帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (166) 夏の夜はまだよゐながらあけぬるを

2017-03-04 19:20:52 | 古典

             

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                         帯とけの古今和歌集

                   ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古典和歌は、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう歌の深い旨の「煩悩」が顕れる。いわば、エロス(生の本能・性愛)である。

普通の言葉では言い出し難いことを、「清げな姿」に付けて表現する、高度な「歌の様(歌の表現様式)」をもっていたのである。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 166

 

月のおもしろかりける夜あか月方によめる  深養父

夏の夜はまだよゐながらあけぬるを 雲のいづこに月やどる覧

月の趣きがあった夜、暁ごろに詠んだと思われる・歌……月人壮士のすばらしかった夜、暁のころ詠んだらしい・歌。 ふかやぶ

(夏の短夜は、宵のままに明けてしまったが、雲のどこに、月、宿っているのだろうか・月影見えず……懐つの夜は、好いのままに明けてしまったおとこよ、心雲がどこかに、つき人おとこ、宿っているのだろうか・山ばの嵐に)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「夏の夜…短夜…懐の夜…慣れ親しむ夜」「よゐ…よひ…宵…好い」「あけぬる…明けてしまった…期限が来てしまった…限度が来てしまった」「を…のだが…接続詞…ことよ…感嘆詞…おとこ」「雲…空の雲…心に煩わしくもわき立つ情欲など、広くは煩悩…仏教伝来以前、此れを(八雲立つ)という」「月…月人壮士…月よみをとこ…月の言の心は男」「つき…月…突き…尽き」「覧…らん…らむ…推量の意を表す…見る…乱…乱れて…嵐…山ばの心風荒し」。

 

夏の短夜、宵のままに夜が明けてしまったなあ、雲のどこに月は宿っているのだろうか・見れど月影なし。――歌の清げな姿。

懐の短夜は、好い好いのままに、夜明けを迎えたよ、心雲がどこかに、尽き人おとこよ、宿っているだろうか・山ばの心風荒かった。――心におかしところ。

 

清原深養父は、清少納言の祖父か曽祖父という。古今集編纂の頃(905)は、内匠寮の下級役人であった。

 

夏、宵、雲、月、覧の「字義」と「言の心」と「浮言綺語のような戯れの意味」を用いて、歌を清げな姿にして、それに付けて、おとこのはかないエロスを表出している。「歌の様」を得て、みごとな表現だと思わないだろうか。撰者達には、そう思われたからこそ、歌は採り立てられたのだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)