共謀共同正犯に、「一抜けた」はない (2014-04-17 )

2017-05-17 15:20:55 | Weblog

 同一テーマでした共著者は、共謀共同正犯です。それを、若山・笹井のご両人は「一抜けた」といって憚らない。恐らく、何事もなく、ことがすすんでいたら、平然と共著者の一員として、業績化していたはずです。

 余所でもかきましたが、BK強盗で、辻々に立って見張をした者・店内の行員顧客を銃でfreezeさせた者・店長を縛り上げ金庫を開けさせた者・札束入のアタッシュケースを逃走用車に運んだ者・車を乗換え乗換えして捜査網を潜りぬけた者、etc.かれらは、それぞれ担った役割がちがいます。しかし、BK強盗という共通共同の意思をもってコトに臨み、また各々が担った役割のいずれが欠けても、成功しなかったとすれば、おれは見張り役にすぎなかった、として「一抜けた」は認められるでしょうか。

 この点、バレンティン教授は潔く、共著者の責務を自覚されておられます。小保方論文の共著者は、全員、STAP細胞の作製実現に挺身すべきで、責任のがれの姿勢は見苦しすぎます。論文の体裁形式面の詮索より、STAP細胞の成否確認こそ焦眉の急ではありませんか。

 蛇足を一つ。同一テーマの共同執筆者にして、「一抜けた」を可能とするのなら、”共同”の役割分担を明記すべきです。私は専ら実験用ネズミの調達飼育にかかわった・私は試験管や割烹着の洗浄洗濯係を務めた・私は論文の英訳を担当した・私は終始アドバイザー的存在だった・私はチームのコーディネーターとして事に当った、etc. 斯すれば、「一抜けた」も通るかもしれませんが、あきらかなのは記名の序列だけで、分担した役割が不明(それが普通)では、共謀共同正犯視は免れえないでしょう。

 研究者の業績を審査評価する際、当該業績(おおくは、論文)にかかわったものの役割まで質すことは稀有ゆえ、そこに名を列ねたものは、等し並にあつかわれます。都合のいいときは共著者で、不都合なときには「一抜けた」は、ナイ のでは!?
 

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