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hぎう

2013-07-25 10:06:15 | 日記
各位へ:(転載自由です)。迷惑メールの場合、ご連絡いただくか またはブロックしてください。
1.【擱筆】やっと昨24日遅く、文春編集部に原稿を送付した。何しろ編集部から「公開質問状」の執筆依頼を受けたのが7/16のことだ。それから構成を考え、初稿を書いたのが7/19、Ver.2.1が7/20、Ver.2.3.を7/22に書き上げ(400字詰め80枚、表3枚)、以後、草稿の再構成と圧縮に入った。

Ver.3は本文80枚、表3枚になった。これを19枚の本文と表3枚に縮めるのは大変。
 送稿した「最終稿」はVer.3.3.になった。3日連続徹夜したため、さすがに草臥れたが、昨夜は0時過ぎには床に入れたので、今朝は8時頃に起き、これで体内時計がリセットできた。

 これが3度の校正をへて、8/10の9月号発売日に間に合うのだから不思議だ。
  ご協力をいただいた各位に深く感謝します。
 まあ、後は移植学会の出方を見るしかあるまい。
 「サイは投げられた」というか、「手袋は投げられた」というべきか。

 家内に「文藝春秋8月号」の追加購入を依頼したところ、3箇所のコンビニを廻ってやっと5冊買ってきてくれた。「売り切れ」のところもあったというから、よく売れているのではないか。いま雑誌の返品率は40%と言われている。まだお求めでない方は、ぜひ店頭から消えないうちにどうぞ。

 大阪の中田勝次大阪医大名誉教授(病理学)から暑中見舞をいただいた。今年米寿になられるが、いまなお現役の病理医として病理標本を観ておられる。病理解剖は若くて体力のあるうちでないとできないが、病理診断は机に向かって、顕微鏡と向きあう仕事だから体力が衰えても「脳力」があればできる。労働時間も自分で調節できるから、華やかではないが、生涯を通じて働ける分野として、若い医学生にお勧めの分野だ。

 で、中田先生の文面に「今月の文藝春秋に載った腎移植の記事を読みました。私はどんなボロの腎臓であっても、是非欲しい人が居て、それでよいなら差し上げましょうと云う人が居て、その手術をおこなう医師が居る、その事を他人が非難することはあるまいが、と思います。」とあった。
 病理学者にはだいたいこういうふうに考える人が多い。宇宙飛行士向井千秋さんの旦那で慶応大学病理診断部の向井萬起男のように、「がんが移るなんて、バカじゃないか。笑ってしまうよ」と移植学会幹部を切って捨てる豪傑もいる。

 大阪インタープロテインの細田さんからも、
「文藝春秋、万波先生の文章、しっかり拝見いたしました。キリンの医薬の中国四国支店長時代に一度だけ、宇和島でご挨拶したことがございます。如何に世間が恐ろしいところか改めて認識することもできました。」
 というメールをいただいた。本当に「メディア・バッシング」は怖いと思います。
 「新聞が報じない事件は存在しない」と書いたのは山本夏彦です。
 新聞が報じると冤罪でも真犯人にされます。松本サリン事件の河野さんが好例でしょう。
 根源は警察情報のたれ流し、記者の独自取材のお粗末さにあります。

 中朝対日関係のこじれの原因は、文部省記者クラブの教科書担当だった朝日の記者が、日本の大陸侵略に関しての教科書記述を教科書検定官が「侵略」を「進出」に書き直させたと記者クラブに報じたところから始まります。つまり「記者クラブ」は情報を共有していて、各社独自のチェック機能をもたななったのです。
 で、全紙が朝日情報を一斉にスクープとして流した。「三人市虎」とは「三人が町に虎が出たといえば、みなが信じる」という意味です。全紙が同じことを報じたから、国民が皆信じた。虚報が実報になったわけです。ほんと、メディアは恐ろしい。

 呉の中河原さんからは、
「メルマガを拝見しながら、先生のパワーに驚くばかりです。
「2日間しかない原稿締め切り用パワー」として、バリスタ詰め替え用ゴールドブレンド(お布施3本カセット)を送らせて頂きました。」というメールをいただいた。ご声援ありがとう存じます。

2.【シーラカンス】英語ではCoelacanthと書く。肺魚の親類だが学名の意味は不明だ。三葉虫とならんで、「生きた化石」とも呼ばれる。厳密にはCrossopterygiia(肉鰭類)に属する。

 マダガスカル島周辺の東アフリカの深海とインドネシアの深海に棲息していることが知られている。

 7/23の「中国」と「産経」がまったく同じ記事を載せている。(添付1)
よって元は共同通信の配信とわかる。「毎日」は載せていない。
 記事自体はインドネシア種と東アフリカ種のDNA差はほんどないことを報じ、それが米科学誌に掲載になったことを書いているだけのガセネタ。
 どうせ日付まで書くなら「サイエンス」と書いたらどうだと思う。

 DNA差が5%以内なら普通は同一種として扱う。但し種の区分に「交配可能かどうか」は決定的に重要で、オサムシなど生殖の構造の違いで種が分かれている。身体の他の部分の遺伝子に大きな違いがなくても、生殖器のかたちを決める遺伝子が違えば、交尾できないので別種が生まれる。

 記者が書き落としているのは、写真が「メスの体内から見つかった稚魚」であることの意味だ。これはシーラカンスが「卵胎生(Ovoviviparity)」であることを意味する。硬骨魚類ではウミタナゴ、爬虫類ではマムシが知られている。シーラカンスが卵胎生であることは、今度はじめて明らかになったのではないか?

 もう一つ、重要なことがある。「肉鰭類」というのは、胸びれと腹びれがあり、いずれも中に骨があり、外に筋肉がついていて、海底を歩行することができる。元は肺を持っていたので、有明海のムツゴロウよりも効率的に陸上を歩行できた。

 だから両生類の祖型なのだが、面白いことに指が六本ある。(添付2)
 時々人間にも「多指症(Polydactylia)]といって、6本指の人が生まれるが、シーラカンスと同じ遺伝子が働くためである。記事には「人間の四肢形成」のことが書いてあるが、記者が理解して書いたとは思えない。

 通信社の仕事はニュースを流すことで、ニュースの重み付けをし、解説を付けるのが新聞社の仕事である。まったく同じ記事を配信元の表示もなく載せ、解説も載せられないようでは新聞社といえない。最近では社説まで、共同通信配信のものを使う地方紙が増えているというが、なにあれはだれも読まないからどうでもよい。お飾りだ。それよりも社会面に載せる記事はもっと慎重に扱ってもらいたい。

3.【Carpe diem】(今日という)日を摘み取れ。
 ローマの作家ホラティウスの有名な言葉だ。明日のことを思いわずらうな。今日という日を精一杯に生きろ(今日を逃すな)という意味だ。ホラティウスはエロ詩も書いたから、()内の訳には「女をものにせよ」という意味もある。

 原文は岩波文庫「ギリシア・ローマ名言集」に載っている。(原語索引がない欠陥本だが)
 ロビン・ウィリアムズという米俳優が好きで、彼の出演作品を観てゆくうちに、「いまを生きる」という作品にめぐり逢った。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/いまを生きる
 原題とは違うがハイスクールの熱血教師が、黒板に書いて生徒に教える言葉がラテン語の「Carpe diem」だ。これで実は憶えた。

 この言葉を大阪の細田さんのメールの返事に書き添えたら、次のような感想をいただいた。
 <心に沁みるお言葉ありがとうございます。Carpe diemは小職のようにベンチャー経営者には、特に響く言葉です。いただきましたメール大切にいたします。ありがとうございました。>

 どうも私は長年教師をしてきたので、どうもまだその、説教癖が抜けきらないらしい。
 この映画はDVDで売っていますから、「パッチ・アダムス」と一緒にご覧になるとよいでしょう。後者は患者の心の傷を癒やす(パッチする)医師アダムスの物語ですが、全篇爆笑の連続です。どちらもロビン・ウィリアムスの長所がよく生かされている作品です。

4.【メンソール煙草】に「依存性」が高いと米FDAが発表したそうだ。NHKが報じたのをGOOGLEニュースで知った。
 「アメリカのFDA=食品医薬品局は23日、メンソールを含むたばこと、含まないたばこを比較した報告書を公表しました。
このなかでメンソールを含むたばこと含まないものでは肺がんなどの健康被害への影響の差はみられなかったものの、「メンソール特有の爽快感や鎮静作用が、たばこの煙の不快さをやわらげる効果がある」としたうえで「メンソールを含む方が依存性が高く喫煙をやめにくい」と結論づけています。
また、若年層の喫煙者の40%以上がメンソールを含むたばこを吸っていて、喫煙を始めるきっかけになる可能性があるということです。アメリカでは、たばこによる健康被害がもとで亡くなる人が年間40万人以上に上っていることから、食品医薬品局は今回の報告書をもとに国民から広く意見を募って、メンソールを含むたばこの販売を規制する必要があるかどうか検討を始めました。」

 タバコはニコチンに依存性があるが、メンソールに依存性があるとは聞いたことがない。
 昔はメンソール入りタバコは「インポテンツになる」という説があって、日本ではあまり売れなかった。今自販機を覗くと国産、アメリカ製ともにメンソール入りが増えている。それだけ人気が高いのだろう。

 私も数年前からJTのタバコを吸うのは止め、米フリップ・モリス社製 マルボロー「タール8mg, ニコチン0.6mg」という製品に変えたが、咽頭に対するタールの刺激性が強いので、その後「マルボロー・メンソール=ウルトラライト:タール4mg, ニコチン0.3mg」という製品に変えた。

 初めメンソールの味と臭いに違和感があったが、もともとメンソール入りに換えた理由は、「タール含量とニコチン含量を減らす」ということにあったので、そのまま吸い続けていたら、今はもう他製品は吸えなくなった。朝の一服で口中に清涼感が広がる感じは何ともいえず爽やかで、生きている実存環を与えてくれる。
 メンソール入りに換えたため、摂取するタールは半減した。これは健康によいはずだが、FDAの研究ではタール吸引量と「健康被害」の相関は調べてあるのか?

 依頼原稿を執筆する期間は、夜と昼が逆転して仕事場の2階換気扇を廻し、仕事机の向かい上のエアコンをつけて、タバコを吸いながらキーボードに向かっていた。わが家では屋内喫煙が可能なのは、ここしかない。涼しくなったら、母屋バルコニーの八角テーブルに移動し、MacBook-Proで喫煙しながら執筆するだろう。

 仕事にゆとりができたら、「ハッカとメンソールの文化史」について、少し調べてみたいと思っている。「依存性」が悪いのなら、宗教もセックスも酒もパチンコもスマホも、みな悪く「健康被害」があろうに。「宗教は民衆の阿片だ」と言ったのはカール・マルクスだ。あの時代は阿片は金持ちの上流階級しか買えなかった。タバコも同様だった。名探偵シャーロック・ホームズは阿片を吸っている。

 アヘンもニコチンも脳細胞刺激作用があり、集中力を持続させる作用がある。脳細胞に影響を与えるから「依存性」が生じるのであり、食品・酒類・飲料水のメーカーはどこも、どう依存性を生じさせるかに知恵を絞っている。
 FDAはまずメンソールの薬学的依存性を証明すべきだろう。
 「タバコは身体に悪いが脳には良い」?

5.【連続殺人】「無惨やな かぶとの下のキリギリス」…横溝正史「獄門島」での連続殺人事件に、うまく使われている芭蕉の句だ。寺の和尚が釣り鐘の下から見つかった娘の死体を見て、「きちがいだが、仕方がない」とつぶやく。この言葉に一切の謎が隠されている。

 山田風太郎「明治バベルの塔」を読み終えた。中に「四分秋水伝」という大逆事件の主犯とされ死刑になった幸徳秋水を描いた短編があった。
 「爆弾の飛ぶよと見てし初夢は 千代田の松の雪折れの音」
 この一首は秋水の辞世とされている。
 明治天皇の馬車目がけて爆弾を投げる計画があり、それが「大逆事件」だとされている。
 辞世の歌だと信じれば、未遂に終わった天皇暗殺計画を自嘲したともとれる。

 しかし私は、秋水が最後まで「キリスト抹殺論」を書いており、それを仕上げると絶筆「死刑の前」を処刑当日まで書いていたのを知っている。http://www.aozora.gr.jp/cards/000261/card4324.html
 だから、この歌の意味に疑念を抱いていた。

 風太郎によると、歌そのものは明治43年の正月に、自宅で年始客と宴会を開き、その折りにざれ歌として秋水が詠んだものだという。
 出典確認はしていないが、そう解釈したほうが、納得がゆく。秋水はアナーキストだったから、天皇制がなくなることを望んでいた。大杉栄もそうだ。だからといって、「大逆罪」は成立しない。「ユートピア」を書いたトマス・モアにヘンリー8世に対する「反逆罪」が成立しないのと、それは同様だ。

 山口県周南市金峰(みたけ)の限界集落(住民14人で、10人が60歳以上)で5人が撲殺され、住宅が放火されるという陰惨な事件が起こった。犯人と目される63歳男の自宅窓に、「つけびして煙り喜ぶ 田舎者」という川柳もどきの文言が、紙に筆でかかれ、貼ってあったという。

 この文句に疑惑を感じた。喜ぶ「田舎者」とは誰のことだろう。自分を「田舎者」と表現するとは思えない。
 すると、
 ①「俺が放火したのに、それも知らず喜んで見ている愚かな田舎者よ」という意味か、それとも
 ②「自分で放火しておいて、煙があがったのを喜んでいる愚かな田舎者よ」という意味しかない。
 この張り紙は、3年前に近所でぼやがあった後、行方不明になっている問題の男が自宅に貼ったもので、近所の人もそれを読んでいる。
 すると①の解釈はありえない。

 火災保険金詐欺は、過疎の田舎ではけっこう多い。自宅火事の場合は、警察も手を出さず、消防署に委せようとするから、犯罪としての認知率は低い。だから、火災保険料を受け取り、町に出て行くつもりがあってのことだったのかも知れない。

 男は、若い頃にムラを出て、老いた父親の介護のために約10年ほど前に埼玉から帰郷したという。しかしムラの住人となじむことができず、孤立していたという。ムラ社会の閉鎖性は、きだみのるが「きちがい部落」シリーズでよく描いているが、その通りだ。
 集落は「家族のようなつき合いだった」と住民が語っているが、裏を返せばそれだけヨソ者を排除したということだろう。

 事件の真相はわからない。男は車をおいたまま行方不明になっているというから、自殺している可能性が高いだろう。
 「獄門島」は瀬戸内海の岡山県、広島県、愛媛県が接する辺りにある架空の島で、住民もすくない、古いムラに戦後間もなく発生する殺人事件の話だ。報道を読んで、それを連想した。

 事件報道の質は、毎日>産経>中国の順になる。毎日の龍記者はよく頑張っている。
 警察発表や捜査官の情報をたれ流しにせず、自主的な調査報道を展開してもらいたい。

-- 難波紘二
鹿鳴荘病理研究所
739-2303 東広島市福富町久芳685-7
TEL/FAX=082-435-2216
「病気は自然の実験である」
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2013-07-24 21:18:39 | 日記







ラクダ





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曖昧さ回避 この項目では、生き物について記述しています。その他の用法については「ラクダ (曖昧さ回避)」をご覧ください。


ラクダ

ヒトコブラクダ フタコブラクダ
ヒトコブラクダ(上)、フタコブラクダ(下)


分類


界 : 動物界 Animalia
門 : 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 : 哺乳綱 Mammalia
目 : ウシ目 Artiodactyla
科 : ラクダ科 Camelidae
属 : ラクダ属 Camelus


学名

Camelus
Linnaeus, 1758



ヒトコブラクダ
Camelus dromedarius Linnaeus, 1758フタコブラクダ
Camelus ferus Przhewalski, 1878

ラクダ(駱駝)は、哺乳類・ウシ目(偶蹄目)・ラクダ科・ラクダ属 Camelus の動物の総称。西アジア原産で背中に1つのこぶをもつヒトコブラクダ Camelus dromedarius と、中央アジア原産で2つのこぶをもつフタコブラクダ Camelus ferus の2種が現存する。砂漠などの乾燥地帯にもっとも適応した家畜であり、古くから乾燥地帯への人類の拡大に大きな役割を果たしている。



目次
[非表示] 1 分類
2 体の構造
3 酷暑・乾燥に耐える生理機構
4 牧畜
5 野生における個体群 5.1 ヒトコブラクダ
5.2 フタコブラクダ

6 生息域
7 年齢
8 雑種
9 人間との関わり 9.1 乗用
9.2 食用
9.3 宗教上の禁忌
9.4 皮革・その他
9.5 ラクダレース
9.6 観光
9.7 文化

10 参考文献
11 外部リンク


分類[編集]

フタコブラクダは古くから家畜種Camelus bactrianus Linnaeus, 1758 が知られていた。19世紀後半に、ロシア人の探検家ニコライ・プルジェワーリスキー(プルツェワルスキー)が中央アジアで野生の個体群を発見し、Camelus ferus Przhewalski, 1878 と命名した。この二つは最近まではどちらもCamelus bactrianus に含まれていたが、2003年に動物命名法国際審議会は、C. ferus を保全名とし、より古いC. bactrianus に対して有効であるとの裁定を下した[1]。これは野生種と家畜種とを同種として扱う場合にはC. ferus としなければならないことを示しており、IUCNレッドリストにおいてはC. bactrianus はC. ferus のシノニムとして扱われている[2]。

体の構造[編集]





ヒトコブラクダのこぶの中身(脂肪)。国立科学博物館の展示。[3]
背中のこぶの中には脂肪が入っており、エネルギーを蓄えるだけでなく、断熱材として働き、汗をほとんどかかないラクダの体温が日射によって上昇しすぎるのを防ぐ役割もある。いわば、皮下脂肪がほとんど背中に集中したような構造であり、日射による背中からの熱の流入を妨ぎつつ、背中以外の体表からの放熱を促す。こぶの中に水が入っているというのは、長期間乾燥に耐えることから誤って伝えられた迷信に過ぎない。ただし、水を一度に80リットル程度摂取することが可能である。出生時にこぶは無く、背中の将来こぶになる部分は皮膚がたるんでいる。つまり脂肪を蓄える袋だけがある状態で生まれてくる。

ラクダは砂漠のような乾燥した環境に適応しており、水を飲まずに数日間は耐えることができる。砂塵を避けるため、鼻の穴を閉じることができ、目は長い睫毛(まつげ)で保護されている。哺乳類には珍しく瞬膜を完全な形で備えている。また、塩性化の進行した地域における河川の水など塩分濃度の非常に高い水でも飲むことができる。さらに膝の皮膚が分厚く発達しており断熱性に優れ、ここを接地して座れば高温に熱された地面の影響を受けることなく休むことが出来る。

他の偶蹄目の動物と同様、ラクダは側対歩(交互に同じ側面の前後肢を出して歩く)をする。しかし、偶蹄目の特徴が必ずしもすべて当てはまるわけではなく、偶蹄目の他の動物などのように、胴と大腿部の間に皮が張られてはいない。また、同様に反芻を行うウシ亜目(反芻亜目)は4室の胃をもつが、ラクダには第3の胃と第4の胃の区別がほとんどない。従来ラクダ科を含むラクダ亜目は反芻をしないイノシシ亜目と反芻するウシ亜目の中間に置かれていた。しかし遺伝子解析による分析では、ラクダ亜目は偶蹄目の中でもかなり早い時期にイノシシ亜目とウシ亜目の共通祖先と分岐しており、同じように反芻をするウシやヒツジ、ヤギなどは、ラクダ科よりもむしろイノシシ科やカバ科、クジラ目の方に近縁であることが明らかになっている。

ラクダの蹄(ひづめ)は小さく、指は2本で、5本あったうちの中指と薬指が残ったものである。退化した蹄に代わり、脚の裏は皮膚組織が膨らんでクッション状に発達している。これは歩行時に地面に対する圧力を分散させて、脚が砂にめり込まないようにするための構造で、雪上靴やかんじきと同じ役割を持つ。砂地においては、蹄よりもこちらの構造が適しているのである。

酷暑・乾燥に耐える生理機構[編集]

ラクダの酷暑や乾燥に対する強い耐久力については様々に言われてきた。特に、長期間にわたって水を飲まずに行動できる点については昔から驚異の的であり、背中のこぶに水を蓄えているという話もそこから出たものである。体内に水を貯蔵する特別な袋があるとも、胃に蓄えているのだとも考えられたが、いずれも研究の結果否定された。

実際には、ラクダは血液中に水分を蓄えていることがわかっている。ラクダは一度に80リットル、最高で136リットルもの水を飲むが、その水は血液中に吸収され、大量の水分を含んだ血液が循環する。ラクダ以外の哺乳類では、血液中に水分が多すぎるとその水が赤血球中に浸透し、その圧力で赤血球が破裂してしまう(溶血)が、ラクダでは水分を吸収して2倍にも膨れ上がっても破裂しない。また、水の摂取しにくい環境では、通常は34~38度の体温を40度くらいに上げて、極力水分の排泄を防ぐ。もちろん尿の量も最小限にするため、濃度がかなり高い。また、人間の場合は体重の1割程度の水が失われると生命に危険が及ぶが、ラクダは4割が失われても生命を維持できる。そのかわり、渇いた時には一気に大量の水を飲むために、ラクダの群れに水を与えるには非常に大量の水を必要とすることとなる。

一方で、ラクダは湿潤環境には弱い。湿潤環境に多く発生する疫病に対してラクダは抵抗力がなく、また湿地帯を移動するように足ができておらず、足を痛めることが多い[4]。アフリカにおいてはニジェール川がもっとも砂漠に近くなるニジェール川大湾曲部のトンブクトゥあたりが南限であり、これ以南では荷役動物がロバへと変わる。

牧畜[編集]

ラクダは乾燥地帯において主に飼育される家畜の一つである。もっとも、遊牧においてラクダのみを飼育することは非常に少なく、ヒツジやヤギ、ウシなどといった乾燥地域にやや適応した他の家畜と組み合わせて飼育されることが一般的である。これは、飢饉や疫病などによって所有する家畜が大打撃を受けた時のリスク軽減のためである。また、ラクダは繁殖が遅く増やすのが難しいが、寿命は約30年と長く、乾燥に強いために干ばつの際にも他の家畜に比べて打撃を受けにくい。このため、ヒツジやヤギが可処分所得として短期取引用に使用されるのに対し、ラクダは備蓄として、長期の資産形成用として使用される[5]。一方、ラクダとヤギやウシを同じ群れとして放牧すると食物を巡って争いを起こしやすいため、ラクダの群れはほかの動物と分けて放牧するのが通例である。

野生における個体群[編集]

ラクダ科の祖先はもともと北アメリカ大陸で進化したものであり、200万年から300万年前に陸橋化していたベーリング海峡を通ってユーラシア大陸へと移動し、ここで現在のラクダへと進化した。北アメリカ大陸のラクダ科は絶滅したが、パナマ地峡を通って南アメリカ大陸へと移動したグループは生き残り、現在でもリャマやアルパカ、ビクーニャ、グアナコの近縁4種が生き残っている。

ヒトコブラクダとフタコブラクダの家畜化はおそらくそれぞれ独立に行われたと考えられている。ヒトコブラクダが家畜化された年代については紀元前2000年以前・紀元前4000年・紀元前1300~1400年などの諸説があるが、おそらくはアラビアで行われ、そこから北アフリカ・東アフリカなどへと広がった。フタコブラクダはおそらく紀元前2500年頃、イラン北部からトルキスタン南西部にかけての地域で家畜化され、そこからイラク・インド・中国へと広がったものと推測されている[6]。

ヒトコブラクダ[編集]

ヒトコブラクダの個体群はほぼ完全に家畜個体群に飲み込まれたため、野生個体群は絶滅した。ただ、辛うじてオーストラリアで二次的に野生化した個体群から、野生のヒトコブラクダの生態のありさまを垣間見ることができる。また、2001年には中国の奥地にて1000頭のヒトコブラクダ野生個体群が発見された。塩水とアルカリ土壌に棲息していること以外の詳細は不明で、遺伝子解析などは調査中である。この個体群についても、二次的に野生化したものと推測されている。したがって、純粋な意味での野生のヒトコブラクダは絶滅した、という見解は崩されずにいる。

フタコブラクダ[編集]

野生のフタコブラクダの個体数は、世界中で約1000頭しかいないとされている[7][8]。このため、野生のフタコブラクダは2002年に、国際自然保護連合(IUCN)によって絶滅危惧種に指定され、レッドデータリストに掲載されている。

生息域[編集]

2010年には全世界で1400万頭のラクダが生息しており、その90%がヒトコブラクダであった。ヒトコブラクダとフタコブラクダの生息域は一部では重なり合うものの、基本的には違う地域に生息している。ヒトコブラクダは西アジア原産であり、現在でもインドやインダス川流域から西の中央アジア、イランなどの西アジア全域、アラビア半島、北アフリカ、東アフリカを中心に分布している。なかでも特にアフリカの角地域では現在でも遊牧生活においてラクダが重要な役割を果たしており、世界最大のラクダ飼育地域となっている[9]。世界で最大のラクダ飼育頭数を誇るソマリア[10]や、エチオピアにおいてラクダは現在でも乳、肉、移動手段を提供し続けている[11][12][13][14]。フタコブラクダのほうは中央アジア原産であり、トルコ以東、イランやカスピ海沿岸、中央アジア、新疆ウイグル自治区やモンゴル高原付近にまで生息している。頭数は140万頭程度で、ラクダのうちの10%ていどである[15][16][17]。家畜として飼育する場合は通常どちらかの種しか飼育しないが、両種の雑種は大型となるため荷役用として価値が高く、中央アジアでは両種をともに飼育して常に雑種を生み出し続けるようにしていた(後述)。また、ヒトコブラクダは砂漠の広がるオーストラリアに人為的に持ち込まれ、現在では野生化して繁殖している[18]。この個体群は19世紀から20世紀にかけてオーストラリアに持ち込まれたものが野生化したもので、オーストラリア中央部の砂漠地帯に約70万頭が生息している[19][16][20]。この数字は年間8%ずつ増大している.[21]。この野生ラクダはオーストラリアで盛んなヒツジの牧畜用の資源を荒らすため、オーストラリア政府は10万頭以上を駆除している.[22]。

年齢[編集]

ヒトコブラクダは歯を見ることで年齢を知ることが出来る。生まれた時は22本の乳歯があり、加齢と共に歯が生え変わり7歳で34本の永久歯に生え変わる。このため、古くからラクダを取引するアラブ商人たちはラクダの歯の生え方で値段を決めていた。また、地方によっては歯の生え方で呼び方を変えることもあり販売価格などと密接に関係している。 ラクダの平均寿命は25才前後だが、アラブ社会では古くからラクダの寿命は33年3ヶ月と3日と言われてきた。ヒジュラ暦は1年が11日ほど短いため33年3ヶ月と3日で季節が33回変わり、太陽暦の33年に相当する。

ラクダの年齢は歯が一組変わるごとに1歳加齢される独特の年齢加算法を用いる場合があるので、実際の年齢とラクダ商人が数える年齢が一致しないことがある。
1歳上顎両側に4本の臼歯と下顎両側に3本の臼歯2~3歳上顎両側に5本の臼歯と下顎両側に3本の臼歯4歳半糸切歯が生え始める。5歳上顎両側の乳歯1本が2本の永久歯に生え変わり、下顎両側に1本の臼歯が乳歯から永久歯に生え変る。アラブ社会では古くから、上顎両側に6本の奥歯があるラクダを砂漠の横断が可能な大人のラクダとしていた。5歳半2本目の糸切歯が生え始める。6歳上顎にも糸切歯と犬歯が生える。7歳全ての歯が乳歯から永久歯に変わる。10歳以上永久歯の磨り減り具合で判断する。歯の磨り減り方は生活環境によって異なるため、必ずしも実際の年齢とは一致しないが、アラブ社会では古くからラクダの年齢を知る方法として用いられてきた。歯が磨り減ってしまうと通常の餌が食べられなくなるため、近代以前は寿命とされてきた。
雑種[編集]
ブフト・・・ヒトコブラクダとフタコブラクダの間には雑種ができ、カザフスタンではブフト(bukht)と呼ばれる。雑種の瘤は一つで、どちらの種よりも体格で勝るため役畜として重用される。雌のブフトはフタコブラクダと戻し交配することができ、ヒトコブラクダの血を25%、フタコブラクダの血を75%引く乗用のラクダがつくられる。
キャマ・・・ヒトコブラクダとリャマとの間に人工的に作られた種間雑種

人間との関わり[編集]

乗用[編集]





エリトリアで活動するPKFの隊員(2005年)
ラクダは『砂漠の舟』とも呼ばれ、アラブ世界では自動車が普及するまで重要な移動手段であった。前述のように側対歩で歩行するラクダは歩行時に身体が大きく左右に揺れる。このため慣れない者がラクダに乗る場合、船酔いならぬラクダ酔いを起こすことがある。

ラクダを最初に家畜化したのは古代のアラム人ではないかと考えられている。アラム人はヒトコブラクダを放牧する遊牧民、あるいはラクダを荷物運搬に使って隊商を組む通商民として歴史に登場した。砂漠を越えることはほかの使役動物ではほぼ不可能であるため、ラクダを使用することによってはじめて砂漠を横断する通商路が使用可能となった。サハラ砂漠においては、それまでおもな使役動物であったウマに代わって3世紀ごろに東方からラクダがもたらされることで[23]はじめてサハラを縦断する交易ルートの開設が可能となり、サハラ交易がスタートした。

現代においてはほとんどが自動車にとってかわられたものの、マリ北部のタウデニから南のトンブクトゥへと塩の板を運ぶキャラバンなどは現在でもラクダが使用され、2000頭から3000頭ものラクダのキャラバンが10月から5月までの涼しい時期に1か月以上かけて両地を往復する[24]。

また砂漠地帯で長時間行動できるため、古くから駱駝騎兵として軍事利用され、現代でも軍隊やゲリラの騎馬隊がラクダを使用することがある。

食用[編集]

ラクダの肉は食用とされ、また乳用としても利用される。血液を禁忌とするムスリムとユダヤ教徒以外は、生き血を飲むこともある。また、ユダヤ教徒はラクダはコーシャーではないため食べることはできない(後述)。

食用としてのラクダ利用において最も重要なものはラクダ乳の利用である。イスラム圏において古来乳用動物として飼育されてきたものはラクダ、ヒツジ、ヤギであるが、ラクダはヒツジやヤギに比べて授乳期間が長い(約13か月)上に乳生産量も一日5リットル以上と非常に多かったため、砂漠地帯の遊牧民の主食とされてきた[25]。アラブにおいては、ヒツジやヤギの乳搾りが女性の仕事とされたのに対し、ラクダの乳搾りは男性の仕事とされてきた。ラクダ乳は主にそのまま飲用されたが、発酵させて酸乳(ヨーグルト)とすることもおこなわれた。ラクダ乳はウシやヒツジ、ヤギの乳と脂肪の構造が異なり、脂肪を分離することがやや困難である。さらにヤギやヒツジの乳のほうが脂肪の含有量も多いため、バターやチーズといった乳製品は主にヒツジやヤギから作られていた。しかし、ラクダ乳からバターやチーズを作ることも歩留まりが悪い上に技術も必要だが可能であり、その希少性ゆえに高級品として高く評価されていた[26]。

ラクダの肉は食用とされるが、再生産が可能であり生産量も多いラクダの乳に比べると二義的なものとなる。若いラクダの肉は美味とされることもあるが、年老いて繁殖や乳生産のできなくなったラクダが食肉用に回されることが多く、そのため評価は一般に高くない。エジプトではラクダ肉は食肉として一番安く、カイロには食肉用と荷役用のラクダ市がそれぞれ立つ。7歳から9歳程度のラクダが主に食用とされるものの、脂分が非常に多く味が悪いため人気がない[27]。

近年の中華料理において駱駝の瘤は駝峰・駝峯(驼峰・驼峯、トゥオフォン)と呼ばれ、八珍の一つとして珍重される食材である。繊維はあるものの脂肪の塊なので、味付けが重要な食材だが、味が付きにくいという欠点があり、上手に調理するにはある程度の技法が必要である。また、ラクダの足も駝掌と称して食用とされる[28]。

宗教上の禁忌[編集]

イスラム教ではラクダはハラールとされているため、イスラム教徒はラクダの肉や乳を食べることができる。しかし、いくつかのイスラムの学派においてはラクダは不純物の量が多いとされ、そのため食した後に一部沐浴(Wudhu)をするべきと定めている学派もある[29]。

また、同様の理由でラクダがうずくまっていた、あるいはすわっていた場所はシャイターンの場所であるとして、その場所での礼拝をハラームであるとして禁じている学派もある.[29][30]。

ユダヤ教においては、ラクダはコーシャーではないとして食用とすることはできない[31]。これは、ラクダはコーシャーである食肉の条件のうち一つしか満たしていないとされているためである。コーシャーの条件は反芻をし蹄が分かれているものに限られるが、ラクダは生物学的には蹄が分かれ、反芻をするものの、外見上蹄が毛に覆われて分かれているように見えないためカーシェールからはずされている。これはレビ記11章にしるされている。

皮革・その他[編集]

皮はなめして用いられ、毛は織物、縄、絵筆などに利用される。日本でも「らくだのももひき」と親しまれているが、これはラクダの毛を利用したものではなくラクダ色であることを根拠としている品がある。落語にもなっている[32]。特に寒冷な中央アジアのフタコブラクダの毛は織物の素材として優秀である。かつては木材が貴重品である乾燥地帯では、ラクダの糞が貴重な燃料でもあった。

ラクダレース[編集]

アラブ首長国連邦などアラビア半島の諸国においては、ヒトコブラクダのレースである競駝(けいだ)が盛んに行われている。競馬のように、性別・年齢別でレースが行われる。レース距離は5-10kmと、競馬に比べると長距離である。遊牧民の流れをくむ湾岸諸国においてはラクダレースは最も格の高いスポーツであり、首長一族も観覧に訪れ、勝ったラクダの所有者には名誉が与えられる[33]。ドバイにおいては冬季である1月から3月にかけてラクダレースが盛んに開催され、地元民のみならず観光客も多くおとずれる人気のイベントとなっている。また、サウジアラビアにおいては首都リヤドで1974年以来一年に一度大ラクダレースが行われている[34]。ラクダは全力疾走させるのに馬ほど技術が必要でないため、ラクダレースの騎手は近隣諸国からやってきた子供が務めることも多かったが、欧米の人権団体の非難によって騎手に年齢制限が設けられ、こうした光景は姿を消した。また、カタールやアラブ首長国連邦などにおいては、騎手をロボットにおきかえたレースも行われるようになってきている[35]。レースはこのように盛んな一方、ラクダ同士を戦わせる競技の存在もある。

観光[編集]

ラクダは砂漠のイメージと固く結びついており、砂漠の観光名所には観光客を乗せるためのラクダがいるところも多い。エジプトのカイロにはギザのピラミッドやスフィンクスへ向かう観光客相手のラクダ屋が多い[36]。また、日本の鳥取砂丘は砂漠ではないが、砂漠のない日本人には砂漠を連想させる光景であるため、やはりラクダがいて観光客が乗ることができる[37]。

文化[編集]

イスラム教の祝日であるイード・アル=アドハー(犠牲祭)においては動物を犠牲に捧げ神への感謝をおこなうが、犠牲とされる動物の中でもっとも価値が高いものはラクダだとされている[38]。

イエスは「金持ちが神の国に入るよりも、ラクダ[39]が針の穴を通る方がまだ易しい」として金持ちを戒めた(新約聖書、マタイ19・24、マルコ10・25、ルカ18・24 )。

参考文献[編集]

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1.^ BZN vol.60 : OPINION 2027 (Case 3010)
2.^ IUCNレッドリスト フタコブラクダ(英文)
3.^ 国立科学博物館 ヒトコブラクダ(こぶ)
4.^ 『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典2 主要食物:栽培作物と飼養動物』 三輪睿太郎監訳 朝倉書店  2004年9月10日 第2版第1刷 pp.519-520
5.^ 『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典2 主要食物:栽培作物と飼養動物』 三輪睿太郎監訳 朝倉書店  2004年9月10日 第2版第1刷 p.526
6.^ 今泉吉典監修 D.W.マクドナルド編 『動物大百科4 大型草食獣』、平凡社、1986年、p68
7.^ “Bactrian Camel: Camelus bactrianus”. National Geographic. 2012年11月28日閲覧。
8.^ Hare, J.. “Camelus ferus”. IUCN Redlist. International Union for Conservation of Nature and Natural Resources. 2012年12月7日閲覧。
9.^ Bernstein, William J. (2009). A Splendid Exchange: How Trade Shaped the World. p. 56. ISBN 9780802144164.
10.^ Mukasa-Mugerwa, E. (1981 pages=1, 3, 20–21, 65, 67–68). The Camel (Camelus Dromedarius): A Bibliographical Review. International Livestock Centre for Africa Monograph. 5. Ethiopia: International Livestock Centre for Africa
11.^ “Camel Milk”. Milk & Dairy Products. FAO's Animal Production and Health Division (2012年9月25日). 2012年12月6日閲覧。
12.^ Abokor, Axmed Cali (1987). The Camel in Somali Oral Tradition. Nordic Africa Institute. pp. 7, 10–11. ISBN 9789171062697.
13.^ “Drought threatening Somali nomads, UN humanitarian office says”. UN News Centre (2003年11月14日). 2012年12月7日閲覧。 “A four-year drought is threatening the lives of Somali nomads, and those of the camel herds on which they depend for transportation and milk”
14.^ Farah, K. O.; Nyariki, D. M.; Ngugi, R. K.; Noor, I. M.; Guliye, A. Y. (2004). “The Somali and the Camel: Ecology, Management and Economics”. Anthropologist 6 (1): 45–55. "Somali pastoralists are a camel community...There is no other community in the world where the camel plays such a pivotal role in the local economy and culture as in the Somali community. According to the UN Food and Agriculture Organization (FAO, 1979) estimates, there are approximately 15 million dromedary camels in the world" Plain text version.
15.^ Fedewa, Jennifer L. (2000). "Camelus bactrianus". Animal Diversity Web. University of Michigan Museum of Zoology. Retrieved 4 December 2012
16.^ a b Dolby, Karen (10 August 2010). You Must Remember This: Easy Tricks & Proven Tips to Never Forget Anything, Ever Again. Random House Digital, Inc. p. 170. ISBN 9780307716255.
17.^ “Bactrian Camel”. Denver Zoo. 2012年12月7日閲覧。
18.^ 『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典2 主要食物:栽培作物と飼養動物』 三輪睿太郎監訳 朝倉書店  2004年9月10日 第2版第1刷 pp.518-519
19.^ Webster, George (2010年2月9日). “Dubai diners flock to eat new 'camel burger'”. CNN World. CNN. 2012年12月7日閲覧。
20.^ Saalfeld, W.K.; Edwards, GP (2008). “Ecology of feral camels in Australia” (DKCRC Report 47). Managing the impacts of feral camels in Australia: a new way of doing business. Alice Springs: Desert Knowledge Cooperative Research Centre. ISBN 1-74158-094-3. ISSN 18326684.
21.^ Pople, A.R.; McLeod, S.R.. “Demography of Australian feral camels in Central Australia and its relevance to population control”. The Rangeland Journal 32: 11–19. doi:10.1071/RJ09053 2011年6月6日閲覧。.
22.^ Tsai, Vivian (2012年9月14日). “Australia Culls 100,000 Feral Camels To Limit Environmental Damage, Many More Will Be Killed”. U.S. Edition. International Business Times. 2012年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月1日閲覧。
23.^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p9 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
24.^ 「週刊朝日百科世界の地理99 アフリカ西部諸国」朝日新聞社 昭和60年9月15日 p10-236
25.^ 「アラブ世界のラクダ乳文化」pp58-59 堀内勝/「乳利用の民族誌」所収 雪印乳業株式会社健康生活研究所編 石毛直道・和仁皓明編著 中央法規出版 1992年3月10日初版発行
26.^ 「アラブ世界のラクダ乳文化」p74 堀内勝/「乳利用の民族誌」所収 雪印乳業株式会社健康生活研究所編 石毛直道・和仁皓明編著 中央法規出版 1992年3月10日初版発行
27.^ 「アフリカを食べる」pp208-209 松本仁一 朝日新聞社 1998年8月1日第1刷発行
28.^ 『世界の食文化〈2〉中国』p189 周達生著、石毛直道監修 農山漁村文化協会、2003年12月
29.^ a b “Book 1, Number 0184”. Purification (Kitab Al-Taharah). Center for Muslim-Jewish Engagement. 2011年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。25 December閲覧。 “Narrated Al-Bara' ibn Azib: The Messenger of Allah (peace_be_upon_him) was asked about performing ablution after eating the flesh of the camel. He replied: Perform ablution, after eating it. He was asked about performing ablution after eating meat. He replied: Do not perform ablution after eating it. He was asked about saying prayer in places where the camels lie down. He replied: Do not offer prayer in places where the camels lie down. These are the places of Satan. He was asked about saying prayer in the sheepfolds. He replied: You may offer prayer in such places; these are the places of blessing.”
30.^ 「ラクダの文化誌 アラブ家畜文化考」p8 堀内勝 リブロポート 1986年3月25日初版第1刷
31.^ Heinemann, Moshe. “Cholov Yisroel: Does a Neshama Good”. Kashrus Kurrents. Star-K. 2012年12月7日閲覧。
32.^ らくだ (落語)を参照
33.^ 「アラブ首長国連邦(UAE)を知るための60章」pp88-89 細井長編著 明石書店 2011年3月18日初版第1刷発行
34.^ 「ラクダ・レースのジョッキーたち」縄田浩志/「サウジアラビアを知るための65章」所収 p153 中村覚編著 明石書店 2007年7月30日初版第1刷
35.^ http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2694081/5293303 新時代のラクダレースはロボット騎手が対決 AFP 2010年02月12日 2013年2月12日閲覧
36.^ 「アフリカを食べる」pp209-210 松本仁一 朝日新聞社 1998年8月1日第1刷発行
37.^ http://www2.tottori-guide.jp/tourism/tour/view/6 鳥取県観光案内 とっとり旅の生情報/観光情報内「鳥取砂丘」 鳥取県観光連盟
38.^ 坂本勉『イスラーム巡礼』p50 (岩波新書、2000) ISBN 4-00-430677-9
39.^ アラム語では、「ラクダ」と「ロープ」が同音語なので、福音書がギリシャ語で書かれる時、「ロープ」を「ラクダ」と誤訳したという説がある

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、ラクダ属に関連するメディアがあります。

ウィキスピーシーズにラクダ属に関する情報があります。
National Camel Research Centre, Bikaner (Rajasthan), India




カテゴリ: 家畜
交通史
天然繊維
ラクダ科



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gちゅy

2013-07-24 12:05:17 | 日記









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系図でみる近現代 第28回 第6代武田長兵衛三男・武田國男



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武田長兵衛(第6代), 武田薬品会長・社長/鋭太郎/ 妻・繁子は第10代國分勘兵衛三女。11代勘兵衛の妹/ ◇関連本. 武田彰郎, 長男/武田薬品副社長. 武田誠郎, 次男/広島大学医学部教授. 武田國男, 三男/武田薬品会長兼CEO、社長/ 平成5年社長、15年会長 ...


武田國男 - Wikipedia



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武田 國男(たけだ くにお、1940年1月15日 - )は、武田薬品工業元代表取締役会長CEO、日本経済団体連合会副会長、関西経済連合会副会長。娘は馬術選手の武田麗子。 目次. 1 来歴; 2 経歴・業績; 3 団体・公職歴; 4 賞罰; 5 著書; 6 関連項目; 7 外部リンク ...


武田 誠郎



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初めは美しい. 武田 誠郎(たけだ まさお) 医学部生化学第二講座. 〈部局歴〉 昭和36・4 (民間) 43・11 (京都大学) 44・2 (神戸大学) 50・9 医学部. 私は一九七五年九月に医学部に新設された生化学第二講座の主任として、神戸大学から転任して来ました。


ヒートの情報倉庫:系図でみる近代史 - Livedoor



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2005/03/13 - 武田誠郎:次男/広島大学医学部教授 武田國男:三男/武田薬品会長兼CEO 小西新兵衛(第6代):元小西薬品工業社長/駒太郎/妻は5代目長兵衛妹。安永年間(1770年代)から続く薬品問屋に生まれ、武田長兵衛商店時代のタケダで奉公し、 ...

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特集ケース - 公益財団法人医療科学研究所



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いる。 1994年の武田家の株式所有比率は個人筆頭. 株主の武田誠郎氏が1.01% (大株主中16位), 武. 田國男氏が0.95% (同17位), ... リストからはずれ, 武田誠郎氏 (1.00%) 武田国. 男氏 (0.95%), 武田科学振興財団 (2.03%) で. 合計3.98%を所有している。


KAKEN - 武田 誠郎(40030853)



kaken.nii.ac.jp/d/r/40030853.ja.html‎



武田 誠郎. タケダ マサオ Takeda, Masao. 研究者番号:40030853. 研究者リゾルバーID:1000040030853. 研究課題申請・成果報告時の所属履歴. 1986年度~1998年度, :, 広島大学 / 医学部 / 教授. 研究課題の研究分野. 医化学一般; 機能生物化学; 代謝 ...


会長・評議員・役員 | 財団概要 | 公益財団法人 武田科学振興財団



www.takeda-sci.or.jp › 財団概要‎



評議員, 武田 誠郎, 広島大学 名誉教授. 評議員, 竹田 美文, 国立感染症研究所 名誉所員. 評議員, 永井 美之, 名古屋大学・東京大学 名誉教授. 理化学研究所新興・再興感染症研究ネットワーク推進センターセンター長. 評議員, 長澤 秀行, 元武田薬品工業株式 ...


著者詳細 - 武田 誠郎 | 共立出版



www.kyoritsu-pub.co.jp/author/detail/5955‎



共立出版の武田 誠郎著者詳細ページです。 ... 田村 真理・矢倉 英隆・武田 誠郎・宮本 英七編. ISBN:978-4-320-05524-7; 判型/ページ数:B5/296ページ; 発行年月:2000年02月; 税込価格:4,725円. プロテインホスファターゼは,プロテインキナーゼとの共同 ...


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gfちゅy

2013-07-24 12:01:03 | 日記

系図でみる近現代トップ
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あるいは、旧華族・皇族や
近現代に活躍した人物を
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第49回福澤諭吉・福澤克雄・フランキー堺
第50回坂本龍馬・武市半平太
第51回岩崎弥太郎
三菱・岩崎家4代
第52回後藤象二郎・吉田東洋


















第28回 タケダ、タケダ、タケダ~、武田薬品工業会長兼CEO
第6代武田長兵衛三男・武田國男、華麗なる薬品・食品一族。  (04.11.30記)
そして、2012年、次女・武田麗子が、馬術でロンドン五輪出場! (2012年追記)
[系図1] [系図2]


2004年11月の日本経済新聞連載「私の履歴書」(のち書籍化「落ちこぼれタケダを変える」)は、
武田薬品工業社長を93年6月より10年務め、昨年2003年6月にその座を後進に譲り、
現在、会長兼CEO(最高経営責任者)である武田國男(くにお)氏。

「日経ビジネス」2003年2/17号、「稼ぐ社長ランキング」において、
数ある大企業の社長の中で、堂々の1位にランクされました。


企業を改革した経営者としては、フランス・ルノーから来て
日産自動車を再生させたカルロス・ゴーンばかりが、よく話題に上ります。

しかし、どっこい日本にも、しがらみ、聖域を打破し、
トップが旗振り役となって危機感を醸成、
大企業病にどっぷりつかった企業の改革を断行して、
「兆」単位で企業価値を上げた「すご腕」経営者がいます。

その一人が武田國男氏。


武田薬品工業、言わずと知れた日本の医薬品業界トップメーカーであり、
大阪の製薬・卸会社のメッカである道修町(どしょうまち)に本社をおき、
創業、天明元年(1781年)、二百二十余年の歴史を誇る老舗企業、通称タケチョウ。
武田家の当主(社長)は、代々、長兵衛を襲名してきた。


ところで、武田と言えば、思い出されるのが、

「♪タケダ、タケダ、タケダ~、 タケダ、ターケーダーー♪」

というタケダマークの看板が大写しになるCMから始まった“タケダアワー”
「ウルトラQ」「ウルトラマン」「柔道一直線」etc.、

他にもCMや商品としては、三船敏郎「飲んでますか!」アリナミン、
米屋さんが扱っていた栄養飲料プラッシー、調味料では、いの一番、
かぜ薬のベンザ、武田漢方胃腸薬、牧瀬里穂デビューCMはハイシー、
そして、アーノルド・シュワルツェネッガーが、宮沢りえと共演して
「シュワちゃん」などと気安く呼ばれ出したのが、アリナミンVドリンクのCM、などなど・・


話が横にそれましたが、ここで簡単な武田家の系図を描いておきます。

[系図1]

武田薬品・武田家系図





第5代武田長兵衛は、13歳の時から家業の見習を始め、使用人と共に荷揃えや発送に従事。
明治37年、35歳で5代目長兵衛を襲名。41歳まで道修町で店員と共に起居。
研究の重要性を見抜き、大正3年には研究部を創設。
先代の始めた製薬業を近代化し、大正7年武田製薬株式会社に発展・創設、
大阪商人の見本とまでいわれた。

14年に武田長兵衛の個人営業と武田製薬(株)とを合併させ、(株)武田長兵衛商店を創立。
“儲けよりも病人に効く薬”を第一義の経営理念とした武田薬品中興の祖。

社長の椅子を息子に譲った後も、毎日出社して孫に社長教育を授け、
80過ぎても昼食に洋食二人前を取り寄せ、ペロリと平げるバイタリティの持ち主であった。
昭和34年、90歳の天寿を全うした。


第6代武田長兵衛は、戦時中の昭和18年
武田長兵衛商店を改組した武田薬品工業の発足とともに
38歳で6代目長兵衛を襲名し、第5代より社長を引き継いだ。

以後、昭和49年に社長の座を小西新兵衛(従弟)に譲り会長に退くまで、
30年余りにわたって社長を務めた。

経営の近代化・多角化を推進、研究施設の充実を図り、テレビCMなども最大限活用し、
さらに抗生物質の発売、ビタミン剤アリナミンの成功などにより
武田を業界トップ企業に押し上げ、独走態勢を築いた。

昭和29年発売のアリナミンは、医科向けと家庭薬の双方で大ヒット商品になり、
最盛期の昭和30年代には、武田の全利益の半分をまかなうお化け商品に成長し、
武田は「アリナミン王国」の異名をとった。
財界活動においても、関西経済同友会代表幹事や大阪商工会議所副会頭などを務めた。



その第6代長兵衛と妻・繁子の三男に生まれたのが、武田國男氏。
しかし、元々社長になる存在では、なかった。

大阪の古い商家では、生まれながらにして長男が後継ぎと決められており、
早くから長男に帝王学を施し、それ以外の子供とは、明確に区別し、育てられた。


ところが、1980年(昭和55年)、武田家及びタケダにとって、非常事態が発生した。

長兄で副社長であった6歳年上の彰郎氏が、2月早朝ジョギング中に倒れ、46歳で急逝。
翌年創業二百周年を機に社長に昇格、7代目長兵衛を襲名する予定であった。
それを誰より願っていた、会長であり父である6代目長兵衛は、夢が幻と消え、
抜け殻のようになり、わずか半年あまりで、長男のもとに旅立ってしまった。


國男氏はその5日前に父を見舞い、
その時の父の顔を忘れる事ができない、と言います。

父は、病室のベッドに弱々しく座り、じーっと國男氏を見つめ一言も口をきかない、
しかし、その目が語っていた。

[なんでくだらんお前が生きとんのや。
彰郎の代わりにこのアホが死んどってくれたらよかったんや]


あまりに自分の存在の小ささを思い知ったといいます。
次兄である誠郎氏は、一時、武田の研究所にいたが、武田を出て学究の道を歩んでいた。
國男氏は

「当時、私は一介の課長であり、できの悪い、社長の三男など、どこも押しつけられたくない。
傍流の事業部に預けられ、部屋住みのように扱われてきた。家も学校も会社もすべて落ちこぼれ。
その上、人見知りする内気な性格ときたら、ただの厄介者である。」

しかし、

「こんな私にも一つ取りえがあった。長く窓際にいたので、会社のだめなところが、
手に取るようにわかっていた。」


武田家以外からの社長が3代続き、その間、小西新兵衛会長の指令により、
アメリカ合弁会社に派遣され、大勢の意見とは違う前立腺ガン治療薬投入を主張、
この判断が見事に当たり、武田の米国事業は成長軌道に乗った。
そして、兄の死から13年後、社長のお鉢が回ってきた。


その時、マスコミはこぞって武田家に“大政奉還”と書いた。
実際、私も当時その記事を読み、大企業で世襲?そして、その細おもての風貌や、
大企業社長にありがちな学歴とは、少々違う経歴に
正直、「タケダ、大丈夫?」と、何もわからず漠然と思ったものでした。


ところがどっこい、まさに「だいじょーブイ」・・・でした。


武田氏の弁によれば、それまでのタケダは、
ぬるま湯の中で仲良しクラブや部門エゴにうつつを抜かし茶坊主しか出世しない。
万事ドンブリ勘定で、責任の所在などあってないようなもの。
日本の製薬業界ではトップでも、しょせん世界では、けし粒のような存在。
それでも「武田だけはつぶれない」と危機感のかけらもない。



「周りは『ゴマのすり兵衛』ばかり。全部飛ばしました。」

ゴマスリはいらん、無駄な人員を減らせ、儲からん工場を閉めろ、
医薬の稼ぎに寄りかかっている多角化を見直せと、ひたすら吠えまくり、
欧米型実力主義の人事制度を上の役職から順次導入、
世界競走を勝ち抜ける「グローバルな研究開発型製薬企業」を目指した。

社内から、独裁者と言われ、社員は「あいつはばかや」と思っているから、
改革を理解しようともせず、「お前みたいなボンボンに何がわかる」といった
匿名の手紙が何通も自宅に送りつけられたり、誹謗する怪文書騒ぎもあった。

就任3年目には、ぼうこうガンを患うという事態にもおちいり、
大手術後、無事退院した時には、下腹部の内臓はほとんどなくなっていた。
そして、9月中間決算報告に丸坊主のまま登場し、
その場でガン告白と完治宣言を同時にやってのけた。

その後も、ひるむ事なく、ついには、父が多角化した動物向け医薬品、ビタミンや食品、
化学品、農薬などを次々に切り離し、医薬品事業への経営資源の「選択と集中」を実現した。


2002年3月期、社長9年目の連結決算で、
製薬業界初の売上高1兆円を達成、純利益は2356億円。

売上高は日本一のトヨタの15分の1だが、純利益はトヨタの4割近い高水準。
株式配当は10年前の13円から今年度88円見込み。海外での売上も7割に達し、
巨大多国籍製薬企業との競走の土俵に、上がるところまでこぎつけた。



エリート社員にない型破りの発想と、“武田”という名前が役に立った、
しかし、武田家の社長は自分で終りと言い、
役員の子供は入社させない内規をつくり、長男は別の会社で働いている。
“長兵衛”も襲名せず、「國男のほうが運がいい」と言い切る。



「武田国男」、正式には、「國男」と書きますが、
そのお名前は、私が勝手に想像するに、母上の旧姓からきているのでは?

“伊勢商人の娘”、母の旧姓、それは、国分(國分/こくぶ)。
缶詰等で有名な食品・酒類卸、國分である。

そして、妻の実家は青森の老舗醤油企業ワダカン。


結婚後、妻の姉の嫁ぎ先にあいさつに行くと、
それまで、武田が食い込めなかったソーセージなどに使う調味料を
よそから武田に代えてくれるという思わぬ大口商談が、舞い込んだ。
その相手方は伊藤ハム。

これらを簡単に系図にあらわすと

[系図2]

武田國男家系図



結婚披露宴の仲人も、やはり食品メーカーから、サントリー・佐治敬三氏であった。
その時、授かった一言が人生の指針に。

「自然体でいきなはれ。自然体でないとあきまへん」


武田氏は、インタビューで

「こんな薬があれば一番喜ばれるだろうと思う薬は?」

との問いに、即座に、こう答えておられます。

「はげ防止。 肥満防止も絶対。やっぱり、がんを完全にたたけたら、一番でしょうなあ。
勃起(ぼっき)不全治療剤は、もう出ましたからね。
あと、心臓病、アルツハイマー、たねは尽きませんね。」


なるほど!
はげ防止に、勃起不全治療剤・・・

齢を重ねてくると、こればかりは、

“自然体ではあきまへん!?”


残念!!!・・・・


落ちこぼれタケダを変える (日経ビジネス人文庫)


■追記(2012年)

上記・日経新聞「私の履歴書」の最後は、自身、杉谷選手(馬術)とともに、
乗馬した次女・麗子の写真及び、その話題で締めくくっていた。

『シカゴで誕生した末娘も大学生。以前から乗馬に惹かれ、現在、オリンピックに過去三回出場
(※当時/今回・ロンドン五輪出場で5大会連続)の杉谷泰造選手について特訓中である。
2004年秋は国体でも上位に入賞することができた。
(中略)
会社の仕事もそこそこ、ゴルフもそこそこ、エビネ(※ラン科植物)もそこそこ。
後は“親ばか大将”よろしく、アメリカやヨーロッパで、そして若き日を過ごしたフランスで、
乗馬で転戦する娘の“追っかけ”をしてみたい。
これも娘と馬次第であるが。』


2012年、その愛娘武田麗子がロンドン五輪、馬術競技障害飛越個人に出場!!







Google

Web 「系図でみる近現代」
「近現代・系図ワールド」








●武田・小西・森本家系図 (※基本的に役職の元・前は省略しています)
武田長兵衛(第5代) 武田薬品社長/重太郎、隠居後、和敬
武田長兵衛(第6代) 武田薬品会長・社長/鋭太郎/
妻・繁子は第10代國分勘兵衛三女。11代勘兵衛の妹/
◆関連本
武田彰郎 長男/武田薬品副社長
武田誠郎 次男/広島大学医学部教授
武田國男 三男/武田薬品会長兼CEO、社長/
平成5年社長、15年会長兼CEO、21年退任。
◆著書・関連本
「落ちこぼれタケダを変える」
武田麗子 馬術競技障害飛越個人ロンドン五輪(2012年)代表選手/武田國男次女
小西新兵衛(第6代) 小西薬品工業社長/駒太郎/妻は5代目長兵衛妹
安永年間(1770年代)から続く薬品問屋に生まれ、
武田長兵衛商店時代のタケダで奉公し、のち6代目を襲名
明治41年、東京日本橋に店を構える。
小西新兵衛(第7代) 武田薬品会長・社長/専一
昭和18年、7代目襲名、小西薬品社長に就任
昭和19年、戦時下の企業整備令でタケダと合併
森本寛三郎 武田薬品会長
森本浩 神戸学院大学教授、薬学博士
●徳大寺・西園寺・住友家(参照:第13回)
徳大寺則麿 三菱重工取締役/男爵
徳大寺元麿 甲南機械製作所社長
●小川家
小川琢治 京大教授/理学博士、学士院会員
小川芳樹 東大教授/工学博士
貝塚茂樹 京大教授/文学博士/長男が東大教授・貝塚啓明(経済学博士)
◆著書・関連本
◆貝塚啓明著書・関連本
湯川秀樹 東大・京大教授/理学博士/日本初のノーベル賞(物理学賞)受賞
◆著書・関連本
●國分家
國分勘兵衛(第10代) 國分社長/秀次郎
國分勘兵衛(第11代) 國分社長/貫一/
國分勘兵衛(第12代) 國分社長/章一
國分は1712年創業、食品・酒類卸のトップ
●和田家
和田寛次郎 和田寛食料工業社長/一男四女有り
ワダカンは青森の醤油メーカー、現在和田家とは一切関係なし。
和田寛食料工業→ワダカン食品工業(88年)→ワダカン(2000年)
●伊藤家
伊藤傳三 伊藤ハム社長、創業者
伊藤研一 伊藤ハム会長
伊藤正視 伊藤ハム社長
◆「人が集まるテーマパークの秘密」












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●参考文献
日本経済新聞04年11月「私の履歴書」
「元気を与えてくれる会社」日経ビジネス編
「カリスマたちは上機嫌 日本を変える13人の起業家」梅沢正邦
「私の源流 トップ経営者からのメッセージ」街風隆雄
「会社は社会の預りもの “武田長兵衞”に学ぶ経営戦略の神髄」渡辺一雄
「日本の実業家~近代日本を創った経済人伝記目録」日本工業倶楽部編
「豪閥」佐藤朝泰
「落ちこぼれタケダを変える」武田國男
人事興信録
「FLASH」 2012年6/26号[“美人すぎる馬術五輪代表”は武田薬品元会長の愛娘]
他、各種人名辞典・系図集

●参考HP
asahi.com 2002.6/1
SANSPO.COM [武田麗子、才色兼備のお嬢様ライダー]




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ぎゅう

2013-07-24 11:55:52 | 日記


初めは美しい



 武田 誠郎(たけだ まさお) 医学部生化学第二講座

〈部局歴〉
  昭和36・4 (民間)
    43・11 (京都大学)
    44・2 (神戸大学)
    50・9 医学部
 
   
 
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 私は一九七五年九月に医学部に新設された生化学第二講座の主任として、神戸大学から転任して来ました。半年分の講座費約一五〇万円のほかは何もないところからの出発でした。
 医学基礎棟にはスペースがなく、研究室は、当時廃墟と化していた被爆旧陸軍兵器庫のレンガ造りの二号館の一部を手直しして、翌年三月に出来上がりました。大きな建物の一部だけを住めるようにしたものですから、大雨になると水が入口から流れ込み、廊下伝いに教授室に迫ってきました。先住の野良猫が天井裏で子猫を生み、その一匹が壁のすき間に落ち何日もその鳴き声が聞こえたこともありました。
 八〇年、医学科の学生数が一二〇人に増え、新しい実習棟が建ち、その三階が現在の研究室となりました。
 人材の確保と研究費の調達には苦労しました。幸い、少数ながら共同研究者に恵まれ、継続して文部省科学研究費の交付も受け、さまざまな細胞内反応の制御に関与する蛋白質リン酸・脱リン酸化反応を触媒する酵素の活性調節機構を研究することができました。
 学生とは、ジャズ研究会、映画研究会、美術部、ゴルフ部の顧問として師弟の関係を越えた付き合いもありました。ゴルフ部は十年前に発足し、昨年、第二十九回関西医歯薬ゴルフ競技大会を主管し、個人及び団体で初優勝しました。写真はその時のものです。
 何はともあれ、今まで勉強を続けられたことが一番幸せです。数え切れない多くの方々の御支援、御指導、御鞭撻の賜物と深く感謝いたします。学舎としての広島大学の充実を祈って止みません。

富士三次CCの18番ホールを背に(筆者中央)



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