@

@

治安維持法が奪った声/上 反戦唱え、3回の検挙 溝川大阪府大名誉教授の父・良治さん 

2017-08-15 14:50:45 | ニュース

  1925年に制定され、政府に批判的な思想や言論の弾圧に使われた治安維持法。大阪府立大の溝川悠介名誉教授(72)=生駒市=の父、良治さん(故人)はファシズムや戦争への反対を唱え、同法違反で3回の検挙を経験した。終戦から72年の今年、「共謀罪」の成立要件を改め「テロ等準備罪」を新設した改正組織犯罪処罰法(共謀罪法)が7月に施行され、悠介さんは「『共謀罪法』は父が犠牲になった治安維持法と同じ。放っておいたら大変なことになる」と警鐘を鳴らす。

 良治さんは1909年、京都府生まれ。勉学好きの文学青年で、大阪外国語学校(現大阪大)に入学した。しかし、入学翌年の30年、自由主義や社会主義を排除し国家体制を推進する「思想善導」に反対する活動に参加したとして逮捕された。退学となったが、以後も活動を続け、32年に再び検挙された。

 良治さんの父は活動に反対だったが、良治さんの兄と共に面会に来た警察署で、警官に羽織をかぶせて良治さんを逃がそうとした。良治さんは後に「父と兄を置いて逃げられなかった」と涙ながらに振り返ったという。良治さんが当時、母に出した手紙では「お母さんや皆さんの気持ちははっきりとわかっていますし、済まないと思いますが、今更仕方もありません」と複雑な胸中を明かしていた。良治さんは以後も「反戦・反体制」の思想を貫いた。

 その後、政治活動の第一線を退いたものの、41年12月8日の開戦の日、3回目の身柄拘束を受けた。再犯の恐れがある過去の違反者を拘禁できる予防拘禁制によるものだった。「生きて戻れない」。逮捕された良治さんはそう思ったという。

 終戦の前年に生まれた悠介さんは小学生の頃、父のことで幾度となく同級生にからかわれた。良治さんは生前、体験をほとんど語ることなく、85年に76歳で亡くなった。

 大阪府立大で教べんを取るようになった悠介さんは、多くを語らなかった父の遺志を継ぐかのように、教養科目で科学の進歩と戦争を学生に語り、科学者の倫理観を教えた。最先端技術が使い方次第では個人情報を筒抜けにし、プライバシーのない、不自由な社会を招く恐れも指摘する。

 悠介さんは「戦争反対を口にもできない時代に父は命を懸けて反戦平和主義を貫いた。あの暗黒時代に戻らぬよう、声を上げ続けたい」と誓う。【矢追健介】

    ◇

 日本が戦争へと向かった時代、平和と自由を求める声を奪った治安維持法。戦後72年の夏に、その歴史が現代に問いかけていることを考える。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿