帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (234)をみなへし吹すぎてくる秋風は

2017-05-23 19:13:25 | 古典

            

 

                      帯とけの古今和歌集

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 234

 

                              (躬恒)

をみなへし吹すぎてくる秋風は 目には見えねど香こそしるけれ

(歌合の歌と思われる)        (みつね)

(女郎花・咲く野を、吹き過ぎて来る秋風は、目には見えないけれど、香が、あの花と・はっきりしていることよ……をみな圧し、吹き過ぎてくる、厭きの心風は、目には・女には、見えないけれど、香こそ、しるっぽいことよ)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「女郎花…草花…女花…をみな圧し」「秋…飽き…厭き」「風…季節風…心風(心に吹く厭き風)」「め…目…女…おんな」「しる…著る…はっきりしている…汁…しる…つゆ…おとこ白つゆ」「けれ…けり…感嘆・詠嘆の意を表す」。

 

女郎花咲く野を、吹き過ぎて来る秋風は、目には見えないけれど、香りで、あの草花と・はっきりわかることよ。――歌の清げな姿。

をみな圧し、吹き過ぎて来る厭きの心風は、おんなには見えないけれど、香こそ、はっきりしている、白しるだなあ。――心におかしきところ。

 

歌の「清げな姿」は皮相な部分である。うわの空読みすれば、誰でもわかる。歌の真髄は「心におかしきところ」にある。人のエロス(性愛・生の本能)の表出である。


 歌の様(表現様式)を知り、言の心(この文脈で通用していた意味)を心得れば、おとこの、はかなく果てるさがを詠んだ歌だろうとわかる。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)