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約束のゼニを払わん、というケース⑥追って書き   訂正します。ごめんなさい!

2015年04月17日 20時19分11秒 | 日本文学館「暁の警視庁」事案
   【お断り・今後、さらに追記する場合は、すべてこのページに追加します。】
  おいどんのどこが“なりすまし”なんだ!
   とほざく大河馬者慈悲に捧ぐ
     おまいは始まりから終わりまで
   すべてが“なりすまし”ちゅうこったよ


   これだけのタコは、きわめて珍しい。
   全国・全世界の留置場・拘置所・刑務所を探しまわっても
   まずみつからんだろうね!中にはね、じゃ、外には?!


 

 なあんだ、この賞状の画像、慈悲シリーズ連載第1回で見たよ!と言うそこの旦那やお嬢ちゃん、よーく聞いてちゃぶだい!

 これは確かに掲載済みの日本文学館【みんなにあげます「特別賞」】の賞状で、先の掲載時には特に説明をつけずにおいた。しっかし、この度、あまりに支離滅裂、厚顔無恥な慈悲ブログの新記事(既に旧記事となっているが)を見て、よくよく説明する必要を感じ、あえて、追記する次第である。慈悲関連連載の最終回に、訂正記事以外は今後一切アップしないと書いたが、今回はその訂正記事、訂正版である。説明不足だったとしたら、ごめんなさいね。

 さて、さて、その慈悲記事とは、以下の引用をご参照あれ。

  ①お前が嘘を言ったのは間違いない」と言われれば、確かにその通りです。しかし、その点だけでもって非難されることはとても納得できません。これは、出版社の説明が要領を得ないのと同じです。出版社も訳のわからない弁明を繰り返しています。(2015/4/17(金) 午後 0:00慈悲ブログ)

  ②「なりすまし」とは恐れ入りました。私は、まったくそういう認識はしていませんでした。クンちゃんさんにとって「晴天の霹靂」とも言える契約行為であるとしたら、私にとっても「なりすまし」という指摘は「晴天の霹靂」です。まさに「びっくらこいた」です。果たして、私は、何を意図して「なりすまし」をしたのでしょうか。「なりすまし」をする目的は何だったのでしょうか。クンちゃんは、その点を何ら説明していません。ぜひとも説得力のある説明をしてほしいと思います。(2015/4/17(金) 午後 6:00慈悲ブログ
)


 まず、①の記事について述べる。
 要は、嘘を言ったと指摘されればそのとおりだが、その点だけを非難されることは納得できない、んだそうだ。
 へえー、驚いた。この慈悲論法でいくと、「殺したと指摘されればそのとおりだが、その点だけをもって非難されることは納得できない」などというたわけた弁明も通用しちゃうんじゃないかい。
 鬼蜘蛛ココログのコメント欄で、慈悲は「虚言癖あり」と断じられてしまったので、新たなスタンスと言い逃れに新境地を見出そうとしているようだな。「虚言癖」のやりとりについては、下記アドレスからコメント欄をじっくり眺めてほしい。

     http://onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-e4f3.html

 本題の②に入る。
 こちらも、なんともはやと言うか、またまたびっくらこいたと言うか、さんざんなりすましだと指摘されていたにもかかわらず、今ごろになって「なりすまし」をなんとか否定してしまおうとの論旨のようだ。
 新手の言い逃れの趣旨は、故意じゃない、わざとじゃない、という刑事裁判の自供済みの事案でみられる泣きと同旨である。どうにも争いようがないため、情状酌量を乞う際の常套句とも言えそうだ。(どうせなら、こちらも「なりすましと指摘されればそのとおりだが、その点だけを非難されるのは納得できない」とでも言ったほうがいいんじゃないかな。)

 まあそれはさておき、今回のタイトル、「おいどんのどこが“なりすまし”なんだ!とほざく大河馬者慈悲に捧ぐ! おまいは始まりから終わりまで、すべてが“なりすまし”ちゅうこったよ」の説明を試みてみよう。ほんとはね、慈悲自身の心に手前で聞いてみりゃ、たちまち、了解!のはずなんだけど。

 タイトル前段(「おいどん」から「捧ぐ!」)については特に説明を要しないと思うが、引用記事②の冒頭「なりすまし」から、「びっくりこいた、です」までの要約をクンちゃん流に書いたということだ。
 なお、大河馬者、は「たいがばしゃ」ではなくて、「おおかばもの」と読んで、慈悲のように大きなカバのごとく立派な人物、という意味合いの造語である。慈悲の別ブログに掲載されているウォーキング写真をご参照(No718)。

 次に、タイトル後段(「おまい」から「ちゅうこったよ!」)までは、読んで字義のごとしだが、説明を加えんとわからんちんもいる由にて、以下解説する。

 「おまい」とは、大河馬者慈悲のことである。

 「始まりから」の説明には、上掲の日本文学館賞状が必要になる。
 クンちゃんが結構苦労して修正を施したこの賞状、受賞者氏名の記載位置には、いったいなんと書かれていたのか? そこには、

   「慈悲出 五羽巣」  という、大河馬者の氏名が書かれているのである。 

        丸シー表示のところで出てきた ©Gowasu Jihide 2012 Printed in Japan 
 、あれだよね。(あれだよね、の「あれ」がわからんというお方がいる。「あれ」とは、時系列的に過去の事象を指しているからそう書くんで、©Gowasu Jihide 2012 Printed in Japan のことを指すんだよ。)

 もう一度、書こう。「慈悲出 五羽巣」とは、言うまでもなく、クンちゃんと同じく埼玉県在住の慈悲の本名・実名の仮表記なのである。
 念のため断っておくが、著者である雲助の実名でも、筆名・変名でもない。

 これにさらに説明を加えにゃならんかと思うと情けないが、日本文学館の嘘っぱちコンテストには、「雲助の原稿が慈悲の名前で」応募されたのである。だから、賞状に慈悲の名があるのだ。先行きを見通したワル知恵であろう。

 クンちゃんとしては、これまで、日本文学館との出版契約締結前後に雲助-慈悲-日本文学館三者のなりすまし密約が成立したものと思っていたが、驚くなかれ、そのはるか以前に、雲助-慈悲の間では、なりすまし密約がとうに成立していたのでR。
 これは代理という類の内容ではなく、あきらかになりすましである。もちろん、過失でのなりすましなんていうのはありっこないから、慈悲が否定している故意は明々白々に存在している。
 以上が、「始まりから」の説明である。

 引き続いて、「終わりまで」の解説に移る。
 次の慈悲の記述をご覧いただきたい。

  雲助さんは、私が著者として出版社のみならず、あらゆる対象と交渉することを私に委ねました。本が売れてマスコミに取り上げられることになった場合、私にインタビューを受けることを依頼しました。それのみならず、本の内容が法的に問題となった場合でも、私が法廷に立つことを要求しました。今にしてみれば、まさに「捕らぬ狸の皮算用」です。 (2015/4/17(金) 午前 0:00 慈悲ブログ、傍線クンちゃん) 

 まさに、常軌を逸したことが書かれている。

 (雲助に言うだけではなく、慈悲自身も)黙ってりゃいいものを、調子こいてああだこうだと能書きを垂れているうちにとんだ襤褸が出てくる、まさにその典型である。「語るに落ちる」とはこのことなのだ。

 もし、「暁の警視庁」が売れて売れて、著者がマスコミの寵児となった暁には、雲助ではなくて慈悲が著者として世間様に顔をさらすという密約なのである。
 これで驚いてはいられない!さらに、著作内容に問題があって法的手続きが開始された場合は、雲助ではなく慈悲がこれまた著者として登場するというのである。

 これら非常識きわまりない密約は、それを「依頼された」「要求された」との表現になっているが、これまでの経緯に鑑みれば、慈悲がそれを受け入れたことは明白である。
 法的手続きの場合、興味をひくのは、民事だけではなく、刑事をも射程に置いていたのかどうか。そこは現在、明らかではないが、これらの意味を一瞬遅れで理解したクンちゃんは、しばらく茫然としてしまった。いろんなタコは、さんざん見てきたが、こんなタコははじめてだからである。

 慈悲が受け入れた以上の内容は、前記「始まりから」に対応する「(出版という行為の)終わりまで」の表現が妥当性をもつ根拠としては十二分であろう。今回のタイトルの意味に関する解説は以上のとおりである。
 ②の後半部分、【果たして、私は、何を意図して「なりすまし」をしたのでしょうか。「なりすまし」をする目的は何だったのでしょうか。クンちゃんは、その点を何ら説明していません。ぜひとも説得力のある説明をしてほしいと思います。】については、クンちゃんはあずかり知らぬことである。よく言うよ!まったく。張本人の慈悲自らが、悔い改めとともにいずれ告白すべきであろう。
 なお、最新の慈悲ブログに、同様趣旨が繰り返されている。部数の異同など数字がらみの虚偽説明についての次の記述である。 虚偽の説明をすることで私は何のメリットもありません。私を批判する人は、私が虚偽の説明をしたことの合理的な理由を説明すべきですが、その説明をしていません。それでは説得力を持ちません。説得力のある批判に意味はありません。(2015/4/19(日) 午後 10:00慈悲ブログ)

 どうしたらこのような思考回路を取得できるのだろうか。

 確かにこうした考え方、段取りが必要とされる特殊な世界があるにはある。
 それは、刑事事件の捜査という一般社会とはかなり乖離した世界である。捜査関係出身でもない慈悲がこのような河馬げた要素をふりまわすならば、またまた大河馬者と評価されるだけだと知るべきだ。

 刑事裁判において公判を維持して有罪に持ち込むには、警察・検察段階で慈悲が言うような要素について厳密な捜査(立件)が必要である。推理小説の世界もまた同様である。
 しかし、いま慈悲が批判にさらされているのは刑事立件を目指したものでもなんでもない、一般社会での常人同士のやりとりである。虚偽だと指摘する場合には、当該指摘が誤っていないというだけの証明で十分である。飛躍や勘違い、妄想はいいかげんにしてもらいたい。
 

 さて、追って書きの追って書きになるが、必要に応じ、賞状などの信憑性を証するため、修正した画像を掲載済みの「日本文学館・ノベル倶楽部契約書」や、増刷にかかる「覚書」も、マスキングをはずしたオリジナル版で掲載することにしたい。「必要に応じて」とはどういう場合か、懇切丁寧に先まわって説明しておくが、「賞状においどんの名前などござらん」なんぞと慈悲がのたもう場合ほかである。

 個人情報のからみは多少あるものの、真実性を担保するためにはやむを得まい。もっとも、慈悲は明4月20日に訴状を出すと慈悲ブログで予告している。やがて、いずこかの裁判所に訴訟が係属すれば、裁判(本訴)は調停と異なり公開ゆえ訴訟資料は誰でも閲覧できることになる。
 そうなれば、訴状そのものはもとより、これら契約書類は個人情報もへちまもない公開情報へと性質を変えていく成行きであるから、時期は多少早いが、現在段階での公開にも大方の了承を得られるものと考えている。

   (以上の記事は、4月17日から同19日にかけて順次サイトアップしたものである。)
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