今朝の新聞記事にこんなものがありました
ある中学校の先生が懲戒処分を受けたとの記事だったんだけど、
その理由が、
悪ふざけしていた生徒の頭を5回たたいた
かららしいんだよね
その生徒に怪我に対する診断書は出なかったらしいんだけど、
保護者が教育委員会に陳情してこの処分が決定したらしいのです。
川上さんが保護者だったら...
自分の子供の馬鹿さ加減に恥ずかしくて、他の人に言えないなぁ。
そもそも、この先生が手を上げたのって、
その生徒が悪ふざけを続けてたからなんでしょ。
たたいた程度、そこに至る背景、その瞬間の状況、etc...
分からない事が多いから、断定的なことは話せないんだけど、
悪いものは悪いんじゃないのかなぁ...って思います。
自分の行動に責任を持つってことは、
自分の非を素直に受け止めることも含まれると思います。
時に、予想以上の不遇な目に遭うかもしれないけど、
それも自分のまいた種...と甘んじて受けなければならない事もあるんじゃないかなぁ。
川上さんの隣の中学校で生徒から先生にこんなお願いをしたそうです。
*その先生は、しつけの一環として手を上げることもあったらしいんだけど、その際、先生の付けている腕時計が当たって傷ができてしまうので...
僕たち(生徒)が悪いのだからしょうがない。
けど、叩く前に腕時計だけは外してもらえませんか?
25年以上前のお話ですが、
先生にこのように意見した生徒(たち)って立派だと思いません?
まず、先生に対してこのように意見できる勇気
手を上げる先生という事は、その中学校でも“コワイ”先生で通っているはず。
その先生に意見するには、並大抵の勇気ではなかったはず。
報道を見る限りでは、子→親→クレーム の図式が出来上がっちゃってて、言いにくいことをしっかり相手に話すことがなくなってきたってるんじゃないか...って思うんだけど、みんなはどうかな?
そして、自分の非をしっかり認めた上での意見
「止めてくれ!!」ではなく「やるなら外してくれ!!」なんだよね。
自分に不利益なことが起こると分かっていても、それを受け止めようとしているからこそのお願いだったのではないでしょうか?
***************
後日談ですが...
その先生の腕時計を外そうとしてカチャっと音がすると、
ヤベっ
誰がやられるんだ
と教室中が凍りつくようになったそうです

ある中学校の先生が懲戒処分を受けたとの記事だったんだけど、
その理由が、
悪ふざけしていた生徒の頭を5回たたいた
かららしいんだよね

その生徒に怪我に対する診断書は出なかったらしいんだけど、
保護者が教育委員会に陳情してこの処分が決定したらしいのです。
川上さんが保護者だったら...
自分の子供の馬鹿さ加減に恥ずかしくて、他の人に言えないなぁ。
そもそも、この先生が手を上げたのって、
その生徒が悪ふざけを続けてたからなんでしょ。
たたいた程度、そこに至る背景、その瞬間の状況、etc...
分からない事が多いから、断定的なことは話せないんだけど、
悪いものは悪いんじゃないのかなぁ...って思います。
自分の行動に責任を持つってことは、
自分の非を素直に受け止めることも含まれると思います。
時に、予想以上の不遇な目に遭うかもしれないけど、
それも自分のまいた種...と甘んじて受けなければならない事もあるんじゃないかなぁ。
川上さんの隣の中学校で生徒から先生にこんなお願いをしたそうです。
*その先生は、しつけの一環として手を上げることもあったらしいんだけど、その際、先生の付けている腕時計が当たって傷ができてしまうので...
僕たち(生徒)が悪いのだからしょうがない。
けど、叩く前に腕時計だけは外してもらえませんか?
25年以上前のお話ですが、
先生にこのように意見した生徒(たち)って立派だと思いません?
まず、先生に対してこのように意見できる勇気
手を上げる先生という事は、その中学校でも“コワイ”先生で通っているはず。
その先生に意見するには、並大抵の勇気ではなかったはず。
報道を見る限りでは、子→親→クレーム の図式が出来上がっちゃってて、言いにくいことをしっかり相手に話すことがなくなってきたってるんじゃないか...って思うんだけど、みんなはどうかな?
そして、自分の非をしっかり認めた上での意見
「止めてくれ!!」ではなく「やるなら外してくれ!!」なんだよね。
自分に不利益なことが起こると分かっていても、それを受け止めようとしているからこそのお願いだったのではないでしょうか?
***************
後日談ですが...
その先生の腕時計を外そうとしてカチャっと音がすると、
ヤベっ
誰がやられるんだ
と教室中が凍りつくようになったそうです













また、川上さんさんのお正月の様子も垣間見れて、新年早々“ほっこり”させてもらいました
さて、こちらの記事についてですが、非常に難しい問題ですよね
私の読んだ新聞記事では、手加減を知らない先生もいて、キレると本気で子供に手を上げて怪我をさせる事例も起っているらしく(無論、懲戒免職になったらしいのですが)、何だか我々の子供時代と大きく変遷していますよね
やっぱり寺内貫太郎(古っ!)みたいな親や金八さんみたいな先生はノンフィクションではいないんですかね、、、
明けましておめでとうございます。
Blog上ですが今年もよろしくお願いしますm(..)m
さて、子供側の非を話せば、必ず反対側の先生側の非もあるわけでして...
でも、その根本は「善悪の判断」ということになるのかなぁ...って思います。
そのきっかけとなってしまった「子供の行為の善悪」とそれを指導する「先生の行為の善悪」
そしてその程度や加減が分からなくなってしまっているのは、「見過ごし」「我関せず」が根底にあるからなんじゃないかなとも...。
貫太郎さんにしても金八さんにしても、「悪いものは悪い!」とその場で怒鳴れたから、その加減も理解できるんじゃないでしょうか?
核家族化、隣人との関係、いじめの中での第三者的存在など、「ちょうどよい」バランスが難しくなってる時代なのかもしれませんねぇ