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約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)③

2015年04月08日 10時42分40秒 | 日本文学館「暁の警視庁」事案

   
 
   桜が残っているのに、
   雪になっています。
   午前10時過ぎ、埼玉県
 



    「著者ではない」と認めても、
            「著者だ」と言い張る不思議


 というようなわけで、“なりすまし二人組”と嘘っぱち商法の日本文学館が共謀して「なりすまし単行本」を発行・増刷したことが、「本当の著者雲助」の告白により世間様の面前に露呈されることとなった。
 一貫して自分が「著者」であるという格好で振る舞ってきた慈悲は、普通のヒトならここで急ブレーキをかけて別方向へ遁走するところだが、逆に瞬時に居直った。ここがナミのタマではない慈悲の慈悲たる所以である。

 慈悲はただちに「本当の著者が雲助」であることは認めた。ナイス!
 ところが、同時に「おいどんが著者でごわす」と言い続けてきたことが、いかに正当性に満ちたものであるかを力説し始めるのである。

 その強弁の要旨と慈悲のナマの声の一部は、次のとおり。

 ①本当の著者(雲助)になりかわって、版元との契約からメディアへの露出(こりゃあ妄想に基づく仮定ですが…)から、なにからなにまですべてにおいて著者として振る舞うことを、雲助から委任されていた。つまり委任代理人だというわけだ。(大意)

 私が出版社(日本文学館)との交渉を「著者」としてブログで公開したのは、本当の著者である★★(註・真の著者名、雲助のこと)に契約に関わる全権を委任されていたからです。(2015年3月23日、クンちゃん宛メール)

 私がブログで出版社との交渉を「著者」として公開しているのは、私が契約上の「著者」であるからです。「本当」の著者は、雲助さんが「暴露」した通りです。しかし、「本当」の著者が誰であろうと、私が著者として出版社と契約した訳ですので、私が著者として出版社との交渉を公開することは何ら問題はありません。(2015年3月27日、クンちゃん宛メール)


 ②慈悲が昨年来問題にしているのは、増刷契約の契約内容、「覚書」というタイトルの契約書上の文言解釈の問題(実際は明文を離れた、日本文学館担当者の口頭説明内容の解釈)であって、著者が誰であろうとなんら問題はない。(大意。んなこと言うなら、「おいどんが著者」なんて言うなよ!)
 
 何度も言いますが、私は、出版社名も著者名(ペンネーム)も本の題名も何ら公開していません。解釈の妥当性を巡って争っている訳ですので、著者が誰であるかということはまったく関係ありません。「本当の著者」が出る幕はどこにもありません。それなのに、雲助さんは、「ブログ主(私)は嘘を言っている。本当の著者は私だ」と爆弾発言しました。どうしてそうする必要があったのか。それは、.................言うまでもないことなので非公開..........。(2015/4/7(火) 午後 0:00アップの慈悲ブログより)

 
 事の真偽は闇の中で、当事者以外にはなかなかわかりにくい。だが、これまで私が知り得た情報や資料を総合すると、どうやら雲助が相当な権限を付与して、慈悲を代理人に選任したことは確かなことのように見える。
 しかし、それをもって慈悲が「おいどんは著者」と強弁することはできない。

 さる筋から入手した資料を少々検証してみよう(検証とかいうレベルには至らんがね!それと、またまた脱線部分が多くなるので、いやな人は文句を言わず、このへんでお帰りください。)
 以下は、問題書籍の「出版契約」の契約書と、「増刷契約」の契約書の画像である。クリックしてくんさい。(タイトルはご覧のとおりだが、これはこれで特に問題はない。)

  

 まず、この「ノベル倶楽部契約書」だが、ノベル倶楽部というのは説明するのが面倒なんで、ノベルことはしないが、「上記著作物を書籍として出版することについて」との文言が見えるから、これは出版契約書の類とみてよい。 
 上のほう、「著作者名」「書名」は空欄となっていて、「著作権者」には慈悲の署名押印がある。「出版権者」は日本文学館となっているから、これは純粋自費出版ではなく、著作権者が版元たる日本文学館に著作権の内容のひとつである出版権を付与したことになっている。(出版権をいわば借りた版元は著作権使用料=印税を支払うことになるが、文芸社や日本文学館ではゴキブリの涙、定価の2パーセントが原則であり、その源泉は著者が支払った費用ということになる。つまり、著者は自分で支払ったカネのごく一部を印税という名前で返してもらっているだけなのである。)

 「著作者名」というのは「著者=作品を書いた人の氏名」であり、通常、実名が書き込まれる。ペンネームを使う場合はこの欄に併記するかただし書きを付ける。少なくとも、契約書本文のどこかにその旨明記するべきだ。ここでは空欄となっていて誰でもなんでも書きこ込め、のちのち争いを生じる可能性を否定できない。書名欄も空欄になっているが、書名が確定していない場合には仮のタイトルを(仮)として記載しておくか、ただ空けておかずに「未定」とでも書いておくのがよい。

 「著作権者」というのは言わずもがな著作権を持っている人のことで、通常、著作者=著者と同一である。なぜなら、著作権というのは、著作物を作成した人(著作者=著者)に自動的に発生する権利だからである。権利の発生、取得にまったくなんの手続きも必要がない。幼稚園や学校に行くと、教室のうしろに「ママのお顔」の絵が張ってあったり、「日本の政治家はゴマの灰※」なんていう習字が張り出してあるが、あれはすべて著作物で、作者の幼児や児童に著作権が備わっている。
 したがって、著作者と著作権者が異なる場合は珍しく、なんでそうなっているのか、契約書本文でその旨表示するか、別紙の「著作権譲渡書」を添付するのが、あたりまえの措置だ。例え、その段階で将来的にも争いにはならないだろうと思われる身内内の権利譲渡、子どもの作品を親の出捐で出す、夫の作品を妻のへそくりで出す、なんていう場合も、親や妻に著作権が移る場合は面倒でもこの手間をはぶかないほうがよい※。(著作者が民事上の行為無能力者のケースは、著作権講座ではないので、ここでは触れない。)
 このように見てくると、日本文学館の契約書作成は杜撰のそしりを免れないが、書面上、読み取れるのは、慈悲は著作権者ではあるものの、著作者=著者ではないことで、これは重要ポイントだ。慈悲が極悪人であくまで「おいどんが著者」だと争えば面倒なことになるが、雲助が「本当の著者はわたくし」と告白したことに対し、正直に同意しているので、著者でないことは事実上、書面上確定している。それにもかかわらず、上記①で、「おいどんが契約上の著者」としつこく言っているのには、なんの根拠もなく、首をかしげるばかりだ。

 なお、この契約を眺めてみると、雲助は、
 Ⅰ
著者としての役割の相当部分を慈悲に代理してもらう。(もっとも、対世間様向けのなりすまし密約は、代理人の権限を超える(権限踰越=ゆえつ)じゃないか、とか、公序良俗違反の委任契約で無効だんべとか言わんでも、そもそもこんな委任は成り立たないと考えるべきであろう。)
 Ⅱ
第一刷の費用を立替払いしてもらう、
という些細とも思えるふたつの要素と引き換えに、大切な大切な「著作権」を慈悲に譲り渡してしまった。これも呆れて開いた口がふさがらない。このような愚かな行為、クンちゃん流に言うと“おそろしい行為”を平然となし、また他方も躊躇なくそれを受け入れる、そんな“なりすまし二人組”の関係というものが私には到底理解できない。(このおそろしさは後述する、つもり)。

 さらにビビるのは、慈悲はこんなことまで、言ってるのだ。

 雲助さんは墓穴を掘りました。黙っていれば当事者(著者と私と出版社)以外にはわからなかったのに、「売れなかった本の著者は私です」と自ら告白したのです。滑稽この上ありません。ましてや、私が読者を騙しているとか、出版社を脅迫しているとか、とんでもないことを言っています。呆れて言葉がありません。その言っていることの馬鹿馬鹿しさは、私の文章表現能力では容易に記述することはできません。(2015/4/7(火) 午後 0:00アップの慈悲ブログより)

 黙ってりゃバレんかったのに!貴様!と言ってるのだ。

 「数十年の歳月が過ぎようが、「真実」は必ず露呈する。 嘘は必ず暴かれるのだ。」(http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67922583.html)
呆れて言葉がありません」ってのは、おまいが言う台詞じゃなかんべよ!(各傍線、クンちゃん)


ゴマの灰(護摩の灰、胡麻の蝿、の2説がある。) 

 ④につづく
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