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梶原和義のブログです。

2011-06-08 19:53:46 | 日記
宇宙で自転公転している星は地球だけ

花が咲いていることは分かります。それは花が咲いている世界があることを示しているのですが、そこに入らなかったらだめです。そこに入るためにどうするか、これが分からなかったらだめです。
自分の存在がイエスと分かっただけではだめです。分かったと思っている人間がいるからです。これが悪魔です。悪魔は神を信じるし、イエスをよく知っているのです。
私たちには、ここでどうしても突破しなければならない壁があるのです。この壁を突破して、はっきり神の国に入ってしまわなければならない。これ以外に道はないのです。
皆様自身が生きていることが、消えてしまうような霊的状態にならなければだめです。この世に生きていて、がたがた文句を言っている、暗い気持ちになったり、明るい気持ちになっている間はだめです。
自分という気持ちを全く捨てても、残るものがあります。鼻から息を出し入れしていることはなくなりません。腹が立とうが、へそを曲げようが、暗くなろうが、いつでも息は止まりません。そのように霊的状態は、いつでも神の内にあるのです。
ビーイング(being)という言葉は、日本語の存在という言葉とは違います。もっと簡単です。あるという意味です。存在というしかめっつらいものではありません。
人は神の内にリビング(living)しています。神の内にあるのです。神の内に存在しているというのは、哲学の理屈とは違うのです。息が自分の存在が一つになってしまっているのです。息が自分だと考えることは、大人の理屈です。
信仰は命そのものです。命そのものが信仰です。命を信じたらもうだめです。分別は一切いりません。いいか悪いかを考えたら、だめです。分別の世界は大人の世界であって、幼児の世界ではありません。
結局、釈尊も大人でした。大人として、人間は空であるというところまでは行ったのです。大人の認識として、宗教を超越したことは確かです。しかし、子供の生き方が分からなかったのです。
それは神が、イエスを釈尊の前に見せていないのですから、分からないのは当たり前ですが、私たちには、釈尊を見せ、イエスを見せているのですから、分からなければいけないのです。釈尊が足りなかった所を、イエスが見せてくれたのです。大人の状態を離脱しなければいけない。本当に気楽な人間にならなければいけないのです。
一番大きい問題は、創世と創人です。世を造ったことと、人を造ったことです。世を造ったことが分からない。世を造ったとは、神が何をしたことなのか。これが分からないのです。また、何のために人を造ったのか。人間とは何かです。これが分からないといけないのです。
大人ではだめです。赤ん坊にならないと、神は教えてくれないのです。大人と赤ん坊とどう違うかです。皆様はカントぐらいのレベルではだめです。カントよりプラトンの方がましですが、プラトンのレベルでもだめです。原始そのものが重要です。原始の世界が見えてこないといけないのです。
初めに神が天と地を造った。この世界に入り込んでいくのです。そうすると、なるほど、生きているとはそういうことかが、きちっと割り切れるのです。
天地の存在が、割り切れなければいけないのです。最高、絶対、唯一の命をつかまえるのです。花が咲いているというのは事実です。これは哲学でも神学でもありません。事実です。この中へ入っていったらいいのです。それが永遠の命です。現在、永遠の命がそこにあるのですから、この世界に入っていったらいいのです。
そうすると、人間の考えが全部間違っていることが分かるのでしよう。人間の考えはどこまでも間違っているのです。人間の常識も学問も、皆間違っているのです。これが何万人もの大衆の前で、はっきり断言できなかったらいけないのです。そのかわりに殺されるかもしれませんが、殺されてもかまわないのです。死ぬという事実がありませんから。
日本人一億二千万の人々が命を知らずに、めちゃくちゃに生きています。だから、世の中が混乱しているのです。この世の中の常識で、信じられるものは何もないということが、しみじみと分からなければいけないのです。
ヨハネは次のように述べています。
「神が御子を世につかわされたのは、世を裁くためではなく、御子によって、この世が救われるためである。彼を信じる者は、裁かれない。信じない者は、すでに裁かれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。その裁きというのは、光がこの世にきたのに、人々はその行いが悪いために、光よりも闇の方を愛したことである。悪を行っているものは皆、光を憎む。そして、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光に来ようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人の行いの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである」(ヨハネによる福音書3・17~21)。
裁かれるのは誰かと言うと、闇です。自分が裁かれるのではないのです。自分の中にある闇的な思考方式が、裁かれるのです。なぜ裁かれるかというと、闇的な思考方式を自分の中にもっていると、苦しみや悲しみ、矛盾がいつも沸いてくるのです。闇的思考方式は不法、アウロー、宇宙にあってはならないもので、これが裁かれるのです。六千年の問、これが知者、学者に全く隠されていたのです。
月の模様が変わるでしょうか。いつも兎が餅をついているような模様になっているのです。月は何千年、何億年の昔から同じ面を見せているのです。なぜそうなっているのでしょうか。月には夜も昼もありません。昼の面は昼ばかり、夜の面は夜ばかりです。星はこういうことが当たり前です。
自転しながら公転するということは、星にはあり得ないことです。これは地球が特殊な星であるということを、運動によって示しているのです。
太陽が東から出るということは、驚くべき神の啓示です。毎日太陽が東から出る。これは何ということか。毎日、太陽が東から出るということは、あり得ないことです。遠心力を主体にした宇宙のあり方から言えば、これは間違っているのです。遠心力の通念から言
えば、月のようなあり方が当たり前です。火星や金星も、公転しかしていません。年中、同じ面を見せているのです。
なぜか。星は公転はしますが、一切自転しません。引力の原理からすると、そうなるのです。ところが、地球の場合はそうではない。自転という説明ができない地球運動があるのです。これが説明できる学者は、世界に一人もいないでしょう。
こういうことが分かると、なるほど地球に住んでいることが、生きていることではないということが分かるでしょう。
神が裁くのはこの世の主であって、人間を裁くのではないのです。皆様がこの世から出てしまえば、少しも裁かないのです。現に皆様を愛し続けている神は、なぜ皆様を裁かなければならないのでしょうか。
昼と夜があること、太陽が東から出るのが当たり前、地球は自転するものだと思っている。これが間違っているのです。宇宙の惑星は、自転しないものです。
地球は特殊現象であって、これがワールド(世)と言われているものです。月から地球を観測すると、地球はくるくると自転しています。なぜ回転しているのか、不思議に見えるのでしょう。
かつて、アポロ宇宙船が月面着陸をしました。その背景に大きな地球が回転しているのに、その不思議さを伝える飛行士はいませんでした。
皆様は、神がこんな顕著な事実を見せて、なぜ分からないのかと言いたいのです。なぜ分からないのかと言いますと、自分の気持ちにとらわれて、自分が損をするとか、自分が救われないと考えているからです。これは、皆様の魂の考えとは違います。
自分自身がこの世に生きていると思っているだけです。この世に生きているのは、罪人である皆様であって、こんなものは神が造った魂とは違います。
神が鼻から息を吹き込んで、魂にした。これはこの世に生きている人間とは全然違います。魂になればいいのです。
今まで皆様は、この世に生きている人間として生きていました。御霊を受けた時でさえも、この世に生きている人間として受けたのです。御霊を崇めれば分かるのに、そこであぐらをかいていたのですから、少しも前進していないのです。
御霊を受けたのは、自分が受けたと思っているから困るのです。御霊を受けたのは魂が受けたのであって、固有名詞の人間ではないのです。皆様は固有名詞の人間が御霊を受けたと思っている。これが間違っているのです。
固有名詞の人間は、死んでしまうに決まっているものです。神から捨てられている自分です。この自分をなぜ自分だと思わなければならないのでしょうか。きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらするところがないとイエスが言っています(マタイによる福音書8・)。
皆様は、この世に巣を持っています。だから穴の寸法が合わないと、すぐ文句を言うのです。神は自分の真心を本当に知ってくれないと思っています。
皆様の誠意は皆様の穴です。誠意を持たなくてもいい。ただ神に従ったらいいのです。今まで生きていたのが間違いだと分かると、自分は現世で、何の責任も負わなくてもいいことが分かります。だから、主張しなければならないものは何もないのです。従って皆様自身が分からなくてもいい。とことん納得できなくてもいいのです。黙って神に従ったらいいのです。
きつねには穴があるというのは、ヘロデを皮肉っているのです。空の鳥が巣を造るというのは、どういうことか。イエスが空の鳥を見よと言った時の鳥と、空の鳥には巣があると言った場合の鳥とは、違います。
一粒の芥子種を地にまけば、どんどん大きくなる。最後に、空の鳥が巣を造るぐらいになるとありますが、この鳥は悪魔を意味しているのです。
羽がはえて、空を飛ぶ鷲という鳥がいます。また、空中の権を取るという鳥もいます。これは学問、学理学説をさしています。自分の立場、自分の経験、自分の考え、自分の記憶は、全部穴です。人間がしていることは、すべて自分の穴のことです。人間は蛸壷に入った蛸みたいになっている。ちょうど自分の大きさに合った穴に入っているのです。
皆様がこの世に生まれ、この世で物心がついたということが、穴に入ったことです。ちょうど自分に都合がいい穴に入ったのです。自分がいるという穴です。人間が入っている穴は、人間と共に成長していくのです。
皆様が現世に生まれたのは、肉なる者として罪の下に売り渡されたのです。ヨセフが兄貴に奴隷としてエジプトに売られたように、皆様は神に売られたのです。この世の穴に放り込まれたのです。その時、皆様は完全に死んだのです。死んだ証拠に、自我意識を持っているのです。
皆様は自分の命があると思っています。自分が生きていると思っています。自分が救われなければならない。自分が信じなければならないと考えている。これははっきり、自分という穴に入っている証拠です。これは明々白々な蛸壷です。
皆様は悪いことに、自分の壷に入ったままで、神の国に入ろうと考えている。壷から出て、水からと霊からと新しく生まれて、神の国に入るのです。まず私たちが壷から出て、日本人にもユダヤ人にも、壷から出よと言うべきです。
きつねに穴がある。人間にも穴がある。人間が生きている明々白々な穴があるのです。この穴から出なければ、絶対に救われません。この穴は困った穴です。円筒形の穴で、両手と両足で、壁に突っ張っているのです。穴には底がありません。引っ張り出されても損をしないということが分からなければ、その穴から出ようとしないのです。引っ張り出されて損をすると思っている間は、壁にしがみついているのです。
人間が入っている穴は、本来人間が入るべき穴ではありません。悪魔が入る穴です。壁にへばりついているのは、両足で立てないからです。これは人間の記憶が、今までの経験、自分の立場にへばりついていることを示しているのです。両足では立てないのです。その穴は底なき穴です。文明は底なき穴です。だから信用ができるものは、一つもないのです。
学理学説も、常識も、信用できません。皆様の経験の中で、信用ができるものは一つもないのです。
神が世を造ったとはどういうことか。この世は何を基礎にしているのか。この世には、がっちり基礎にしているものがあるはずです。何かを土台にしなければ、この世は成立するはずがありません。この土台は何か。この世という大慶高桜を人間が造っているのです。六千年の大文明です。この土台は何かです。
福音の雨は、春と秋と二回降ります。春の雨は使徒行伝時代に降りました。それは命が根づくための雨です。秋の雨は実らせるための雨です。実らせるのは刈り入れるためです。
イエスやパウロは蒔くために来た人でした。私たちは神の畑で刈り入れするために、雇われたのです。刈り入れ人として、神に雇われたので、実を結んだ魂を、刈り入れて、倉に入れなければならないのです。
神の僕となるためには、神のスケールで考えなければならないのです。神はどのようなスケールで、天地を造ったのか。まず神は第一に、光と闇とを分けました。そして闇の中から光を引き出した。そして光を昼と名づけ、闇を夜と名づけた。第一日です。これがこの世を造った一番最初の業です。この世をどういうものにしようという神の決意が、はっきり現われているのです。
この世は完全な神の国ではないのです。光と闇が並立するように、両者が平行的に作用する形で世を造ろうと考えた。そういう決意の表明が、第一日日に現われているのです。
第二日日に、神は大空を設けて、大空の上の水と下の水を分けた。これほどういうことかと言いますと、電場と磁場と言われているものが、構成されたのです。地球に向かって、宇宙線が集中、集約される形になったのです。地球に、周波数が集中されることになった。これが大空の下の水の構成です。上の水の構成は、それをバックアップする形で造られたのです。
下の水というのは、本当は中の水と言ってもいいかもしれません。この中に、宇宙のあらゆる周波数が集中した。これが現在の地球の原形です。
大空を設けたということが、電場と磁場が構成されたことを意味するのです。電場と磁場が、命の働きの根本原理です。太陽系宇宙の中で、地球という特殊の電場が発生した。これが、大空を設けたという簡単な言葉の中に、読みとれるのです。
神が電場と磁場の関係を地球に造ったのが二日目の仕事です。三日目に、水(海)と陸が造られた。水という不思議なものができた。これは太陽系宇宙だけしか見られない特殊現象です。太陽系以外に、水がある所はどこにもありません。
水が集まっている所が海です。電場と磁場が二日目に設定されて、三日目に水が造られた。これが神の処置です。電場と磁場と水の三つのものによって、地球が自転する原理が造られた。大量の水が働くことによって、若干の力が移動し、地球に惰性を発生させることになる。地球物理の原理から見て、こういうメカニズムが当然考えられるのです。
現在の学問でも、これくらいのことは分かるはずです。電場と磁場と海、これは全く地球の特殊現象ですが、これが自転を発生させる原因になったのです。
一体、惑星がなぜ自転しなければならないのでしょうか。大体、惑星が自転しなければならない理由は、全くありません。大空の上の水と下の水が分けられた理由もありません。ここに、地球という極めて暫定的なもので、変則的なものが誕生したことを示しているのです。
二日目の創造と、三日目の創造をじっくり考えてみますと、神が四日目、五日目、六日目の創造をするために、一日目、二日目、三日目の創造がなされたことが分かるのです。
まず、銀河系全体の生命力が太陽系に集中され、太陽系の生命力が地球に集中されたのです。生命力は、周波数に代表されるのですが、これが地球に集中されたのです。そして自転が始まったのです。
この世を造る土台として、どうしても必要なものは、時間と空間です。時間と空間の設定がなければ、世は形成されません。時間と空間がなければ、悪魔がそれを肯定しませんし、自分の住み処にしないのです。
はっきり時間と言えるものができたのは、銀河系では地球だけです。地球にだけ、時間と空間が設定されて、悪魔はこれを神の国と考えたのです。神がとうとう負けた。わしの考えたとおりの世界を、神が造り始めた。これはわしの理論が勝ったからだと、悪魔が考えたのです。
なぜ神が現象世界を造り出したのか。宇宙は本来、無限のもの(霊なるもの)であって、有限のもの(肉なるもの)を造る必要がない。それを造り出したのは、神が任命した天使長ルシファーが、形がある世界がなければならないと、強く主張したからです。
その悪魔の主張に従って、神は見せかけの世を造った。神が造ったすべての物を見られたところ、それは、甚だ良かったとあります(創世記1・31)。これほどういうことかと言いますと、ああ、これなら悪魔が十分に一杯食わされると、神が思ったのです。
はたして、時間空間の世界を悪魔が気に入った。十分に信用したので、この世の大将になったのです。悪魔は地球を、神の国と考えたのです。今までなかったものができたのですから、新天新地のように思ったのでしょう。
宇宙に初めて、地球が造られた。第一日日の光と闇が造られた荘厳さを見て下さい。大空を設けて、大空の上の水と下の水を分けたという神のやり方を見て下さい。これは全く神の国です。宇宙で初めて、天地創造が実現した。悪魔は、自分の意見が聞き入れられて、自分が考えている神の国ができた。自分はとうとうキリストになったと思ったのです。
人間から見ると、時間空間は絶対原則の基本になっています。この世の土台になっているのです。今まで、これを否認した学者、評論家は一人もいなかったのです。人間の内に、現象が絶対であるという牢固とした気持ちがある。この気持ちから、絶対に逃れられないのです。
なぜ逃れられないのか。時間空間が人間の考えを保証していると思っているからです。人間の現象意識は、時間空間によって保証されていると考えている。時間空間という絶対原則によって証明されているから、現象は絶対であると考えるしかないのです。だから現世で楽しもう。現世で喜ぼう。現世でエクスタシーを実感しようと考えるのです。
神は後の雨を降らすことによって、創世の秘密を全部教えようとしているのです。これ以上の神のリバイバルは必要ないのです。最後の奥の院を教えるつもりらしいのです。本当に、固有名詞という蛸壷から出たいと思う人だけに、教えてくれるのです。
地球の自転、公転によって、時間、空間があるように見えるのですが、実は、時間、空間は嘘です。
時間、空間があることを、人間はただ信じているのですが、理論的に説明することはできません。
時間がある、空間があることを、ただ信じているのです。時間がある、空間があることを、悪魔がただ信じているのです。もし神が、時間、空間を本気で造ったのなら、時間があるという証明が、聖書のどこかになければならないのです。夕あり朝ありきとは書いていますが、これは時の問題であって、時間の問題ではないのです。
夕は時です。朝も時です。時間ではありません。時間があることを、どうしても証明できないのです。ただ悪魔が信じているだけです。悪魔の宗教観念によって、時間、空間が成立しているのです。時間、空間を信じている人間は、全部悪魔の子になるのです。
それで、時間、空間に代わるべきものがあるのでしょうか。あるのです。「ある」ということを土台にしたらいいのです。「ある」というのは、時間、空間ができる前からあるのです。これは絶対に滅びていかないものなのです。
人間の文明、学理学説、常識、知識、伝統には、底がありません。それは時間、空間を踏まえて立っているからです。時間、空間を底にしなければ、文明は成立しないのですが、それは、神の創世の第二日日、第三日日のトリックです。太陽や星ができる前のトリックです。悪魔はこれに騙されたのです。
時間、空間が嘘だということは、地獄へ行かなければ分からないでしょう。新天新地ができて初めて、時間、空間がなかったことが証明されるでしょう。
後の雨によって、ユダヤの預言者が分からなかったこと、使徒行伝時代のイエスの弟子たちも分からなかった秘密を、神が教えようとしているのです。
そのためには、額に生ける神の印を押さえなければいけない。神が、これは私のものという印を押すのです。大人は、信じるべき、疑わずして受くべきものと言われても、なかなか信じることができません。
大人は絶対に聖書を信じられません。大人は信用できないのです。大人は自分の利害得失、自分の善悪を考えるのです。神の善悪よりも、まず自分のことを考えるのです。非常に悲しい習性を持っているのです。
イエスを信じている人々、イエスに味方をしている人々に向かって、イエスは悪魔の子だと言っている。大人だからです。幼児にならなければ、本当に神の栄光が現われないからです。