文芸社=日本文学館、幻冬舎ルネサンス等自費出版(出版費用著者負担エディション)よろず相談室 クンちゃんのエディタールーム

著者が費用を負担する出版。その内実をクンちゃんが報告。よろず相談も受けますが、必ず問題解決できますとは確約できない実情!

クンちゃんブログの終結

2016年08月25日 08時25分30秒 | アピール、お勧めなど
   クンちゃんブログは店仕舞い!
   2016年9月末日をもって終結致します。


   
     クンちゃん犬

   始まりあれば、終わりあり

 みなみなさま

 ご愛読いただきました「クンちゃんブログ」こと「文芸社=日本文学館、幻冬舎ルネサンス等自費出版(出版費用著者負担エディション)よろず相談室 クンちゃんのエディタールーム」は、2011年(東日本大震災の年)4月に開設致しました。指折り数えますと、5年4か月を後ろにし、その間、多くの皆様からご支援ご協力を賜りました。ブログ終結にあたり、深く感謝いたします。
 また、一方では数限りない非難中傷および直接間接の攻撃にさらされ、栗田工業関係者の面々にはわざわざクンちゃん自宅までご来訪を賜ったほか、メッセージ窓口閉鎖、コメントの受入れ停止等に至ったこともありました。なんとか今日まで継続することが出来たのは、僥倖かもしれません。

 クンちゃんブログ終了後、過去記事をどうするか等はさらに検討してまいりますが、自費出版関連以外の「日記」「ありふれた日常」として書いた“よもやま話的記事”は抜き出して、あらたに立ち上げる考えの別タイトルブログに包含していくことを検討しております。

 なお、文芸社、日本文学館関連ほか自費出版に関わる記事、栗田工業関連等について、必要なお方はブログ終結前に当該記事を保存なさるようお知らせいたします。
 今後も当サイトでは、数本の新記事アップを構想し、併せて今後の方針についても順次お知らせしたいと考えております。よろしくお願いいたします。
 取り急ぎ、店仕舞いの予告をさせていただきました。
                                                        2016年8月25日
                                                          クンちゃん人拝

           註1★“栗田工業ちかん裁判敗訴の真相”法廷で老創業者の男気が公表を拒んだ 会長の社内行状
                ★自費出版図書館、前館長・現館長、文芸社との腐れ縁の起源 ほか




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 【おしらせ】
 新記事の枠外に広告が貼りついています。そのなかに自費出版関連の法人あるいは個人の広告も含まれ、盛んに誘客していますが、これらは当クンちゃんブログとはなんの関係もありません。実際になにをやっているかわからない法人あるいは個人を推奨しているわけではありませんので、よくよく注意なさってください。当告知は新記事アップの際に新記事に移動しますのでご了承ください。


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クンちゃんブログ終結のおしらせ

2016年08月24日 22時46分16秒 | アピール、お勧めなど

 クンちゃんブログ終結、店仕舞いのおしらせを明日25日に掲載いたします。
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小紋潤の喰ろうた夕めし

2016年08月24日 19時49分01秒 | 日記

    ある日の夕食、
   小紋潤の喰ろうた献立はこれだ!


 前報にうっかり「詳細確認中」と書きましたので、なんか追加原稿をアップしなければならなくなりました。ところが、唯一の地元筋と連絡がとれません。

 そこでやむを得ず、きょうの昼下がり、先方がやや手すきと思われる時間帯に、西彼メディカルセンターというところに電話してみました。以下、要旨。

ク  ン 「あっ、どうも、三階の小紋の知り合いでクンと申しますが、ちょっとつかぬことをお尋ねします。
     最近、あん人はベッドで点滴じゃなくて、食堂に行ってめしを喰ろうておるように聞きよりますが」

先方女史 「ああ、小紋さんね、あん人は車椅子でね、食堂においでなさって、食べておられますよ、はい。
     一週間ぐらい前からのようですよ」

ク  ン 「はあ、そうですか。食い物が喉を通るんじゃ、なんかうまかもんば送ってやろか思うちょりますが、
     どんなもんがええでしょうか」

先方女史 「それはねえ、好みもあるし、なんとも言われませんが…」

ク  ン 「そちらでは、どんなもんを喰ろうておるんでしょうか」」

先方女史 「うーん、そりゃあ、いろいろですよ…」

ク  ン 「ちなみにきのうの夕食はどんなメニューでしたかねえ?」

先方女史 「そんなんわかりませんよ、ここでは!食堂じゃないんだから」

ク  ン 「いやいや、その机のところに献立表が貼ってあるでしょ、それを読んでくりゃあ、ええですよ…」

先方女史 「あれま、ほんまに。えーと、いいですか、きのうの夜ね、
     ご飯、かぼちゃの味噌汁、白身魚のソティ大根おろし添え、和え物、デザートはパイナップル。
     小紋さんはご飯じゃなくて、お粥でしょうね。それから、自前で梅干なんか持ってくる方は多いですよ」

ク  ン 「なーるほど、なるほど、よーくわかりました。じゃあ、ちょっと考えてみますわ。
     どうも、いろいろありがとうございました!」

       (後略)
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小紋潤、座ってめしを食う!

2016年08月23日 10時57分08秒 | 日記
     小紋潤、起き上がる!!
  食卓にてめしを喰らう!!


  


 小紋潤、座ってめしを食う!!

 大荒れの台風9号が過ぎ去った昨夕、クンちゃん宛着信した長崎通信によりますと、「かねて当メディカルセンターにて静養中の小紋潤さんは、このところ回復めざましく、食卓についてお食事ができるようになりました云々」ということです。
 ながらく立ち上がることに困難を覚えていたという小紋潤ですが、
 ながらみ書房刊が奏功したか!? 詳細確認中です。

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音訳校正の“余禄”

2016年08月17日 19時44分26秒 | 日記
    自分では決して読むことのない本、
   それを読み聞かせてもらう楽しみ
 


 ボランティアで音訳校正(読み手が書籍を朗読して録音したものを、原本書籍と照合して校正校閲する)というものをしています。
 主に目の不自由な方々がこの朗読録音(CDかな?)を利用されています。

 おもしろい!

 文字の校正なら、変換ミスというものが必ずあって、ゲラ(校正刷り)の段階でこれを発見できないような編集者とか校正者だとメシの食いあげ、ということになります。
 ところが、音訳ですと、原文の刊本に変換ミスがそのまま刷られてしまっていても、音は同じなので問題がないのです。
 
 例えば、
 ええーと、すぐに思いつかないのですが…、あとで出てくる「苗木を移植」が「苗木を衣食(とか異色)」に間違って刷られてしまっていても、読みには変わりがないので、音訳者は誤植に気が付こうが付くまいが、「いしょく」と読めばそれでいいのです!
 
 と、いうようなわけですが、この音訳校正をやっていると、ふつうならクンちゃんなど決して読むはずがない本を扱うことも珍しくありません。
 そうして、それらの本の朗読を聴いていると、時々、ハッとさせられる記述に出あい、ふつうなら読むはずもない自分という存在を恥ずかしく思うこともしばしばです。

 きのう、春名康範著『生きる力』を音訳校正していたのですが、このときもそういうことがありました。

 宮大工の西岡常一さんは、『木のいのち、木のこころ』註1という本の中で、苗木を移植するときには南に伸びていた枝は南に向けてやらないとやがて木がねじれて育つと言っておられる。「堂塔造営の用材は木を買わず山を買え」「木は山の生育のままに使え」「木組みは寸法で組まず木の癖で組め」とも言っておられる。南の斜面で育った木は、建物の南側の用材として使い、山の北側の斜面に育った木は建物の北側の用材として使うならば持ちがいいそうだ。それを安く上げようとして、木が育った環境も心にとめず寸法だけで使うと木がよじれ、そり、ねじれて建物も長く持たないのだそうだ。木の個性や素材なんか関係なく合板にして使いやすくして用いると建物も30年もすれば持たなくなる。木も人間も同じだと言っておられる。人それぞれの個性や育ってきた歴史を無視して、役に立つ人間にしようとして圧力をかけるとねじれやよじれが起こってくる。註1(3部3冊のうちの「天」1993草思社=文芸社に駆け込む前の良い時代の産物)

 結構長く生きてきて、こういうことをまったく知らなかったのです!恥ずかしい次第です。
 南産は南で使用、北産は北で使用。
 「人それぞれの個性や育ってきた歴史を無視して、役に立つ人間にしようとして圧力をかけるとねじれやよじれが起こってくる。」
 なーるほどねえ。そういう例をしばしば見るような気がしますね、偉い人たちに!
 いろんなことにあてはまるのでしょう。

 ただし、ヒトの場合は「可塑性」というものがありますから、出自が百パーセントその人を決定するわけではないようですよ。可塑性とは、若年の犯罪を犯した人たちの減刑を求める理由として用いられることが多いのですが、なにも若者に限ったことではないでしょう。ですから、出自から推定される人物像の範疇から抜け出る例があることは間違いないと思います。


   
   太陽の光が大好きなプルメリア!たくさん陽に当ててやろうと、2階ベランダの手すりの角に板を渡してその上に鉢をのせました。
    7月中旬の風の強い日に、大きく育った葉が風をはらみ、
    どかーんと地面まで落ちてしまいました。三叉に分かれていた幹は3分裂、そのうち2本はなんとかなりそうなので包帯で巻いて養生していました。
    きょう、ふと見ると花芽らしいものが見えました、2本ともに!危機を感じて、花時を早めているのでしょうか!?


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「今上天皇の真意は」の過去記事がわからん、と!

2016年08月16日 18時00分11秒 | 日記

  はっきり書かなくても、ご賢察くだされ度!

 先日、「今上天皇、生前退位へ向けたビデオメッセージ、その真意は!」(放映された8月8日付)という記事
   http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/774e83cb555a9a1d4408fb36cfa6c2fb
をアップしましたら、きょうになってメッセージ窓口経由で「クンちゃんの結論は独特の表現なんで、わかったようなわからんような、なんですが」という着信がありました。
 その前の“うましかめ”からの着信と違って先方とやりとりが出来ましたので、真面目な問いかけであろうと解釈しましたが、「別に独特じゃないけどね。みなまで言わさんといて!」というのが正直な感想です。
  しかし、いくらかお若い方も読んでいて、あるいはつーかーとはいかない場合もあるなってことで、次のような譬えを書いておくことにします。

 *************

 老舗の呉服屋さん。この大店、大旦那が亡くなったときに限って跡目相続がおこなわれる、いわば「大旦那終身制」という仕組みになっている。 いまの大旦那は、60歳になった年に、やっと若旦那の「若」が取れて先代を継いだ。

 それから20年。いまの若旦那も60歳になっている。大旦那はなにかにつけ、長かった若旦那時代の自分の心境を思い出す。そして、このまま自分が永らえていくと、息子は古希(70歳)を迎えても“若旦那”かもしれんな、と嘆息する。今後はあれやこれや困ったことも起きてきそうだし…。
「これはいまのうちになんとかせにゃいかんな」――大旦那はいろいろその方策を思い巡らす毎日であった、とか。

 *************


   「戦争は知らない」カルメン・マキ。少し崩しすぎかな。だけど、歌い手は若いころよりいい女になってるな!
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ずーっと「戦争は知らない」でいきたいものです! 71回目の敗戦の日

2016年08月15日 13時03分55秒 | 日記

     天皇陛下、「深い反省」再度表明=終戦記念日
      (時事通信 8月15日(月)12時21分配信)
     「天皇陛下は15日の全国戦没者追悼式で、昨年に続き「深い反省」との表現をお言葉に盛り込まれた。」


   子どもは当然、あんちゃん、ねえちゃん
  おばやん・おっさん、じじばばも、
  ずーっと戦争なんか知らんでいきたいわな!


 昭和20年、1945年8月15日、敗戦。
 きょう、71回目の敗戦の日が巡ってきました。

 クンちゃんは当然、「戦争を知らない子供たち」の一人でした。
 昭和24年遅生まれ、25年早生まれ、だいたい66、67歳が同級生たちの年齢です。
 戦中生まれでも、昭和18年ぐらいまでのばば、じじ(72、3歳とか74歳)は、戦争を記憶していないでしょう。したがって、いま世の中を動かしている人たちの多くは、政権にある人びとを含め「戦争を知らない子供たち」より、ずっとずっと遅く生まれてきた人びとです。

 クンちゃんは5年前に会社を定年で辞め、このブログを始めたのもその年です。東日本大震災の年でした。5年なんて、あっと言う間、つい、この間のような気がします。
 そうして考えてみると、私たちが生まれたのは、戦争が終わって4、5年。敗戦からほんとうにすぐのことだったんだ、と親たちの苦労がしのばれます。

 知りもしないくせに、戦争も辞さない、などということを腹に秘めているのじゃないかと疑いたくなるような言動がしばしば報じられます。

 政権党にだって、戦争を経てきた人たちはついこの間までたくさんいて、「戦争だけはだめだ!」とはっきり言ってましたよね!

 世の中を動かすことができる地位にいる人びとには、戦争と戦争への備えが重要だなんて考えないでもらいたいと思います。お願いしますよ!

 こういうワセダの4号館のヒトはホントに、ほんとに、本当に困る!
 まっこと、的を射ている、胸のすく記事がありました。ご一読を!

  http://blog.goo.ne.jp/4456hs/e/260f4c42f8d1ab0f6aca1810282101d0?utm_source=admin_appeal&utm_medium=realtime&utm_campaign=realtime

 
 
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明日をも知れぬわが身、が的中する恐怖

2016年08月13日 16時13分15秒 | 日記

  顕在的・潜在的危険を承知で
  原発を再稼動する愚かしさ


 立秋を過ぎましたが、(例年どおり)暑さは続いています。
 このところ、当地もかなり暑く、夕立もまったく来ません。
 7、8、9、10日(日〜水)とエアコンの厄介にならなければならない日が続きましたが、12、13、きょうと凌ぎ易くなっています。

 暑い日でも当地は、海岸部と比べると3℃程度は気温が低いですし、海から吹き上げてくる風があればまさに「一服の清涼剤」を味わうことができます。また、夕方から陽が落ちた後はまず一気に涼しくなるので助かります。早朝は涼しすぎて、毛布ぐらいは手近に置いておかないと、目をつぶったまま起き出して押入れから薄物を引っ張りだすことになります。
 まだ、しばらく暑さは続くとの予報ですので、どうぞ御身お大切に!

   
     庭のキキョウは元気いっぱいです。

 さて、きのうは日航123便の御巣鷹山墜落事故から31年とのことで、ちらっと関連記事を書きましたが、つらつら考えるに(考えなくても実感でわかるという方も珍しくないでしょうが…。)人間というものは本当に誰でも思いがけない奇禍に遭遇する可能性を背負わされていますね。
 
 きのうご紹介した、メッセージ窓口経由から送信して来た方は、「飛行機事故があるからって、飛行機に乗らないワケにもいかない」という趣旨を述べていますが、絶対飛行機に乗らない、というごく少数の人を除いては、そのとおりと思います。そして、自動車に関連した事故に遭う確率が飛行機よりはるかに大きいことを知らない人は少ないでしょう。

 しかし、大多数の人びとは、「まあ、危険性がないわけじゃないけど、おれは、私は、とりあえず大丈夫だろう」と、自動車や飛行機に乗り込んでいきます。自分だけは大丈夫と思うわけです。そうして、どれだけの確率かわかりませんが、誰かが確実に危難に遭遇する実情です。
 このパターンは、その人物が有名であれ無名であれ、またその人固有のあらゆる事情の如何を問わず、一定の場合に公平に適用されるようです。

 著名な人の遭難例として、飛行機事故ではかの有名なグレン・ミラーをはじめ、日航123便には坂本九ちゃんが乗っていましたし、その何年か前には向田邦子さんが台湾で墜落死してしまいました。
 また、墜落事故ではなく危害も受けませんでしたが、1970年のよど号ハイジャック事件の際には、まだ若かった聖路加病院の日野原重明先生が乗り合わせていましたし、全日空札幌便事件の際には加藤登紀子さん一行が乗っていました。枚挙に暇がありません。

 危険性を認識しつつ、一定の確率で危難に遭遇してしまう私たち、ほんまに“明日をも知れぬわが身”です。

 電力会社・政府がらみで長年でっちあげてきた「原発に危険はない」という絶対安全神話が崩れ去り、原発も「まあ、危険性がないわけじゃないけど、おらほうのところは、まず大丈夫だろう」という水準に転落しました。しかし、原発事故のもたらす惨禍は、もうみんなが十分知っているように、他の惨禍と比較できるレベルではありません。

 その危険性は、稼働中だろうと休止中だろうと、廃炉へ向けて作業中だろうと潜在的に同じです。再稼動などもってのほかでしょう。

 「まあ、大丈夫だろう」ということで、すべてを失ってはならないと思います。
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臨時アップ! 悩ましい「うましかめ」のメッセージ

2016年08月12日 12時04分53秒 | ありふれた日常
  馬鹿め!か、旨し亀か?

 臨時お知らせを申し上げます。

 画面左手のメッセージ欄から、下記ご連絡をいただきました。
 すぐ着信不能となったメルアドをつくるヒマなお方のようですが、なんとなくどなたかの気配を感じます。

 で、最後の「うましかめ」はよくわかりませんで、「馬鹿め」と罵っているのか、「旨し亀」?というHNなのか。

      「絶対に馬も来ている!クン小屋には鹿が出てくるらしいけど、よく見れば馬もいるはずだ。
       原発の事故があったから原発やめろって人結構いるよ(う)だけど、飛行機の大きな事故が
       あるから飛行機に乗らないわけにはいかないでしょ?それから、書きかけの記事をほったら
       かして次の話に写らな(移らない、か)でもらいたいよ、何度も行くのは手間だから。うま
       しかめ」

 どうも一昨日アップの記事「究極の恐怖の再来、現代の壊滅候補地はどこだ?」(書きかけ)の関連らしいのですが、限定的な飛行機事故と際限もない原発事故を同じ土俵にのっけることは出来ませんよ!
 きょう8月12日は、日航123便の群馬県御巣鷹山への墜落事故から31年ですので、それがこの方の脳裏でクンちゃん記事とリンクしたのかもしれませんね。
 
 書きかけ記事については、まことに申し訳ありません。
 この5年間、いつもそんなことをやってきたのです。
 で、だいぶ時間がたってしまうと、「書きかけ」の告知も引っ込めてしまったりしてね。
 お詫びのしようもありません。
 が、そういう体質はいまさら変わらないと思います。お許しを!

 ついでですので、あとでもう少し付け足すか、別記事をアップしたいと思います。
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死んだものとあきらめかけた、そのとき!

2016年08月11日 20時52分19秒 | ありふれた日常

   植物の生命力の強さに脱帽!
    ヒトもこうありたいねえ!


 鹿の額ほどの狭い庭で、いろんなものを作っていますが(作ろうとしているが、と言うべきか)、時々、へぇーと感心してしまう小さな出来事に出合うことがあります。

 先日、アラマンダの花がまだ咲かない、という記事を書きました(8月9日)。
 去年、沖縄から送ってもらったオオバナアリアケカズラ四鉢のうちひと鉢は、室内で越冬中に株のまわりに雑草がぼうぼうに生えているのを本体が元気なものだと見誤り、地面に戻そうとした5月5日によく見れば枯れてしまっているのでした。

   

 かなりがっかりしました。そして、このひと鉢だけは地面に戻しようもなく、鉢のままに残しておき、枯れた枝を刈り込んだりして、様子を見ていました。
 死んだものとあきらめかけていた5月15日、ふと見ると、新芽が出ているではありませんか!

   

 うれしいもんです。
 それからは、日々声に出して励ましつつ水やりなどもよく注意していたところ、7月8日には他の連中と同じところに戻してやれる状態に快復しました。そこで、地面に戻しました。

   

 というわけで、8月9日朝には、仲間と同等の元気さで太陽の光をいっぱい浴びておりました。

   
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究極の恐怖の再来、現代の壊滅候補地はどこだ?

2016年08月10日 23時20分35秒 | 日記

     「危険をまったく知らされず、いきなり殺された恐怖」(原爆)
     「危険と知ってしまった後も、NO!と言わない恐怖」(原発)


           地元経済もそりゃあ大切だけど、
    死んじまってからメシが喰えるんかい?



 人間いたるところ青山あり(じんかん、いたるところせいざん=お墓=あり)とは言うものの、個人的レベルではない一個の都市が多数の市民を巻き込んで壊滅するという事態は、思うだに震撼せざるを得ない。

 先に放映されたNHKテレビ地上波「決断なき原爆投下-米大統領71年目の真実」によると、当初、米陸軍サイドが選んだ原爆投下候補都市は京都だった。しかし、トルーマン大統領と陸軍大臣は、「京都に原爆を落とせば世界中から非難される」(趣旨)ことをおもんぱかってこれを退け、第一、第二の投下候補都市は、「広島、小倉、長崎、新潟」の四都市のうちから決定されることとなった。

 該当する都市の住民は逃げようがない。何も知らされていないのだから。
 これはまさに究極の恐怖である。

 それでは現代日本において、壊滅的な被害を生じかねない都市、地域というものはあるのだろうか?

 ある!

 原発所在地周辺エリアがそれだ!

  日立、水戸、浜松、静岡あたりはだいぶ近いね!
*印は常識的にみて、あぶない度合いが増すと考える。

    北海道古宇郡泊村一帯 東約50キロメートルに札幌市
    青森県・東通村一帯  むつ市に隣接、南東約70キロに青森市
    宮城県・女川町一帯  石巻市に隣接、東南約70キロに仙台市
    *福島県・楢葉町一帯  ご承知のとおりです。
    *茨城県・東海村一帯  北東約20キロに日立市、南東約20キロに水戸市
    *新潟県柏崎市一帯   北東約60キロに新潟市、南西約30キロに上越市
    *新潟県・刈羽村一帯  北東約50キロに新潟市、南西約20キロに上越市
    静岡県御前崎市一帯  北約40キロに静岡市、西約30キロに浜松市
    石川県・志賀町一帯  南東約50キロに富山市、南約60キロに金沢市
    *福井県敦賀市一帯   北約50キロに福井市、東南約60キロに岐阜市、
    *福井県・美浜町一帯  おおむね同様
    *福井県・大飯町一帯  おおむね同様
    *福井県・高浜町一帯  おおむね同様
    島根県松江市一帯  東60キロに鳥取市
    愛媛県・伊方町一帯  北東約50キロに松山市、西南約60キロに大分市
    佐賀県・玄海町一帯  東約40キロに福岡市、東南約50キロに佐賀市
    鹿児島県薩摩川内市一帯 南東約40キロに鹿児島市   

    (距離はいずれも地図上の直線距離。原発と都市の間に山岳が聳えている立地もある。)




 
書きかけです。追って補正します。


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きょう71回目の長崎原爆忌

2016年08月09日 21時15分06秒 | 日記

            きょう、長崎原爆忌

         アラマンダの花が1輪だけ咲きました!

             

 きょうは、広島に続いて70回目の長崎原爆記念日。

 敗戦に至る道筋というものを忘れず、戦争を知らない子どもたちや元子どもたちは、そこから学び続ける必要がありそうです。
   
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 71回目の長崎原爆忌にあたり、核兵器による惨禍のみならず、原子力発電所事故による壊滅的な被害をも想定しなければならない状況に立ち至っていることを痛感します。本当に大丈夫か、誰も「大丈夫」とは言えないはずです。

 上掲昨年8月9日アップ記事・画像の各一部をとりあえずアップし、いま加筆しているところです。

 ことしの4月、長崎の旧友小紋潤を見舞うため彼の地を訪れたのち、島原から熊本へ有明海を渡り、熊本あそ空港から埼玉の自宅経由で伊豆に戻りました。

 伊豆に戻って3日後の4月14日夜、「長崎・熊本紀行」のような、おふざけも交えたブログ記事・画像をあらかた仕上げていて、ちょっ一服してYahooニュースを眺めると「熊本で強震」の第一報が目に入りました。すぐテレビをつけると、先日、歩き回ったばかりの熊本城の石垣が崩れ、大きな岩が転がりだしている有様を背景に記者が状況を伝えていました。びっくり仰天とはこのことです。(この記事2本はいまのところ没にしたままになっています。)
 また、熊本城天守閣に登った際のひとこまを思い出しました。案内ボランティアの年配の男性に、「島原普賢岳の噴火のときは熊本からも見えたんでしょうか」と尋ねると、「普賢岳はきょうは見えないけれど、晴れればよく見えます。あのときは見えてはいるがいかんともしがたくてねえ」と顔を曇らせていたのですが、本当に人間、一寸先はまったくわからないのだと実感しました。

 長崎では、夕暮れ時に平和公園周辺を歩きました。ことしの“長崎原爆忌報道”は訪れた場所、直接見た「平和祈念像」や「平和の鐘」などがあらわれたので、思いも一入でした。
 満開の桜が散りかける中、爆心地に立ったとき、なにか身体の内側におこりというか震えというか、そのようなものを感じたことを覚えています。
 桜の宴があちこちで開かれており、なんだか酔歌のようなものも聞こえてきたりして、違和感を感じる一方で、これこそまさに平和である証拠だと思い直したりしたものでした。

 ところで、去年のきょう9日には一輪だけでしたが大きな花が咲いたアラマンダですが、今年はまだ咲きません。こんな状態です。

    

 室内でオオバナアリアケカズラ4鉢(画像上の右手のほう)、ヒメアリアケカズラ2鉢(左手、小ぶりの花が咲いている)を大変な思いで越冬させたあと、ことし5月5日にいずれも地面に戻しました。沖縄では一年中花が咲いているということですが、当地でも寒さに比較的強いヒメのほうは、越冬中から花には至らないもののつぼみを持ち続け、地面に戻した数日後から花が開き続けています。
 しかし、オオバナはまだまだのように見えます。ただし、枯れてしまったとあきらめかけた一鉢も、他のものと同じ程度に復活し、異常な暑さを糧として間もなく大輪の花を見せてくれることでしょう。

    
    昨年11月、越冬のはじまり。いろいろ工夫して越冬態勢を
     整えたが、オオバナひと鉢は見かけ完全に枯れてしまった。
        (その後復活して、仲間と同様に育ちました。)
    
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今上天皇、生前退位へ向けたビデオメッセージ、その真意は!

2016年08月08日 20時51分50秒 | 日記

  老齢と、万全ではないご体調を強調される一方、
  現行規定の「摂政」は好ましくないとのご趣旨


 きょう8月8日午後3時、今上天皇*註1によるビデオメッセージが各種メディアを通じて、(少なくとも)日本全国に一斉に流された。
 およそ10分間のメッセージ放送だったが、終始ひらたい言葉遣いの語り口であり、その趣旨も明瞭かつ誰にでも容易に理解できるような形に仕上がっていた。思えば、在位中の天皇がラジオ、テレビなどのメディアを通じて直接国民に語りかけるのは、昭和天皇が1945年、昭和20年8月15日にラジオを通じて「終戦詔勅」を発して以来、2回目ということになるのだろう。

 メッセージの主要な内容

 自身がさらに年齢を重ねてゆくと国事行為、公務を遂行していくことが困難になるのではないかと案じられる、との胸の内を率直に述べた後、そうした天皇の“仕事”をどんどん減らしていくわけにはいかないとしたうえで、現行制度にある摂政を置くことに言及された。すなわち、「摂政を置くとしても、天皇はその職責を果たせないままに在位していることになる」との趣旨を述べられ、明白にこれを否定したものと感じられた。
 さらに、在位中の天皇が崩御すると社会全体に甚大な停滞を生じる*註2ことになると述べ、崩御ののち2か月から1年間も喪儀が続くことなどにも言及、生前退位の意向を言外に強調するメッセージとなった。

 クンちゃんのかたよった見解

 クンちゃんは今上天皇のメッセージを聞きながら、天皇が日清製粉の正田家から美智子さまを妻に迎えた遠い日(1959年、昭和34年4月10日)を思い出していた。国中が祝賀ムードに沸き、買ったばかりの白黒テレビにかじりついて、祝賀パレードに歓声をあげた家庭も多かったはずだ。テニスウェアでさっそうと登場した皇太子夫妻も、そして小学校3年のわが身もずいぶんと年をとってしまったものだと実感する。

 さて、むづかしいことはとんとわからないクンちゃんだが、天皇ご自身の胸のうちには、言葉にはあらわれない複雑なお気持ちがあったように思えてならない。
 最近の天皇の即位の年齢と崩御された年齢を掲げてみよう。

  明治天皇 14歳で即位  崩御59歳

  大正天皇 32歳で即位  崩御46歳
  
  昭和天皇 25歳で即位  崩御87歳(即位前に大正天皇の摂政となる。)

  今上天皇 56歳で即位  現在82歳 

 断然、昭和天皇の摂政時代を含めた在位期間が長く、高齢になっても長生きする時代をあらわしているのだろうが、それだけに今上天皇は皇太子にとどまっている期間がだいぶ長かったことになる。56歳即位というのは、この時代の「55歳定年」からみても、やはり遅すぎという感触がいずこにあってもおかしくはない。
 そうして、現在の皇太子“ナルちゃん”も、たちまちにして56歳となっている。前記、今上天皇の即位の年齢と同じである。
 こうした傾向は、一世一元、崩御がなければ皇位継承はない、というシステムが存続する限り、さらに顕著になっていく可能性を否定できまい。

 ここらへんに、いま「生前退位」があらわれてきたひとつの大きな要因があるとクンちゃんは感じているのだが、もちろん天皇のお心は到底推し量ることはできない。
 いずれにしても、天皇ご夫妻がなんの憂いもなく健やかにお過ごしになることを祈念するのみである。

*註1 「きんじょうてんのう」=在位中(存命)の天皇。“いまの天皇”。
 明治天皇、大正天皇、昭和天皇など天皇の前に付く元号の明治とか大正、昭和は「諡(おくりな)」であるから、存命の天皇に付することはできない。もし各種メディアなどで現段階の天皇を「平成天皇」と誤って表現・表記したとすると、世が世なら“おとりつぶし”は避けられず、関係者は当分、または永久に帰宅できないことになったと言っても過言ではない。

*註2 昭和天皇が重態から崩御された、昭和63年の晩秋あたりから翌年正月を経て春過ぎぐらいまでの社会情勢を指しておられるものとみられる。歌舞音曲禁止ではないが、何につけても自粛ムードが高まったことを記憶されている方も多いことと思う。
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きょう71回目の広島原爆忌。原爆投下正当論の根拠をくつがえしたNHK番組

2016年08月06日 23時24分03秒 | 日記
    重大な事態になれば軍の文民統制は吹っ飛ぶ! 
  トルーマン&陸軍大臣 「軍事施設を狙う。女性、子どもの犠牲は避ける」
  グ ロ ー ブ ス 准 将  「広島は軍事都市」であると虚偽の報告書提出。
               日本陸軍の最重要基地である広島に1個の爆弾を投下した」 
(投下後のトルーマン声明)


 71回目の広島原爆忌を迎えたきょう6日の夜、NHKテレビ地上波で「決断なき原爆投下-米大統領71年目の真実」という番組が放映された。
 マンハッタン計画(原爆投下計画)の最高責任者だった米陸軍レスリー・グローブス准将のインタビュー録音やトルーマン大統領の日記、文民統制の要であったスティムソン陸軍長官の日記など米側未公開資料を駆使して、現在でもアメリカ国内で圧倒的に支持され、信じられている「原爆投下は戦争を早く終わらせ、多くの命が失われるのを防いだ」という原爆投下支持の主張が、予想外の被害の深刻さにたじろいだ大統領の後知恵によって声高に主張されるに至る経緯をえぐりだしている。
 重大事には軍の暴走を止められない文民統制の実相を伝えるすぐれたドキュメントだった。


 つづきは、追って後送します。

「なぜ広島に原爆が投下されたのか」http://www.hiroshima-spirit.jp/ja/hiroshima/shiryoukan/morgue_e12.html
など既出資料とのすりあわせをおこなっています。少々お待ちください。


 **********************


 twitter.com/mas__yamazaki/status/761039825986162688/photo/1?ref_src=twsrc%5Etfw

 山崎 雅弘‏@mas__yamazaki 8月4日
 今回の内閣改造で、このリストに名が挙がっている6人全員が入閣したことになる。全員が、日本会議と神道政治連盟の両国会議員懇談会で役職を務める幹部で、どんな政治理念を共有しているのか一目瞭然だが、こうした情報を朝日新聞は報道しないのか。pic.twitter.com/ok3SzjLkdd

  

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小紋潤歌集『蜜の大地』刊行さる!

2016年08月05日 09時25分00秒 | アピール、お勧めなど

   小紋潤歌集『蜜の大地』刊行、
    珠玉の420首を収録!


      
     手許にカメラがありませんで、ガラ携の粗雑な画像にて、まことに申し訳ありません。いずれ差し替えます。
          『蜜の大地』は、ながらみ書房(Tel 03-3234-2926)刊。四六判上製196頁、定価2500円+税


 熊本震災直前のこの4月、旧友小紋潤と長崎で35年ぶりに再会したことは、先に当クンちゃんブログでお伝えいたしました。

  http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/32af27eee5663141425ae69b7ae6be65
  http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/ee8131c841624f2943e0cedddbfca72f
  http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/7863973925893abb9564f65f6ad7e5c9?

 
 その折、近々、小紋の歌集が出ると聞き、心待ちにしていたところ、あちらこちらを経由して、このたび伊豆の山奥まで刊本が届きました。
 さっそく手に取ると、まさに小紋の人柄が反映された、とても凝ったつくりの装丁(高麗隆彦氏)となっていて、思わず顔がほころんだことでした。
 佐佐木幸綱先生の「そこに小紋潤その人がいる」との帯文が載る腰巻(画像左)をはずすと、ハチと蜂の巣をあしらったと見受けるカバー(右)があらわれ、「蜜の大地」にまことにふさわしい絵柄となっています。また、ページを開くと、見返しと本とびらを横断したスペースに見開きでやはり大きな挿絵が入っており(下の画像)、40年ばかり本づくりの周辺をうろついているクンちゃんもすっかり圧倒されてしまいました。

   

 かねてお邪魔させていただいている佐佐木幸綱先生のブログ「ほろ酔い日記」に何かアップされているのでは、とアクセスしてみると、見本あがりの段階で速報が載っていました。

    http://blog.goo.ne.jp/yukitsuna/e/06df41381e8f1391caa3e39785494a6f

 幸綱先生のブログには、「なかなか自分の歌集を出さない小紋潤に、なんとか歌集を出して欲しいということで」という記述がみられ、どうも初めての歌集のようです。そうだとすると、先にクンちゃんブログに書いてしまったエピソード、35年前に小紋の荻窪のねぐらで目覚めた二日酔いの朝、小紋から「2、3冊持っていけや」と勧められ、クンちゃんが固辞した場面でうずたかく積み上げられていた歌集とおぼしき本はいったいなんだったんだろうか、と腕を組んでいます。詩集か小説か、そういった類のものか? もらわんでよかったのか、もらっときゃよかったのか?!
 まあ、それはそれとして、ブログ主*註1がどなたなのか存じ上げませんが、「暦日夕焼け通信-短歌な日々」というブログにも関連記事がありました。
 
    http://rekijitsu.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-8862.html


 というわけで、“中身を除いて”あらましをご紹介しました。

 で、肝心の掲載歌ですが、短歌の門外漢のそのまた外に位置するどしろうとにつき、これがなんともコメントできないのです。
 しかし、読み通してみて、心に残った10首を以下に掲げておきます。これは、「馬場昭徳選」とか「谷岡亜紀選」などという著名な歌人が選ぶものとはまったく異なるものですが、対象のすばらしさに免じてお赦しいただきたいと思います。


     一途なる思ひを持ちて郁子(むべ)の咲く五月の丘に一人遊びき(濫觴期)

    *叶はざりしことのみ多し万緑の彼方に若き白雲湧きぬ(万緑)

    *夢に見ればかく美しき故郷の秋澄む風もわが父母も(秋澄む風)

     くり返し繰り返される空の火のやうやく我に返る沈黙(花火)

    *仰ぎ見れば天上を群れ泳ぎゆく鰯雲ありて多摩は秋なり(銀杏)

     草の茂る小道を通り夕焼けの向かうにいつかゆかうと思ふ(ブリキの兵士)

    *いきどほるべきこの世の秋(とき)にあらざらんのちを思へば宴のごとし(父母の家)

     暑き日のうつろひのなか君をらぬ不思議を思ふ不思議に思ふ(不思議を思ふ)

    *夢の中に母はいませり麦秋の黄金の海に佇ちゐたりけり(ポプラ立つ丘)

     かくまでに澄みわたりたる冬空にいつか生れくる青雲あらん(青雲あらん)
      《掲載順。*印は「もし5首だったら」。歌中の(むべ)(とき)はオリジナルではルビになっています。》


 さて、さて、ひとつひっかかった歌がありました。

        人生の半ばを過ぎてぬばたまのカーマイケル*を思ふことあり(人生の半ば)
                        *「ブラック・パンサー党首」の註あり

 人生の半ば、がいつごろなのかわかりませんが、かなり年をくったと自覚し始めた段階と思います。
 そんなおっさんが、「カーマイケル」とは、いやはや小紋らしい、と思いましたね!

 1969年6月15日、クンちゃんたちフランス語クラスのおよそ10人の若者*註2は、小紋にそそのかされて日比谷公園内、野外音楽堂とその周辺で催された、なんであったか忘れてしまった集会に連れて行かれました。集会が終わると、大集団はデモ行進に移り、この気の毒な若者たちはいくつかの悌団のうちのひとつの群集の最先頭に位置することになりました、偶然。
 これを奇貨としたのかどうか、デモが銀座にさしかかると、ひとりの長髪の若者が隊列の前に躍り出て、長崎なまりで「広がれー」と大声でわめきつつ両手を左右に開いたり閉じたりして、4車線+駐車帯の広ーい道路いっぱいに隊列を広げろとキョーハクするのです。
 で、銀座通り一帯は、道路いっぱいの大フランスデモの巷と化してしまったのであります。
 この長髪の男がいったい誰なのか知る人は少なく、今もって定かではありませんが、当時の『アサヒグラフ』には大フランスデモの様子が見開きででかでかと載りましたから、ヒマな方は拡大鏡をお持ちになって国会図書館でご覧ください。

 最後の最後に、歌人の心は余人には皆目わからないという一首。

        多摩センターよりモノレールに乗り高幡不動にて降り、友を訪ねる(六月の水)

 うーん、これはむづかしい!次の歌(わが友は静養中でありたればパジヤマで出で来、顔色よろし)とのからみでどうしても必要なのだろうか?

        
 そこでクンちゃんも一発!

        伊豆の山から別荘地のバスに乗り熱海にて降り、診察を受ける(八月の病)


 巻末・大口玲子さんの解説はすぐに読みたい誘惑にかられるのですが、歌の全部を味わいつくしてから読みたいと、谷岡さんの覚書につづく1頁のみ読みました。楽しみはあとで、というわけで残しています。了


 ******************************************
*註1 リンクを張らせていただいたご挨拶をメールにて申し上げましたら、福岡の垣成美代子先生から丁重なる返信メールをいただき、恐縮いたしました。
*註2 クンちゃんら党派性のない学生は当時、ひとくくりに「ノンセクト・ラジカル」と呼ばれ、全共闘運動の一角におりました。党派(例えば中核派とか革マル派、ブント、解放派、民青=日本共産党などなど)も民青以外は全共闘に介入し、ノンセクト・ラジカルをなんとか自派に囲い込もうとしました。その目論見はまったく奏功せず、浅間山荘事件につづく連合赤軍のメンバー同士の大量粛清事件発覚を契機に運動総体が消滅に向かうと、ノンセクト・ラジカルはおおかた学園に戻るか、郷里に帰っていきました。このため、世間からは「連中はハシカにかかったようなもの」と評せられ、下を向いて歩かざるを得ないという心情を長く抱いた者も多かったようです。*註1、註2は2016年8月6日に追加記載
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