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約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)④

2015年04月09日 13時49分43秒 | 日本文学館「暁の警視庁」事案
  慈悲らの著述内容を検証する

 というようなわけで、前回は慈悲が「本当の著者は雲助だが、おいどんは契約上の著者でごわす」と言い張り、「この度の問題では著者が誰であるかなんていうことはくだらんことで、問題にもならん」(趣旨)と言い募っている。

 「問題にならん」と言うわりには、しばしば自らが著者だとあちこちで書いているのはどういう訳だろうか。その例は既に見てきたが、「契約上の著者」だと言い直した例として下記をご覧いただきたい。、

  雲助は、私に代わって買取り費用を支払うとTaさん註・日本文学館幹部)に申し出たそうですが、断られたといいます。著者として契約しているのは私ですので当然です。(2015年3月24日、クンちゃん宛メール、傍線クンちゃん)
 
 既に出版契約書(「ノベル倶楽部契約書」)において、著者=著作者として契約していない事実は確認した。
 しかし、慈悲の顔を立てて、念のため、増刷契約書(覚書)のほうも参照してみよう。

   

 やはり、慈悲が増刷分につき「著者として契約」した事実はない。型どおり、著作権者の慈悲が自らが持つ著作権の内容のひとつである出版権を増刷分についても日本文学館に付与するとの趣旨が読み取れるに過ぎない。
 慈悲は、事実上も、契約上も、その他ありとあらゆる見地からも著者ではない!
(なお、脱線ながら、この覚書の買取条項を文字どおりにクンちゃん流に読むと、「売れ残りが1部から750部の場合は、残部をすべて著作権者=慈悲が買い取る」というふうにしか読めないのだが、算数・数学からっきしダメなことに鑑み、それはぶつぶつ小声で言うことにする。)

 ところで、前記慈悲メールの内容のうち、雲助が日本文学館側に自分が買取分を支払うと申し出たとの点に触れるが、日本文学館はそれを受け取って済ませられるものなら願ってもないことと考えただろう。だが、多少の常識をわきまえていれば、そんなことはできないということぐらいはすぐわかる。
 それは、慈悲が言うように「慈悲が著者として契約している」からではなく、単に慈悲が契約当事者=債務者だからである。
「利害の関係を有せざる第三者は債務者の意思に反して弁済を為すことを得ず」(民法474条2項)という条文は習わずとも、その理屈は中学の公民で習うはずである。この雲助申し出の場合、債務者=慈悲が雲助の弁済を承諾しないのは明白であり、日本文学館側が確認するまでもなかったのであろう。
(雲助は著者なんだから利害関係のある第三者じゃないか、といぶかる向きに一言。ここでいう「利害関係のある第三者」の「利害」とは法律上の利害であり、例えば借地である敷地の地代の弁済について、借地上の建物の賃借人は、建物賃貸人たる当該借地の借地権者(賃借の場合もあろう)が地代弁済をすっとぼけている場合に、これに代わって弁済できる、というようなケースだから、契約そのものとは無関係の雲助はこれに該当しない。ゆえに、さすがの日本文学館も雲助からの弁済申し出を無念の思いで断らざるを得なかっただけの話。-脱線)

 さて、今回は、“なりすまし二人組”が投稿した慈悲ブログなどの資料をざっと検討したのだが、その結果、気になったものがいくつかあるので、それを挙げておきたい。

 まず日本文学館は、売るための営業は何らしていません。一ヵ月だけ契約書店に一冊置くだけでした。そんなことで無名な著者の本が売れるはずがありません。300部(実際の流通部数は230部)が売れたのは、★★(註・真の著者名。雲助のこと)と私の販売努力があったからです。(2015年3月23日、クンちゃん宛メール)

の文章中の「売れた」という点に、私は大きな疑問を抱いている。私、クンちゃんとしては、230部のうち売れたのは16部ぐらいじゃないかと思っている。同じように増刷分も200部だか300部だか売れたような説明が版元からあってそこから買取り部数が出てきたようだが、こっちもなんのことはない、実売はやっぱり12部ぐらいじゃないかと思う。(数字は、ごく少数という意味合いのいい加減な数字です。)

 自費出版本は、まず売れない。売れることのほうが稀だ。

 一般論で説明するが、例えば文芸社の大方の契約では1000部刷って、著者渡し分を除いた流通分のうち約300部を提携書店に一ヶ月間陳列するという約束になっている。
 これはたぶん約束部数を刷り、確かに300を少し超える提携書店に1部ずつ配本されている。約束はだいたい守られているはずだ。
 ところが、文芸社=日本文学館の提携書店と版元の関係というのが、どういう仕組みになっているかというと、書店はとにかく到着した配本分を書棚に並べ、一ヶ月が経過したら売れ残りを返送すれば、返送分を買い取ってもらえるのだ。一部も売れなくたってよい。返送あるのみだ。書店としてはかなりうまみがあるわな!
 だから提携するわけだが、なかには本が来ても知らんぷりで陳列せず、そこらへんに段ボールごとうっちゃっておいて、時期が来ればただ開梱してまた包みなおして送り返すだけ、というずるっこしい書店が出てくる。そこで、全国ところどころに駐在している販売部員が順繰りにパトロールしなければならないということになる。
 で、埼玉県所沢市近郊三芳町の専属倉庫に毎日毎日、各書店から戻ってくる、返本がぎっしり詰まった段ボール箱はどうなるんだべか。
 そのまま返本専用倉庫に文字どおり山積みされ、やがて満杯になると廃棄されるのだ。注意しなくてはならないのは、この廃棄分は、書店に代価を支払っているので、「売れた勘定」になる。
 したがって、文芸社の著者で、「センセイ、滑り出しは順調で350ぐらいは3日ほどで売れたんですが…、その後はどういうわけかパッタリで」なんていう説明をされた人は、ああ、おれの本はせいぜい50部売れたかどうかってことだな、と思わなければならない。これがシビアな現実なんである。
 日本文学館も事情は同じだから、“なりすまし本第一刷”は、230部なんて、とてもじゃないが売れっこなかったし、現実に売れていないはず。増刷の売れたという部分も同様だんべよ、と信じているクンちゃんなんである。

 ついでに、もうふたつほど。

 私が支払いを拒否していることをなぜ出版社は裁判で争おうとしないのか。それは、そうすることが「墓穴を掘る」ことになるからです。訴えたくても訴えられないのです。【2015/3/30(月) 午前 10:48慈悲ブログへの慈悲の書き込み】

 これはぼけつを掘るもおけつを掘るもなく、単に顧問弁護士事務所、田宮総合法律事務所の着手金などの費用が高くて、訴訟をやるなら慈悲の未払い分最大60何万円なんちゅうのはあきらめたほうが安い、ちゅうだけのことなんだよ。どんなつまんない事件だって、着手金だけでまんず50万円だかんね!とてもじゃないが、“生産性”の問題でひっかかるんだわな!

 だから、困るのは著者から訴えられること。訴訟というのは、ほっといて応訴しなければ負けちゃうわけだよ。
 んで、クンちゃんも、総額70万だか80万円だかの薄い本の案件で、非弁護士代理人訴訟をやって勝訴したことがある。
 これはひどかったな。なにしろ、本が出て、陳列も終わって、まあすべて終わったあとで、いきなり「印刷屋で同じものを作ったらいくらいくらぐらいだ。だから差額を返してちゃんちゃこ!」っちゅう訴状が熱海簡易裁判所から送達されてきたんだな。この程度の訴額じゃ、とてもじゃないが“生産性”が低くて弁護士に頼めない。しょうがないんで、自分で熱海まで4回か5回通って勝ったはいいが、相手も本人訴訟で静岡地裁に控訴した、簡裁からの控訴だから地裁となるわけだ。地裁ではもう非弁護士は訴訟代理人となれないし、まもなくクンちゃんは退職したので、田宮事務所より安い文芸社瓜坊社長の割ル友の中澤弁護士が追行したはずだ。これでは、もう勝つにしても大赤字。著者側から見れば、嫌がらせとしては大成功だ。このへんが、自費系版元の泣き所である。(脱線!)


 最後になったが、大立者のひとり、雲助の語録を載せないという手もあらへんでしょ、というわけで、以下をどうぞ。

 今思えば、金銭的に執着心の人一倍強いあなたを信用したのが、私の間違いでした。
多分、あなたは拙著の初版が完売した際、増刷はあなたの投資になると目論んでいたことから「増刷費用は俺が負担する」といい、あなた自ら出版社と増刷契約を結んだのでしょう。たしかに、あなたの名前で増刷契約を結んだのですから、増刷分に対しては「あなたに出版権」があります。
【2015/3/7(土) 午前 0:16、慈悲ブログへの雲助書き込み】

 この雲助書き込みに、“なりすまし二人組”の仲間割れの一端が示されているように感じる。
 それにしても、素人なんだから当たり前といえば当たり前、しょうがないといえばしょうがないのだが、本を出版するということに関して、この二人組はあまりにも知識が無く、それがこの度のから騒ぎの底流になったような印象を受ける。

 まず、雲助書き込みに見られる「完売」なんて、しちゃいないってこと。日本文学館じゃ、みんなで笑ってんじゃねーの!
 それから、「あなた(註・慈悲のこと)の名前で増刷契約を結んだのですから、増刷分に対しては「あなたに出版権」があります」ってのは、さっぱり意味がわからんちん。出版契約書にみるように、慈悲はとっくに著作権者になっているのだ。したがって、第一刷も増刷分も、著作権の内容のひとつである出版権は慈悲のものとなっていて、慈悲は日本文学館にそれを期限付きで付与しているのだ。そのみかえりに、ゴキブリの涙ほどの著作権使用料=印税をもらっている。
 当該書籍が絶版になれば、その出版権は慈悲の元に返ってくる。つまり、著者=著作者である雲助は現在、なんの権利も持たない無権利者になっている。わずかに、譲渡不可能な「著作者人格権」という権利は残っているが、これは非財産権で、内容を勝手に変更されない権利など、いわば著者にとって当たり前の権利が手元に残っているだけなのである。
 よくもまあ、こんなことをしてくれちゃったよなあ、日本文学館もだけど。まったく、あきれ返るのみである。
 そのこわさは次回、最終回でよく説明したい。
 なお、譲渡著作権は登録しなければ対抗要件を備えないが、こんなことは当事者以外にはかかわりがないので、必要ならば自分たちで調べてくんさい。

  ⑤につづく
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