帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(116)春の野に若菜つまむとこしものを

2017-01-04 19:00:55 | 古典

             

 

                        帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

和歌の真髄は中世に埋もれ木となり近世近代そして現代もそのままである。和歌の国文学的解釈は「歌の清げな姿」を見せて、解釈者(国文学者)の憶測した意見が加えられるが、和歌の真髄に達することは出来ない。

和歌は、今の人々の知るのとは全く異なる「歌のさま(歌の表現様式)」があって、この時代は、藤原公任のいう「心深く」「姿清げに」「心におかしきところ」の三つの意味を、歌言葉の「言の心」と「浮言綺語のような戯れの意味」を利して一首に同時に表現する様式であった。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観に従えば、秘伝となって埋もれ朽ち果てた和歌の妖艶な奥義(心におかしきところ)がよみがえる。

 

「古今和歌集」 巻第二 春歌下116

 

寛平御時后宮歌合の歌            貫之

春の野に若菜つまむとこしものを ちりかふ花に道はまどひぬ

宇多天皇の后の宮主催の歌合の歌          つらゆき

(春の野に、若菜を摘もうと来たのになあ、散りみだれる木の花に、道は紛れ迷ってしまったよ……春の野に、若い女、娶ろうと来たものを、散り淫れるおとこ花に、かよひ路は・おんなは、惑うてしまった)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「春…季節の春…春情」「若菜…若い女…菜・草花の言の心は女」「つまむ…摘もう…引こう…めとろう」「ものを…けれども…のに…のになあ」「ちりかふ…散り交う…散り乱れる…散り淫れる」「花…木の花…男花…おとこ花」「道…筋道…路…かよい路…おんな」「まどひぬ…惑うてしまった…とまどうてしまった」。

 

春の野の若菜摘みに、桜の花吹雪の道をゆくさま。――歌の清げな姿。

若い女たちは春の野にスミレなど草花を摘みにゆき、若い男たちはその若菜を娶りにゆき、春の野にて交歓する。はやるおとこと、惑うおんなのありさま。――心におかしきところ。

 

藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているけれども、言の深き旨も顕われる」という。顕れるのは、まさに、エロス(性愛・生の本能)である。和歌は、もとよりエロチシズムのある表現様式であった。その証明のためにも、「古今和歌集」千百首ばかりの歌のエロスを紐解き明かす。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)

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