帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (167) 塵をだにすへじとぞ思咲きしより

2017-03-06 19:00:09 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古典和歌は、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう歌の深い旨の「煩悩」が顕れる。いわば、エロス(生の本能・性愛)である。普通の言葉では言い出し難いことを、「清げな姿」に付けて表現する、高度な「歌の様(歌の表現様式)」をもっていたのである。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 167

 

隣より常夏の花をこひにをこせたりければ、惜しみて、

この歌をよみて遣はしける          躬恒

塵をだにすへじとぞ思咲きしより いもと我が寝るとこ夏の花

隣家より常夏の花(なでしこ)を乞いに、使いを寄こしたので、惜しんで、この歌を詠んで、花に付けて遣った・歌、 みつね

(小さなほこりさえ置かないぞと思う、咲いてより、妻と我が寝る床撫づように・常に撫づ女花よ……俗世の小さな汚れさえつけないぞと思う、おとこ花・咲きしより、妻と我が寝る床で、いつまでも撫づことよ・おんな花)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「ちり…塵…小さなほこり…俗世の汚れ」「すへじ…すゑじ…据えじ…置かじ…着けじ」「じ…打消しの意志を表す」「さきしより…(この常夏の花が)咲いてから…(おとこ花が)咲いてから」「とこ夏の花…常夏の花…なでしこの花…草花の言の心は女…おんな花…体言止めは余情がある」「とこ…床…寝床…常…つねに…いつまでも」「夏…なつ…懐…慣れ親しむ…なづ…撫づ…撫でる…愛撫する」「の…時期を表す、他に、多様な意味を孕む詞…のように…比喩を表す…なのだなあ…感嘆を表す」「花…端…身の端」。

 

塵さえつけないぞと思う、咲きしより、妻と我が寝る床を撫でるように、愛玩する常夏の花よ――歌の清げな姿。

小さな汚れさえつけないぞと思う、おとこ花の咲きしより、妻と我が寝る床で、いつまでも愛撫する、端。――心におかしところ。

 

遍昭の歌は女の本性に手厳い内容だった。次に男のはかない本性を詠んだ深養父の歌が置かれ、つづいて、夢に見るような女と男の永遠の愛を詠んだ躬恒の歌を並べ置いた。これは歌集の編者の仕業である。歌集では歌の並びにも意味がある。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)

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