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日本の生ごみ!

2017-04-06 08:20:01 | かの国

 

済州島出身の在日は南チョン政府の虐殺から逃れて日本に来たのに、
強制連行されたとか嘘ついて日本に居座り、
反日しまくりの恩を仇で返すクズ共。

 

 

在日詩人・金時鐘さんが回想録
2015年04月10日 08時01分
自分を整理 「四・三事件」記す

 『猪飼野(いかいの)詩集』などで知られる在日の詩人・金時鐘(キムシジョン)さん(86)=写真=が、
回想録『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)を刊行し、韓国・済州島(チェジュド)で1948年に起きた
「四・三事件」との関わりをつづった。

 「苦難の故郷を見捨てて逃げを打ったことは一生の負い目」と長く沈黙してきたが、その体験は金さんの
紛れもない“詩のありか”でもある。

 四・三事件は、同年4月3日の反体制派弾圧事件。南北分断の固定化につながる南朝鮮の単独選挙を
阻止しようと、民衆が武装蜂起し、軍や警察の鎮圧部隊に数万人が殺された。19歳の金さんは、
武装隊を率いた南朝鮮労働党の一員だった。襲撃先の郵便局では、同志が目の前でカービン銃で
撃たれ、自らも追われる身となった。翌年5月、日本行きの密航船に乗り込み、大阪・生野のコリアンタウンに行き着いた。

 〈春は 喪の季節です。/甦(よみがえ)る花は きつと/野山に 黒いことでしよう。(略)
//私は一本の つつじの花を/胸にかざるつもりで います。/砲弾の くぼみに咲いた 黒い花です。〉

 55年に出した第1詩集『地平線』で焦土と化した故郷を悼んだが、自らの関与には触れていない。
「軍事政権下の韓国に強制送還されれば、事件の残党ということでまず命はなかったやろうから」。
日本に来た理由は「よんどころない事情」としたままだったが、ゆるぎない詩人の言葉で「在日」を
生きる意味をとらえてきた。「そうでないと、民族意識に目覚めたことも、事件に関わったことも、
自分にとって何のよすがでもないことになる。空虚だよ。知った者が、知らない形は取れないのよ」

 韓国の民主化が進んだ90年代以降、事件の検証が進むにつれ、講演や対談の場で体験を語り始めた。
2010年の詩集『失(な)くした季節』では当事者としての心情を率直に表現した。

 〈ぼくの春はいつも赤く/花はその中で染まって咲く。(略)//世紀はとうに移ったというのに/
目をつぶらねば見えてもこない鳥が/記憶を今もってついばんで生きている。(略)//木よ、自身で
揺れている音を聞き入っている木よ、/かくも春はこともなく/悔悟を散らして甦ってくるのだ。〉

 改めて文章に書き残したのは、「80も半ばを過ぎて、自分の整理をしたようなもの」。苛烈な生を
支えたのは、密航船の手配を整え、一人息子を逃がした両親の存在だった。「まるで鳥がひなを育て、
巣立たせるような見返りのなさ。それは、愛の全くの原型なんだよ」。朝晩、遺影に向かってあいさつを
欠かさないという。(大阪本社文化・生活部 中井道子)

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20150331-OYT8T50042.html

引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1428664578/

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