黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

ホルモンの話

2017年06月22日 16時27分26秒 | ファンタジー
 (ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」部分)

 ホルモンと言っても焼肉の話ではない。
 生き物の身体は、本人の好き嫌いや意識するしないにかかわらず、ホルモンと神経によって完全自動制御されている、という話は以前から耳にする。生体とは、ネコバスみたいなものと思えばいいのだろうか。ネコなんて、たいがい寝ているか遊んでいるか、まじめに運転するとは思えない。だがそれでいいのだ。ネコバスはバランスよくちゃんと走る。
 当然だが、この優れものの生体反応装置は、ネコだけでなく、ヒトからアメーバまで、形は違えど幅広く備わっている。 
 それに比べ、ヒトが発明した考える力や精神、意志といったものが、すぐ破綻するのはどうしてなのか。これらは本来、生体にとって不要な、あるいは生体のためになるどころか害をもたらす代物だったりして……。
 ホルモンにも流行がある。最近もてはやされているのは、生体を愛情豊かにするオキシトシンと攻撃的にするテストステロンのふたつ。生き物がペアー、あるいは群を作るとき、平和なつき合いのためにはオキシトシンが欠かせない。闘いのときなど、群を力で統率するにはテストステロンが大きな働きをするという。 
 ところが、アフリカに暮らすヒヒの一種、バブーンに関する調査報告には意表を突かれる。それによると、彼らの性格はきわめて凶暴で、少数の年季の入ったオスたちが力任せに群れを支配し、メンバーを外への攻撃にけしかけているという。あるときのこと、ひとつの群の支配階層の年寄りたちがごっそり病死した。すると、それまで群の中で起きていた日常的なパワハラが一掃され、穏やかな群組織に変貌したという。力によらなくとも群の統一性が維持されたのだ。
 ホルモンコントロールが十分きいているはずの野生動物の社会のおいては、どんな群もほぼ同じような行動様式を取ると考えられてきたが、実際は違った。ほんの少数の強者の入れ替わりが、群に劇的な構造の変化をもたらした。バブーンにできて、ヒトにできないはずはない。ときには平和的な手法で世界を作り替えられるのだ。
 とは言うものの、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会の男女の姿を見れば、ヒトに限らず、生き物をコントロールするのに理屈はいらないように見える。ヒトが、この生体反応に反する思考を頭の中でくり広げようとしても何か得られるものがあるだろうか。生理学的には、思考なんてたかだか脳神経細胞に流れる微々たる電流とか未知のホルモンの作用にすぎないのだから。
 しかし、たとえそうであっても、頭の中まで完全自動制御されたくないという気がする。とくに、この国にもあの国にもいる感じわるい政治家みたいな頭にはなりたかない。(2017.6.22)
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