秒 | Weblog
大西さんから送っていただいたものを転載します。(落石)

中日は「歴史に学べ」、産経は「日米同盟強化」、毎日は「独自の国際協力」

――今年の8・15の各紙社説から――

 8月15日を迎えて、新聞各紙は「終戦記念日」に因む社説を掲げた。
その中で、中日は十五年戦争が始まる時、新聞が軍部容認に走ってしまった反省を述べ、
「石橋湛山が侵略を戒める論説を掲げ続けた教訓に学べ」と説いていた。
一方産経は、インド洋での給油活動継続など「日米同盟の強化の必要性」を主張した。
これに対し毎日は「国際協力と対米協力を区別して考え、
自前の国際協力を考えるべきだ」と対米追随に陥らぬよう警告した。
読売は、遠まわしに「靖国護持」をにおわせる論調。
朝日は若い人の日中理解の増進に期待を寄せた。
日経がワイツゼッカードイツ元大統領の葉を引用して「平和の尊さを語り継ぐ」と
日ごろのこの新聞の論調と異なる論調だったのが注目される。


[朝日]「『嫌日』と『嫌中』を越えて」

 中国で戦争についての直接の記憶を持つ世代は、どんどん減りつつある。
代わって中国社会の中心を担うのは、彼らの子や孫、ひ孫である。
戦後世代、とりわけ若者たちにとって戦争の記憶とは、
多くがメディアや教育などを通じてもたらされる。
それだけに抽象的で、時として現実離れした理解を生んでしまう面も免れない。
その時その時の政治的要請を反映しやすくもなる。
 中国の5大学の学生を対象にした06年度の世論調査では、
「日本を主導する政治思潮」を聞く質問に対し、53%が軍国主義と答えた。
自由主義は18%、平和主義は9%しかなかった。
 日本社会の嫌中感情にも、似た側面があるかもしれない。
中国の現実よりも、思い込みや毒入りギョーザのような事件に影響されやすいのは事実だろう。
大国化する中国への反感と閉塞感から抜け出せない日本自身へのいら立ち、
嫌中と嫌日は今の日中関係を映して、合わせ鏡のように共鳴しあっているのかもしれない。
 東京大学と北京大学の学生が立ち上げた討論フォーラム第3回の
準備をしている北京大学の学生の一人は「無理をして歩み寄るより、
なぜ歩み寄れないかを知ることが大事だと思う」と語った。
認識がどこでずれていくのかを探り、柔軟な心で双方の「違い」に
向き合っていく、それが結局、信頼と友情を手にする王道なのだろう。
 終戦から63回目の夏。五輪が象徴する中国の台頭は、
日中関係にも新たな発想を迫っている。
若い世代の取り組みにそのひとつの芽を見る。


[毎日]「日本独自の国際協力を 内向き志向から抜け出して」

 私たちは日本が国連平和維持活動(PKO)など、国際協力に積極的に
参加すべきだと主張してきた。
一国平和主義から脱して、世界の平和に責任を分担すべきだろう。
だが、国際協力と対米協力は区分けする必要がある。
イラクへの自衛隊派遣は人道支援の建前だが、実際は対米協力の色が濃い。
米国は軍事的に唯一の超大国だが、経済的にはもはやそうでない。
そして米国の軍事力で解決できる問題が少なくなっているのが、
戦後世界の現実だ。
 米国との同盟は日本外交の基軸であり、同盟を確かなものにする努力を
怠ってはなるまい。しかし、それは何もかも米国に追随することを意味しない。
ことに、平和維持への国際協力ではそうだ。
ルワンダの国連平和維持部隊司令官だったカナダのロメオ・ダレール上院議員は
「ミドル・パワー(中級国家)の連携」を提唱する。
カナダ、ドイツ、日本など政治的野心のないミドル・パワーが結束し、
国連安全保障委員会を動かし、紛争の収拾に積極的に介入していこうというものだ。
ミドル・パワーの連携で「保護する責任」を果たそうというのは検討に値する。
だが実際にそこまで踏み込むのは困難だろう。
集団的自衛権の行使を禁じる憲法に抵触するとの解釈もある。
 このようなダイナミックな議論が日本で行われなくなっていることを惜しむ。
世界は石油と食料の高騰におびえ、国際協力を忘れて国内保護に走っている。
懸念すべき「内向き」の風潮だが、日本もその弊を免れていないようだ。
困難でも自前の国際協力のあり方を構想する時期である。


[読売]「静かな追悼の日としたい」

 福田首相は靖国神社に参拝しない意向を明らかにしている。
安倍前首相も参拝を見送ったが、「参拝するかしないか」を明言しない
あいまい戦術をとった。
いたずらに中国との関係を悪化させることはないが、
靖国神社に行く可能性と権利まで手放してはならないと考えた、と語った。
 安倍首相は昨年8月インドを訪問した際に、
極東国際軍事裁判でインド代表判事を努め、被告全員の無罪を主張した
パル判事の遺族と対面している。
パル判事は、日本軍の占領地で民間人の殺戮、暴行などの蛮行を伴ったことは否定してない。
しかし、東京裁判は勝者の敗者に対する「儀式化された復讐」であるとし、
欧米諸国にはその帝国主義と植民地支配の歴史に照らして、
日本を裁く資格などないとした。
非戦闘員の生命財産の無差別破壊を問題とするなら、
原爆使用の決定こそ「ナチス指導者たちの指令に近似した唯一のもの」とも指摘している。
 読売新聞は2005年夏から1年間に亘って日本の政治、軍事指導者たちの
戦争責任について検証をおこなった。
結果として、東条英機元首相ら「A級戦犯」が昭和戦争の責任者と重なった。
最近では靖国神社への「A級戦犯」の合祀についても、
遺族会の中でも分祀論が出ているという。
靖国神社側が適切な対応をしなければ、千鳥が淵戦没者墓苑を拡充するなど、
天皇参拝の中心施設にすべきだという議論が今後勢いを増していくことになるのではないか。
追悼施設の問題に一日も早く決着をつけ、国民が一致して静かに戦没者を
追悼する8月15日となってほしい。


[中日]「人間中心主義に帰れ」

  三百万人を超える戦死者と焦土残して終わった昭和日本の破局は
1931年の満州事変に始まったとされる。
それまで軍縮と国際協調路線に賛同し、軍部の横暴を批判する良識を持っていた
新聞を中心とする言論界も中国・柳条湖での南満州鉄道爆破で一変した。
「日本の正当防衛」「権益擁護は厳粛」で走り出した新聞の論調を変えることはなかった。
言論も世論も事実の目をつぶり上海事件、日中戦争、太平洋戦争と進むにつれ神がかり。
破壊に至る十五年戦争の熱狂はどこから来たのか。
 1929年の大恐慌は、ドイツでナチス、イタリアでファッシズムの政権を生み、
日本では満州国建設の夢となった。
満州を経済圏にした日本は欧米に先駆けて国内総生産を恐慌前水準に戻した。
第二次大戦のもう一つの側面が資本主義の暴走と破局だった。
資本主義の暴走という点で、グローバル経済の行方が気がかりである。
効率追求のあまり低賃金、過激労働、雇用不安を世界に広げ、
多くの国で社会保障の削減となり、石油などの資源争奪と食糧まで
投機の対象とする貪欲と無節操は帝国主義時代さながらである。
 資本主義暴走期の大正から昭和にかけ東洋経済新報の石橋湛山は、
領土と植民地の解放、民族の独立自治、自由貿易体制こそ世界の進むべき道だと
説く論説を発表した。
湛山のこの自由主義とヒューマニズムこそ戦後日本の立脚点だったはずである。
人間のための社会経済システムや社会保障体制が一刻も早く再構築されなければならない。
人間を雇用調整の部品や在庫調整の商品並みに扱ったのでは資本主義の敗北である。
 城戸久枝さんの大宅賞受賞作「あの戦争から遠く離れて」は、
残留孤児だった父親の運命を訪ね歩く旅、自分自身の存在の軌跡をたどる旅だった。
それはわれわれ一人一人が戦争と地続きの歴史の中で生きていることも知らせてくれる。
戦争では多くの若者が日本の未来を信じることで不条理の死の慰めとした。
他人の歴史に無関心で、それすら忘れてしまったら戦後の日本が不毛になってしまうではないか。


[日経]「平和の尊さをだれが語り継ぐのか」

  先の大戦で日本人は軍人・軍属、民間人合わせて310万人が志望した。
全国戦没者追悼式に参列予定の4700人の遺族席にはすでに父母の姿はなく妻の参列も激減し、
子の参列が全体の67%を占める。戦争は遠くなったというべきか。
63年が経過し、もはや戦争があったことも知らない世代が増えている。「
過去に目を閉ざす者は来に対してもやはり盲目となる」と
ドイツのワイツゼッカー元大統領が語っている。
過去をきちんと学び、現在の平和の尊さを知るべきだろう。
 靖国神社に近い九段の「昭和館」では、戦中・戦後の国民生活の苦労を伝えている。
東京新宿の「平和祈念展示資料館」にはシベリア強制抑留や海外からの引き揚げコーナーがあり、
証言者から貴重な話を聞くことができる。
こうした施設は全国にあるが、戦争体験の風化により次の世代へどう語り継ぐのか、
器に盛る中身の充実が重要だ。
 極寒のソ連、モンゴルに57万人の戦後強制抑留者がいた。
そのうち5万5000人が亡くなったといわれる。
いまだに多くが墓標もなく原野に眠る。
ロシア政府から提供された死亡者名簿は4万940人。
うち日本で確認できたのが3万2000人。
この8月から10月にかけて埋葬場所など登録文書のマイクロフィルム画像を
遺族に順次送付するという。
戦後処理はまだ終わっていない。


[産経]「8月15日 日米の絆を確かめたい」

  63回目の終戦の日を迎えた。だが、日本人の関心の多くは、
隣国・中国で開催中の北京五輪に向けられている。
日本選手の活躍だけではない。
中国の国力を誇示することを最大の目的にしたような五輪のあり方そのものに対してである。
開会式に五輪史上最多の各国首脳が参加した。
中国による外交戦術の成果という面もある。
だがそれよりも、経済発展や軍拡によるこの国の強大化を、
世界中が良くも悪くも無視できなくなってきたことの表れといっていいだろう。
「帝国」復活を思わすような中国の台頭は、日米安保条約による
米国との同盟に、安全と繁栄を保ってきた日本の国家戦略を
根本的に揺さぶる要素にもなってきた。
 米国世論が中国に傾斜していくのは避けられそうにない。
米国が東アジアの安全保障の枠組みで日米同盟より6カ国など
多国家間の交渉に重点を置いていこうという流れを止めることは容易ではない。
インド洋での米国などの艦船への補給活動を継続させるのに
必要な法律の成立が極めて難しい状況だ。
米国内に「日本は助けを求めるだけで助けにはこない」と、
日米同盟への疑念が生じても仕方あるまい。
 今、日本国内にも「国連中心主義」を唱えたり、
日米同盟より多国間の協調を重視する声が急速に強まっている。
こうした状況は、かつて日英同盟が廃棄されたときに似ていると言わざるを得な
い。
明治35年に結ばれた日英同盟は、日露戦争での日本の勝利に貢献し、
国際社会での日本の安定した地位を確保させた。
しかし大正10年のワシントン会議で新たに日米英仏4カ国条約を結び、
同盟は破棄された。
日英間に亀裂を入れようとする米国や中国の外交戦略に乗せられたためだった。
日本は孤立を深め、先の大戦で破滅の道に進んだ。
 今、日米同盟に代わり、価値観の異なる中国や、
領土問題などで日本に敵対姿勢を強める韓国などと多国間の枠組みを選ぶとすれば、
日本はまた孤立の道を歩むことになるだろう。
米国の「変身」に備えて「自立性」を強めることも大切である。
だが、その前にやるべきは、補給の継続などにより「同盟の成果」を示し、
日米の絆を確かめることだ。


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