■■■■■
帯とけの枕草子〔五十九〕河は
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、君が読まされ、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔五十九〕河は
河は、あすか川、ふちせも定めなく、いかならんとあはれ也。大井河。音なし川。みなせかは。
みゝと川、又も何事を、さくじりきゝけんとおかし。たまほし川。ほそ谷川。
いつぬき川・さはだ川などは、さいばらなどの思はするなるべし。
名とり川、いかなる名を取たるならんときかまほし。吉野川。
あまのかはら、たなばたつめに宿からんと業平がよみたるもをかし。
文の清げな姿
川は、飛鳥川、淵瀬も定めなく、どうなのだろうと感慨深い。大井河、音無川、水無瀬川。
耳敏川、何事を探り聞きだしたのだろうかとおかしい。玉星川。細谷川。
五貫川、沢田川などは催馬楽などが思われるでしょう。
名取川、如何なる名を取ったのか聞きたい。吉野川。
天の川原、七夕姫に宿を借りようと業平が詠んだのも趣がある。
心におかしきところ
女は、飛ぶ鳥のとりとめもない女、不二背も定めてなく、どうなのだろうと哀れである。大井女、おとなしい女、見無背かは。
耳敏女、またも何事をさぐり聞くのだろうかとおかしい。玉欲し女、細谷かは。
五貫川・沢田川などは催馬楽など思われるでしょう。
名取り女、如何なる評判を取ったのか聞きたい。見よしのの・好しのかは。
あまのはら、七夕姫にやと借りようと、業平が詠んだのもおもしろい。
言の戯れと言の心
「河…川…水…女」「井…女」「ふち…淵…深い…情の深い…ふぢ…不二…二人と居ない」「見なせ…覯なし背…見無し男」「見…覯…まぐあい」「瀬…背…夫…男」「細…ほめ言葉」「谷…女」「名…名声…評判」「よしの…吉野…好しの」「川…女…かは…だろうか…疑問を表す」。
催馬楽の貫川は、
貫河の瀬々の、柔ら手枕、柔らかに寝る夜はなくて、親割くる夫、親さくる、妻は、ましてるはし、しかさらば、矢矧の市に、沓買ひにかむ、沓買わば、せんがいの細しきを買へ、さし履きて、うは裳とり着て、宮路通はむ。
「親さく…親割く…親が二人を引き離す…親が邪魔する」「せんがいの細敷き…刺繍飾りの細敷き…しやれてきゃしゃな浅沓…貴夫人の上沓(実物は正倉院御物にある)」。それを履いて、裳の裾引いて、「宮こへの路」を通いたい。つまり、ゆっくりゆっくりと、抜き足差し足、感の極み(宮こ)へ通いたいと謡う。
催馬楽の沢田川は、
沢田川、袖つくばかりや、浅けれど、はれ、浅けれど、くにの宮人、高橋渡す。
(沢田川、袖つくほどや、浅いのに、はれ、浅いのに、恭仁の都を造る宮人や、高橋掛け渡す……浅い女、端つくほどや、浅いのに、はれ、情浅いのに、くにの宮人や、立派な身の端かけわたす)。
「沢田…沢や田のような…浅い…情の浅い」「川…女」「そで…袖…端…身の端」「高…高い…立派な」「橋…端…身の端…おとこ」。
「業平のよみたる歌」は伊勢物語にある。惟喬親王のお供をして渚の院より交野(現、大阪府交野市)で狩りをして、天の川(今も清水が流れている天野川)に至ったときに詠んだ。
かりくらしたなばたつめにやどからん あまのかはらに我はきにけり
(狩して日が暮れ、七夕姫に宿を借りよう、天の川原に我は来てしまったなあ……女かり暮らし、たなばた姫にや門かりよう、ついに天女の腹にまで我は来てしまったなあ)。
「かり…狩り…めとり…女あさり」「暮らし…夕暮れを迎える…暮らし続けている」「宿…や門…女」「あま…天…女」「はら…原…腹」。
催馬楽も和歌も物語も、このように歌われ、語られてある。しかし、残念ながら、今では、全ての「心におかしきところ」が聞こえなくなったままである。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)
枕草子の原文は、新日本古典文学大系 枕草子 (岩波書店)による