帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第六 冬歌 (323))雪ふれば冬ごもり(324)しらゆきのところも

2017-11-08 19:36:08 | 古典

            

 

                        帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

公任は、歌の様(歌の表現様式)を捉えて「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりと言ふべし(新撰髄脳)」と優れた歌の定義を述べた。歌には多重の意味があり、エロス(生の本能・性愛)が表現されてあった。公任のいう「心におかしきところ」がそれである。中世に「古今伝授」と称して歌の家々では、門外不出、一子相伝の秘事・秘伝となって、今も埋もれ木のようになったままである。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌323

 

冬の歌とてよめる           紀貫之

雪ふれば冬ごもりせる草も木も 春にしられぬ花ぞさきける

(冬の歌として詠んだと思われる・歌……厭きの果ての歌として詠んだらしい・歌) きのつらゆき

(雪ふれば、冬ごもりしている草も木も、季節の春には知られない、白い花が咲いたことよ……ゆきふれば、涸れた女も、寒さにちじこまったおとこも、季節の春には知られない、白いお花が咲くのだなあ)

 

「雪…逝き…ゆき…行き」「ふる…降る…触る…触れる…接する」「冬ごもり…活動休止」「草…言の心は女」「木…言の心は男」「ける…けり…気付き・詠嘆の意を表す」。

 

白雪の振りかかった枯れ草や木を、白い花が咲いたと見た、初冬の景色――歌の清げな姿。

行き、触れれば、活動休止中のおんなもおとこも、季節の春には知られない、白いお花が咲くのだなあ――心におかしきところ。

 

人は、季節の春にならなくとも、肌触れ合えば、白いお花が咲くことよ、と詠んだ歌のようである。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌324

 

しがの山こえにてよめる        紀秋岑

しらゆきのところも分かずふりしけば 巌にもさく花とこそ見れ

(滋賀の山越えにて詠んだと思われる・歌……至賀の山ば越えにて詠んだらしい・歌)きのあきみね

(白雪が所も分かず降りしけば、 岩ほにも咲く花とだ、見えることよ……白ゆきが・所かまわず、降りしきるので、岩の上にも・井は山ばの頂上にも、咲く花と、見て思う)

 

「しらゆき…白雪…おとこ白ゆき」「ところもわかず…所を分別することなく…ところもかまわず…若き男のさが、あきみねは、貫之の縁者の若者だろう」「いはほ…巨岩のつき出たところ…岩の言の心は女…井端ほ…おんなの絶頂・至賀」「花…おとこの白い花」「見れ…見る…思う」「見…覯…媾…まぐあい」。

 

白雪が所も分かず降りしけば、巨岩の先端にも咲く花とだ、見える――歌の清げな姿。

白ゆきが・所かまわず、降りしきるので、岩の上にも・井は山ばの頂上でも、咲く花と、見て思う――心におかしきところ。

 

若者は、ところかまわず、白ゆき降りしきるので、いはほにも・井はの山ばの頂上にも、白いお花が咲くと見る、と詠んだ歌のようである。人の性(さが)は、季節ヤ時期も無ければ、所もかまわない、触れ合えば花が咲く。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)

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