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浜矩子「『もり』と『かけ』に追い詰められた安倍政権の醜態」(AERA)

2017-06-22 16:50:46 | ネットワークニュース

浜 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

*  *  *
 15日の朝、共謀罪の構成要件を改めて、テロ等準備罪を新設する改正組織犯罪処罰法が参院本会議で可決、成立した。参院法務委員会での採決を省略する「中間報告」方式。この言語を絶するごり押しをもって、参院審議を暴走突破していった。

 「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」。国会のとてつもない有り様を前にして、このフレーズが頭に浮かんだ。この言い方の意味するところは、もとよりご承知の通りだ。辞書で引けば、「追い詰められた鼠が猫に食いつくように、絶体絶命の窮地に追い詰められて必死になれば弱者も強者を破ることがある」とある。

 国会において圧倒的多数を占める政府与党は、むろん弱者ではない。安倍政権に対しては、むしろ「一強」の横暴が盛んに取り沙汰される昨今である。だが、そんな彼らもこのところ、相当に追い詰められていることは間違いない。「もり」と「かけ」に絡めとられて、次第に窮地に追い込まれている。実はかなりの雪隠詰め状態だ。額には脂汗。目は焦点定まらず。

 行き場を失った揚げ句、もはやこれまでとばかり、なりふり構わぬ暴挙に及んだ。その振る舞いは、やっぱり窮鼠の開き直りにしかみえない。そこにあるのは、強者のおごりならぬ、愚者のパニックだ。うしろめたさがもたらす強がりだ。本当の強者にはゆとりがある。自らの行動を自省し、時には自制する謙虚さや素直さがある。今回のような国会対応をする人々に、そのような強さは微塵もない。

 国会という名の力強くて賢いはずの猫さんが、弱虫鼠集団に「破られる」ことがあってはならない。国会の権威は、その構成員たちの意識の高さと認識の深さによって支えられている。そこで多数を占める者たちは、ことのほか、この自覚が肝要だ。開き直りの逆襲鼠どもに居場所はない。

 ここで、またもう一つのフレーズが頭に浮かんだ。「鼬の最後っ屁」。辞書的意味は、次の通りだ。「鼬が追い詰められて悪臭を放つこと。転じて、切羽詰まって最後に非常手段に訴えること。また、最後に醜態をさらすこと」。これを最後の醜態として、鼠転じて鼬化した群れには国会を立ち去ってもらいたい。

※AERA 2017年6月26

 

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