黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

楽器弾き

2017年09月22日 17時29分48秒 | ファンタジー
  <ここは函館>

 高校生のころ、文化祭の練習で、同級生の一人がギターを器用に弾くのを見た。私の家にもテレビやラジオ、レコードプレーヤーなどの音響がなかったわけでなかったが、普通の家と違い、家族が大っぴらに歌を歌ったり楽器を弾くこと、つまり自演は御法度だった。例外的に、祖母や父にこっぴどく叱られた母が鼻水をすすりながら、小さな声で悲しげに歌うといった事例はあるにはあったが。
 とにかく、芸能とか見世物とか、人前で目立つことをするのを嫌う意識の過剰な家だった。なかでも女たちは、年に一度の祭りに合わせて町へやって来る芝居小屋やサーカス、お化け屋敷といった見世物小屋にはぜったい近づかなかった。子供の前で、「あんな風な人間になってはいけない」などと、せっかく町に来てくれた人たちに眉をひそめた。さらに、「人さらいがいるかもしれないから子供だけで見に行ってはいけない」としつこく脅しをかけた。私は長じるにつれ、親の言葉への反発が強まり、小使い銭の続く限り通いつめるようになった。
 その後、私はテレビなどで楽器演奏の映像を見て、いつか何でもいいから楽器を手に入れて、級友のように弾きこなせるようになりたいという衝動にたびたび襲われた。バイオリンやチェロはむずかしそうなので、ウクレレでも太鼓でも簡単そうなのでいいと思い、それらに触れようとしたこともあるが、次第に、自分には楽器なんて釣り合わないとあきらめが先に立つようになった。ついに今の今まで、授業で使ったハーモニカと縦笛以外、楽器を手にすることはなかった。
 歌は、必要に迫られればそれなりに歌うことができるが、酒が入らない限り自重している。
 今年7月の暑い日、小樽で開催された全日本男声合唱フェスティバルに、大学同期のTがわざわざ関西からやってきた。彼は、在学中からずっと合唱団に属していた。Tが遅れて到着した夜、こちらにいる同期生と、そのころ仕事で九州から北海道に来ていたSを交え、数人で酒を大量に飲んだ。その翌々日、私は異常な暑さのため息絶え絶えになりながら、小樽まで合唱を聴きに行った。会場は、すぐ真向いの公会堂ほどではないが、小樽らしくやはり古色あふれる市民会館。
 Tの所属する30人くらいの合唱団は、他の真面目なチームとは趣が違い、シラフでないメンバーが混じっているようなラフな雰囲気だった。2曲目の「北酒場」は、各人まちまちの振り付けで舞台を縦横無尽に動き回りながらの愉快な演奏だった。Tが舞台の前方に近づくたびに、彼の太く低いバリトンが聞こえた。こんな風に自分の体を楽器のように響かせることができるなら、合唱をやってみてもいいかと思わせるものだった。
 先日、たまたまジャズ風にアレンジしたハーモニカ演奏を聴く機会があった。昔からジャズ、ブルースやボブ・ディランたちのフォークの弾き語りに登場するハーモニカが好きだったし、ちょっとの練習で弾けそうなハーモニカという親しみがあったからだと思うが、久しぶりにこの小さな楽器のキレのいい演奏を聴いたとき、無性に吹いてみたいという感情が突き上げた。
 数日して町に出たら、ヤマハの店があったので入ってみた。ところが、陳列棚の楽器の種類や数の多さにめまいがして、無言のまま店をそそくさ出てしまった。素人には近寄りがたい店というのもあるものなのだ。ネットでちゃんと調べてから、再度チャレンジしよう。
 さて、楽器店に足を踏み入れる行動を起こせるかどうか。そこまで気持ちを前向きに維持できるか。だんだん自分自身の本気度がどの程度かわからなくなってきた。(2017.9.22)
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