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2017-04-20 16:17:35 | 日記

毎年11月中旬に、医学祭実行委員会が主体となって小串キャンパスにて行われる学園祭である。今までに68回開催されており、姫山祭と同様に有名芸人(2012年度はペナルティなど3組)のライブや有名アーティスト(2012年度はかりゆし58、SORGENTI)のライブが行われる。また著名人による講演(2012年度は川原尚行)が行われるほか、ミスコンも行われている。医学部の各部活による模擬店や医療系サークルによるブース企画、ドクターヘリ展示など医学系の企画を中心として、敷地は広くないもののかなりの賑わいをみせている。ちなみに2012年度第68回医学祭のテーマは「STAY GOLD ~楽しまんと医看検!!~」であった。
常盤祭
毎年11月下旬に、常盤祭実行委員会が主体となって常盤キャンパスにて行われる学園祭である。今までに62回開催されており、こちらは有名芸人(2011年度はものいい、プラスマイナス、2700、少年少女、WANTEDの5組)のライブが主なプログラムとなっている。ちなみに2011年度第62回常盤祭のテーマは「がむしゃら」であった。
七夕祭
毎年7月に、山口大学の学生寮である吉田寮および椹野寮の寮生によって結成された、七夕祭実行委員会が主体となって行われる学園祭である。今までに40回開催されており、上記の3つの学園祭のように有名芸能人やアーティストによるライブはないものの、山口大学の公認サークルおよび非公認サークルがこぞってステージ発表を行ったり模擬店を出店したりしていて、模擬店の数は120店を超える。また七夕祭実行委員会の部署の1つである備品部によって手作りの神輿が練り歩くほか、旅行などが当たる大ビンゴ大会が開かれるなど、他の山口大学の学園祭にはないほどの活況を呈している。この祭りに対する寮生の意識は非常に高く、七夕祭の開催3ヶ月前にもかかわらず七夕祭実行委員会のしるしである法被を着て、学生生活を送っている。
わん!!~学生と地域の人々を繋ぐお祭り~
毎年10月に、山口大学のサークルの1つである「山口大学よさこいやっさん!!」が主体となって行われる学園祭である。この祭りの背景として、吉田寮の全面改築工事によって2010年度の新入寮生が減少してしまったために、2010年度の七夕祭が開催できなくなってしまった経緯があった。その七夕祭の代替としてその年から始まったのがこの祭りである。主によさこいライブや演舞指導が行われるが、模擬店も出店している。またテーマにあるように地域に根付いた祭りであるため、産直販売も行われている。好評であったために2011年(平成23年)以降も継続して開催されている。
その他[編集]
新人さんいらっしゃ~い!
毎年入学式前の4月に、山口大学生協学生委員会が主体となって行われる、山口大学の新入生を対象としたイベントである。新入生同士が初めて顔を合わせる場となっており、グループを作ってゲームを楽しんだり学部学科別に分かれて話をしながら、生協学生委員である上級生に大学生活に関することといった質問をすることも可能である。参加者は両日で1,000人を超える。
新入生歓迎フェスティバル
毎年入学式後の4月に、大学祭実行委員会が主体となって行われる、山口大学の新入生に対してサークルなどの紹介を行うイベントである。新入生はここで山口大学の公認サークルおよび非公認サークルを知ることができ、気になったサークルがあれば配布されるパンフレットを見てブースを探し、そのサークルの紹介を上級生からしてもらうことになる。また共通教育棟前の広場では、主に体育会のサークルのアピールタイムが設けられており、パフォーマンスを行っている。新入生・上級生合わせて約4,500人が参加し、賑わいを見せている。
沿革[編集]
前史[編集]
山口講堂
1815年(文化12年)4月15日 - 長州藩士の上田鳳陽により「山口講堂」が設立。
1845年(弘化2年)1月 - 「山口講習堂」に改称。
1860年(万延元年) - 練兵場を新設。また長州藩政府の直轄となる。
1861年(文久元年) - 中川原から亀山に拡充移転し、同年11月から順次授業を開始。
1863年(文久3年)11月 - 山口講習堂が廃止され、「山口明倫館」が設立。
1864年(元治元年)- 山口明倫館内にあった文学寮を、本学寮と漢学寮の2つに分割する。山口明倫館の学業・訓練が中止され、のちに廃止となる。
1865年(慶応元年) - 山口明倫館が再興。
1870年(明治3年)11月
山口明倫館が小中学規則の公布により廃止され、山口中学校が設立。
山口県内の各郡にあった郷校を小学へと名称を改めて、山口中学校の管轄下となる。
1886年(明治19年)11月 - 山口中学校が廃止され、全国3番目[2]の高等中学校として「山口高等中学校」が設立。文部省の所管となる。
1894年(明治27年)9月 - 山口高等中学校が廃止され、「旧制山口高等学校」として新設。
1905年(明治38年)4月 - 全国3番目[3]の官立(国立)高等商業学校として旧制官立山口高等商業学校が設立。
1919年(大正8年)4月 - 「旧制山口高等学校」が再興。またこの頃、官立山口高等商業学校の商科大学への昇格運動がおこる。
1943年(昭和18年)頃 - 山口高等商業学校を中核とした「官立防長総合大学」の構想が実現寸前までに至ったものの、太平洋戦争の戦局悪化により実現ならず。
1944年(昭和19年)4月 - 山口高等商業学校が廃止され、「山口経済専門学校」が設立される。
教員試験所
1874年(明治7年)
4月 - 学制の施行による学校増加による教員数の不足に対応するために、山口県岩国市に「教員試験所」が設立される。
10月 - 「山口県教員養成所」に改称。山口県教員養成所附属小学校も設立。
1877年(明治10年)3月 - 「山口県師範学校」に改称。
1884年(明治17年) - 女子師範学科が開設。
1886年(明治19年)3月 - 「山口県尋常師範学校」に改称。
1914年(大正3年)4月 - 「山口県山口師範学校」に改称。
山口県室積師範学校
1914年(大正3年)4月 - 「山口県室積師範学校」が設置される。
1920年(大正9年)4月 - 「山口県女子師範学校」に改称。
山口師範学校
1943年(昭和18年)4月 - 山口県山口師範学校と山口県女子師範学校が統合され、「山口師範学校」となる。
旧・山口県山口師範学校を「男子部」、旧山口県女子師範学校(光分校)を「女子部」とする。
家事裁縫科教員養成所
1920年(大正9年)4月 - 山口県女子師範学校に「家事裁縫科教員養成所」(半年制)が併設。
1921年(大正10年)4月 - 「山口県立女子実業補習教員養成所」(1年制)が設立。
1937年(昭和12年)3月 - 「山口県立女子青年学校教員養成所」(2年制)が設立。
山口県農業教員養成所
1920年(大正9年)4月 - 「山口県農業教員養成所」が設立。
1921年(大正10年)4月 - 「山口県立実業補習学校農業科教員養成所」に改称。
1935年(昭和10年)4月 - 「山口県立青年学校教員養成所」(旧)に改称。
山口県立青年学校教員養成所
1941年(昭和16年)4月 - 山口県立女子青年学校教員養成所と山口県立青年学校教員養成所(旧)が統合され、「山口県立青年学校教員養成所」(新)(2年制)が設立。
1944年(昭和19年)4月 - 「山口青年師範学校」(本科3年制)に改称。
山口県立医学専門学校
1944年(昭和19年)4月 - 「山口県立医学専門学校」が設立。
1949年(昭和24年)4月 - 「山口県立医科大学」に改称。
宇部工業高等学校
1939年(昭和14年)5月 - 文部省直轄諸学校官制の改正により「宇部工業高等学校」が設立。
1944年(昭和19年)
3月 - 「宇部工業専門学校」に改称。
4月 - 工業教員養成所を付設。
山口栽培試験場農事講習会
1883年(明治16年)6月 - 山口栽培試験場内に「農事講習会」が開設。
1884年(明治17年) - 獣医講習会が開設。
1885年(明治18年)7月 - 「山口農学校」が設立。また同年中に獣医科(2年制)を開設。
1890年(明治23年) - 大内氷上に移転。
1895年(明治28年)4月 - 「山口県農学校」に改称。
1899年(明治32年)8月 - 「山口県立農学校」に改称。
1901年(明治34年)5月 - 「山口県立農業学校」に改称。
1910年(明治43年) - 小郡に移転。
1924年(大正13年)4月 - 「山口県立小郡農業学校」に改称。
1944年(昭和19年)1月 - 「山口高等獣医学校」に改称。
1945年(昭和20年)3月 - 「山口獣医畜産専門学校」に改称。
新制大学発足[編集]
1949年(昭和24年)5月31日 - 学制改革により、以下の6校を統合・包括の上、新制大学「山口大学」が発足。初代学長に松山基範が就任。
【包括校】
以下の6校は最後の在学生が卒業するまで、頭に山口大学をつけた名称(例:山口大学山口高等学校)で存続されることとなった。
1. 山口高等学校
2. 山口経済専門学校(旧山口高等商業学校)
3. 宇部工業専門学校(旧宇部高等工業学校)
4. 山口師範学校
5. 山口青年師範学校
6. 県立山口獣医畜産専門学校
【学部】
文理学部・教育学部・経済学部・工学部・農学部の5学部を設置。
【附属校】
教育学部の分校として防府分校と光分校の2校を設置。
師範学校の附属校として山口小学校・中学校、光小学校・中学校の4校、青年師範学校の附属校として防府中学校1校、計5校を継承。
1950年(昭和25年)3月31日 - 最後の在学生を送り出し、山口高等学校を廃止。
1951年(昭和26年)
3月31日 - 最後の在学生を送り出し、旧制の包括校であった山口経済専門学校、宇部工業専門学校、山口師範学校、山口青年師範学校を廃止。
4月1日 - 師範学校・青年師範学校の廃止に伴い、附属小・中学校の名称を師範学校附属から教育学部附属に改称。
この年 - 佐波川調査会が発足。
1952年(昭和27年)
3月31日 - 最後の在学生を送り出し、山口獣医畜産専門学校を廃止。
11月1日 - 農学部附属農場が完成。
1953年(昭和28年)
7月1日 - 農学部附属家畜病院を設置。
8月1日 - 工学部に工業短期大学部(機械科・工業化学科)を併設。
1954年(昭和29年)4月1日 - 専攻科が創設され、経済学専攻科を設置。
1957年(昭和32年)3月31日 - 教育学部光分校を廃止。
1958年(昭和33年)
1月27日 - 2代目の学長に文理学部長であった田中晃が就任。
4月1日 - 専攻科に工学専攻科を設置。
6月14日 - 田中晃が留任し、3代目に就任。
1959年(昭和34年)4月1日 - 専攻科に農学専攻科を設置。
1960年(昭和35年)3月31日 - 教育学部防府分校を廃止。附属防府中学校を附属山口中学校に統合。
1962年(昭和37年)6月14日 - 4代目学長に広島大学名誉教授の市川禎治が就任。
1964年(昭和39年)4月1日 - 山口県立医科大学を国立移管し、医学部を設置。専攻科に教育専攻科を設置。
1966年(昭和41年)
4月1日 - 文理学部を改組し、教養部を設置。教育学部附属幼稚園を設置。専攻科の工学専攻科を廃止。
4月2日 - 創設された大学院に工学研究科を設置。
10月 - 農学部の吉田キャンパスへの移転が完了。
1967年(昭和42年)
3月 - 教養部の吉田キャンパスへの移転が完了。
4月1日 - 医学部附属病院・附属看護学校・附属衛生検査技師学校を設置。大学院に医学研究科を設置。
1968年(昭和43年)
10月 - 文理学部の吉田キャンパスへの移転が完了。
11月 - 事務局および学生部の吉田キャンパスへの移転が完了。
1969年(昭和44年)
3月31日 - 専攻科の農学専攻科を廃止。
4月1日 - 大学院に農学研究科を設置。5代目の学長に田中弘道が就任。
1970年(昭和45年)
3月 - 附属図書館の吉田キャンパスへの移転が完了。
4月1日 - 専攻科に理学専攻科を設置。保健管理センターを設置。6代目の学長に力武一郎が就任。
1971年(昭和46年)
4月1日 - 力武一郎が留任し、7代目に就任。
9月28日 - RI実験室を設置。
1972年(昭和47年)
4月1日 - 専攻科に文学専攻科を設置。医学部附属臨床検査技師学校を設置。
8月 - 教育学部の吉田キャンパスへの移転が完了。
1973年(昭和48年)
1月 - 経済学部が「学都山口開闢(かいびゃく)の地」亀山キャンパスから吉田キャンパスに移転し、工学部・医学部を除く全学部の吉田キャンパスへの移転が完了。
3月31日 - 医学部附属衛生検査技師学校を廃止。
4月1日 - 8代目の学長に中村正二郎が就任。
1975年(昭和50年)
3月31日 - 専攻科の経済学専攻科が廃止。
4月1日 - 大学院に経済学研究科を設置。
1977年(昭和52年)
3月30日 - 埋蔵文化財資料館が開館。
12月4日 - 9代目の学長に戸田光敬が就任。
1978年(昭和53年)
3月1日 - 10代目の学長に小西俊造が就任。
6月17日 - 文理学部を分離改組し、人文学部と理学部を設置。
1979年(昭和54年)
4月1日 - 教育学部附属養護学校を設置。
10月1日 - 医学部に医療技術短期大学部を併設。
1980年(昭和55年)3月25日 - 実験動物センターを設置。
1981年(昭和56年)4月1日 - 医学部附属動物実験施設、生命科学実験センターを設置。
1982年(昭和57年)
3月31日 - 専攻科の理学専攻科を廃止。
4月1日 - 大学院に理学研究科を設置。医学部附属看護学校を廃止。
1983年(昭和58年)
3月8日 - 排水処理センターを設置。
3月31日 - 医学部附属臨床検査技師学校を廃止。
1984年(昭和59年)
3月1日 - 11代目の学長に岩城秀夫が就任。
5月16日 - 12代目の学長に粟屋和彦が就任。
1985年(昭和60年)4月1日 - 専攻科の文学専攻科を廃止し、大学院に人文科学研究科を設置。
1987年(昭和62年)5月21日 - 教育学部附属教育実践研究指導センターを設置。
1989年(平成元年)
4月1日
鳥取大学との連携により、大学院に鳥取大学大学院連合農学研究科を設置。
教育学部に教員養成を目的としない総合文化教育課程[4]を設置。
1990年(平成2年)
4月1日 - 大学院に連合獣医学研究科を設置。
5月16日 - 13代目の学長に三分一政男が就任。
1991年(平成3年)
3月31日 - 専攻科の教育専攻科を廃止。これにより、大学に存在した全ての専攻科が廃止され、37年間続いた専攻科の歴史に幕を下ろす。
4月1日 - 大学院に教育学研究科を設置。
1992年(平成4年)4月10日 - 機器分析センターを設置。
1993年(平成5年)
3月31日 - 工業短期大学部を廃止。
5月16日 - 14代目の学長に村上悳が就任。
1994年(平成6年)6月24日 - 遺伝子実験センターを設置。
1995年(平成7年)
1月18日 - 商品資料館を設置。
4月1日 - 総合情報処理センターを設置。
1996年(平成8年)
4月1日 - 教養部を廃止し、共通教育センターを設置。
5月16日 - 15代目の学長に廣中平祐が就任。
1997年(平成9年)
4月1日 - 大学院の工学研究科を廃止し、理工学研究科を設置。
4月2日 - 教育学部附属教育実践研究指導センターを廃止し、教育学部附属教育実践総合センターを設置。
1998年(平成10年)3月31日 - 大学院の理学研究科を廃止され、理工学研究科に統合。
1999年(平成11年)12月1日 - 医学部医学教育センターを設置。
2000年(平成12年)4月1日 - 時間学研究所を設置。
2001年(平成13年)4月1日 - 大学院に東アジア研究科を設置。アドミッションセンターを設置。
2002年(平成14年)
4月1日 - 共通教育センターを廃止し、大学教育センターを設置。総合情報処理センターがメディア基盤センターに改称。
5月16日 - 16代目の学長に加藤紘が就任。
2003年(平成15年)
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