黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

黒猫とのの冒険 その4

2010年12月03日 09時19分31秒 | ファンタジー
八 沼のはし旅館の思い出
 北海道の太平洋沿岸には春から夏にかけて濃い霧が毎日のように発生するので、大きな港があるその町では、その朝も早くから、港の霧笛や貨物船の汽笛のボーボーという音がいつ止むともなく腹の底に響いてきた。そこは暁彦の実家がある町で、彼は高校を卒業するまで一八年間住んでいた。この地方に住む人たちは、平地にかかる煙のようなふわふわした霧をガスと呼んだ。ガスは、手が届きそうなすぐ近くの物体の影さえ覆い隠すほど、真っ白な細かい粒子で構成されており、霧と同じく水が姿を変えた現象とは思えなかった。こういう日の朝は、町の中央部に立地する工場の屋根を突き抜けて伸びる、何本もの太く背の高い煙突や、その煙突からもうもうとたなびいているはずの煙も、濃いガスに溶け込んで視界から完全に消滅していた。町の住人たちはその光景を見て、煙混じりの霧が町の中に降ってきているとほんとうに思い、ガスという言葉を使うようになったのかもしれない。とののそれほど鋭敏ではない臭覚を使って、そのガスをくんくんと嗅いでみると、石炭か木の燃える臭いがわずかに混じっているような気がした。
 とのとヴァロンは、早朝の薄明かりの中、まだ人が起き出す前に、暁彦の実家から一キロメートル以上も離れた地点までやって来ていた。その場所のすぐ近くには大きな川があり、五キロメートルほど下流で海に注いでいた。今朝は、川面はもちろん、国道が渡っている四、五十メートルもあろうかという長い鉄橋さえも、ガスに包まれて何も見えなかった。
 奈月ととのは、自分の実家に近寄ろうとしない暁彦を説得し、五月の連休の終わりの日にやっとその町に連れてきたのだった。実家に来た暁彦は、前の晩やけを起こしたように深酒をしたので、今朝のとのたちの行動に気づくはずはなかった。鉄橋を渡る手前の国道沿いには有名な老舗旅館があった。旅館の裏手には、頑丈そうな堤防が迫り、その堤防の背後にある川面まで湿地帯が延々と続いているのだが、ガスのため手前の小さな沼がかすかに見えるだけだった。とのは、暁彦が子供のころその湿地帯に遊びに来ていたことを何度か聞いていた。親との折り合いが悪かった暁彦は、なるべく家から離れた場所で一日を過ごした。この菱で埋め尽くされる湿地帯は彼の隠れ場のひとつだった。
 とのとヴァロンは、数年前の家族旅行でその旅館に泊まったことがあり、旅館の女将たちから暖かい歓迎を受けた印象が、彼らの心に強く残っていた。しかし、その旅館は、最近、営業を止めたわけではないのに客が宿泊していないらしいという噂が立っていて、彼らはその噂が気になって仕方がなかった。それに、とのは、暁彦が好んで来ていた湿地帯をゆっくり見てみたいという気持ちもあった。
 古めかしい破風がある木造の重厚な建物は、クリーム色のペンキが塗られ、二階の壁と窓枠の一部は今風のものに取り替えられていた。改修部分だけを見ると、洋式の建物に見えなくもなかったが、正面の昔風の玄関には、一枚物の大きなガラスが入った、古びた木枠の引き戸がはめ込んであった。ガラスには金色の重々しい筆致で、「沼のはし旅館」と書かれていて、その波打つような厚手のガラスを透かして中を見ると、奥の方に蛍光灯がひとつ点いていた。引き戸はぴったり閉まっていたので、二匹は裏手の堤防の上にまわり、一階の屋根から伸びるひさしの上に飛び乗った。滑りやすいトタンの屋根づたいに歩くと、少しだけ開いている二階の窓があり、旅館の中に入ることができた。旅館の二階は、真ん中に広い廊下があり、両側に学校の教室を小さくしたような部屋が並んでいた。とのは、「温泉」という大きな表札を貼った引き戸を見つけ、「ねぇ、入ってみようよ。」と、ヴァロンに言ったが無視された。
 蛍光灯が点いている一階の部屋の前に来てみると、見覚えのある人がいた。ヴァロンが首を伸ばしてのぞき込んだとき、首輪の鈴が鳴った。数年前、親切にしてくれた女将が、読んでいた新聞から顔を上げ、眼鏡をはずしながらこちらを見た。彼女は「あらっ」と大きな声を上げたが、その表情はすぐしわくちゃの笑顔になった。彼らはうれしくなって、手招きする彼女の方に急いだ。

 女将は、「あんたたち、ここまでよく来たね。」と声をかけながら、とのとヴァロンの背後に視線をはわせると、「父さんは、今日、いっしょじゃなかったんだ。」と言った。そして、卓袱台の上にあった鮭の乾ぶつをちぎって、「何もないけど」と彼らの前に置いた。
「料理人が辞めてしまったから、この旅館には私しかいないんだよ。私もずいぶん頑張ったからそろそろお役ご免にしてもらうよ。」と、女将はさばさばした調子で言った。
 八十才を過ぎて見える彼女は、東北地方の生まれで、若いころ親が決めた相手と結婚したが、その生活は夫の暴力にさいなまれる悲惨なものだった。彼女はそれに耐えかねて家を出て、伝手を頼って北海道にやってきた。再婚した相手はまじめな人だったが、原野の開墾や炭坑の坑夫などをして働きづめで、体を壊してしまった。そこで、夫が前からやりたがっていた旅館業を、戦後まもなく二人で始めたのだという。夫は昭和二十年代に若くして亡くなり、それからは彼女一人で旅館を守り、子供五人を育て上げた。旅館を始めたころは、港から石炭や木材などの積み出しが盛んで、大勢の人の行き来があったから、宿泊客が多く繁盛した。その後、大規模な工業地帯の造成、発電所やダムなどの建設が始まると、客層の変化はあったが、客足は衰えなかった。だが、ここ十年は周辺の工事が下火になり、客の減少に歯止めがかからず、そろそろ旅館を畳むしおどきかと思っていたら、料理人も察したらしく自らやめてしまったのだった。
「そろそろ爺さんのところに行って、今までのことを報告しようと思っているんだよ。」
 彼女はちらりと涙を見せた。そして、思い出したように立ち上がり、スチール製の重そうな一斗缶を抱えてきた。蓋を開けて取り出したのは、ふたつの鋭い針を持った黒光りする小さな兜のような物体だった。それは初めて見る不気味な形をしていた。
「旅館の裏の沼で採れるベカンベだよ。」
 とのは、暁彦が懐かしそうに何度か口にしたことがある奇妙な名前を思い出した。ベカンベとは菱の実のことで、この辺りでは昔、保存食にしていたという。
「とのの父さんは子供のころ、秋になるとベカンベをたくさん採って、私にゆでてくれと言ったものだよ。外が真っ暗になっても、学習塾に行きたくないと言って、家に連絡しないでここに泊まったことがあったな。あのころは電話の通じている家が珍しい時代だったからね。」
 とのは、固いベカンベを両手でつまもうとして、片方のトゲを肉球に突き刺しそうになったが、暁彦が喜んで食べたベカンベを自分も食べられるかどうか根気よく試してみた。
 笑顔で見ていた女将は、「これを父さんのおみやげに持って帰りなさい。」と、小さな買い物袋いっぱいにベカンベを入れ、とのの首に結わいつけてくれた。とのは感激して、思わず彼女の深いシワがよった手をなめた。暁彦に今日の話をしたら、きっと「どうして連れて行ってくれなかったんだ。」と残念がるだろうと思った。(この章了)

九 猫の身分証明書
 平成十二年四月、との一家は札幌の東隣の町に転居し、暁彦はそこから札幌の職場に通った。その年の十一月には四階建てのアパートを引き払い、市内の二階建ての新居に引っ越した。とのは階段が大好きだったが、階段がある家に住むのは初めてだった。一階から階段を見上げると、踊り場の向こうに誰かが隠れているような気がして、そっと様子を見に行くときのスリルは楽しくてたまらなかった。最初に住んだ札幌では高層の建物の長い階段の昇り降りに夢中になり、網走の二階建てアパートにいたときは、上の階の知り合いの家まで往復して遊んだ。函館では残念ながら階段にはお目にかからなかった。この新しい家では、階段でひとしきり遊んだ後、階段の突き当たりの二階の窓から外に出た。そこには、一階の上の狭い屋根があり、雨が降らない日はその屋根に寝そべって、カラスやスズメを威かくし、道行く人に挨拶した。
 暁彦は相変わらず仕事が忙しく、いっしょに遊ぶ時間が少なかった。暁彦が帰宅してからも、仕事のことを考えているのか、神経が休まっていないようなとき、とのは、暁彦の膝に両手を載せて「座っていい?」と尋ねた。すると、彼の白っぽい顔色にさっと血の気がさして、表情が和らぐのだった。
 家の近所には、ヴァロンの実の兄弟の「ラッキー」が住んでいた。ラッキーはヴァロンの性格とまったく違い、いつも穏やかな笑顔を絶やさない猫で、初対面の人間の大人にも子供にも、頭を近づけてなでてほしいという素振りをした。小さな子にヒゲを引っ張られたり叩かれたりしても、怒ったことは一度もなかった。それに根っからの働き猫で、家族が裏の畑に置いた堆肥ボックス周辺の見回りを、毎日まじめにこなしていた。畑には、ボックスからもれる残飯の臭いに誘われて、ネズミたちが大勢やって来ていたのだ。家族思いで控えめなラッキーは、終わりのないネズミとのバトルの戦果を、時々とのたちに報告したが、家族に仕留めた獲物を見せるようなことは絶対しなかった。そんなことをしたら、家族の誰かが気を失って倒れることを知っていたから。
 ラッキーは野良猫たちにも好かれており、彼といっしょに行動すると野良の知り合いが増えた。でも、野良たちはいつも食べ物を探さなければならない境遇なので、いっしょに遊ぶ余裕はなかった。それに、はるか昔から、猫は、国からねずみ捕りという大変重要な役割を任されていた。その代わりに、どこでも自由に通行できる身分証明書を交付されていて、たとえ迷子になっても、証明書を見せればお巡りさんにパトカーで送迎してもらえるし、もし保健所に連行されても、裏口からそっと解放されることになっていた。
 飼い猫も身分証明書をもらっていたが、飼い主の気持ちを考慮し、行動範囲の制限があった。ネズミ捕りの上手なヴァロンやラッキーが持っている身分証明書には、「優良」(条件ー自宅を起点として半径約五百メートルの範囲に限る。)としっかり書かれていた。それに対し、体が弱かったり、素行が悪かったりして、ネズミ捕りには不適格とされた猫は「不良」扱いとなり、原則外出禁止とされた。ただし、とのの場合は、「とのは不良猫じゃない。」と、暁彦が強く主張したかいがあって、「優良」の身分証明書の交付を受けることができた。条件として「単独行動不可」と赤字で大きく書かれてはいたが。とのは、「優良」身分証明書のおかげで、ネズミ捕りには興味がないのに、ヴァロンやラッキーを頼りに外出できたし、ときどきないしょで遠出することさえあった。ラッキーたち友達猫といっしょに、知らない世界を探検することは、無上の楽しみだった。
 とのは、猫が昔から特別な扱いを受けてきたという歴史上の事実を暁彦から聞いていた。古代エジプトでは猫が神聖視されていたし、野生味あふれた猫がたとえ人を食っても罰せられなかった。でも、中世ヨーロッパでは、異教徒が崇拝した神という経歴が過大評価され忌み嫌われた。特に黒猫は、魔女のお供をして空を飛ぶ特技があるとされ、ひどい差別を受けた。ほんとうは飛べないのに、あらぬ疑いをかけられ殺された多くの黒猫のことを思うと、とのはいつも泣いてしまうのだった。こうして猫の数が減ったため、ネズミがヨーロッパ社会にはびこり、ペストが猛威を振るったと言われているが、「ペストの大流行の原因は、ネズミのせいじゃなく、ほんとうは猫の呪いだったんだよ。」というのが猫社会の通説になっている。こんな細かい話をみんなは知らなくていいのだが、猫を粗末にしてはいけないことだけは肝に銘じてほしい。
 ラッキーは小さなころから、両方の後ろ足を少し引きずるような歩き方をしていた。去勢手術の後遺症の疑いがあったが、治療方法はないと言われていた。似たような症状を発症した兄弟のヴァロンは短期間のうちに快復した。ラッキーは足の状態を気にする様子もなく、毎日、元気に外出していたが、年をとるにつれて徐々に悪くなり、十三、四才ころには前足の力だけで体を引きずるようになった。ある日、彼はとのを呼んで言った。
「毎日裏の畑に行かなければ、ネズミたちの思うがままに作物を荒らされてしまうんだ。」
 いかにも残念で仕方がないというラッキーの気持ちが切々と伝わってきた。とのは、ラッキーの気持ちが少しでも軽くなることを願い、「ボクにはネズミ捕りは無理だけど、外出したときは必ず畑の様子を見にくるよ。」と言うと、ラッキーは「ありがとう」と言うように、無言で小さくうなずいた。
 ラッキーは三匹の中で一番長生きし、二十才を迎えた平成一九年、老衰で死んだ。人間の年齢に換算すると、百才に達していただろう。(この章了)

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