帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(108)花の散ることやわびしき春霞

2016-12-24 20:08:57 | 古典

             

 

                        帯とけの「古今和歌集」

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。                                                                                                                                                                                                                                   

 

「古今和歌集」 巻第二 春歌下108

 

仁和の中将の御息所の家に、歌合せしける時に、

よみける              藤原後蔭

花の散ることやわびしき春霞 たつたの山のうぐひすの声

 

光孝天皇の、中将の御息所(皇子をお産みになった女御)と申し上げる方の家にて、歌合わせしようとした時に詠んだ・歌。 藤原後蔭(光孝天皇の蔵人、後に左兵衛中将)

(花の散るのが侘びしいのかな、春霞立つ龍田の山の鶯の鳴き声よ……おとこはな、果てるのが侘びしいのかな、春情が済み、絶ったの山ばの、憂くひす女の声よ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「花…木の花…男花」「散る…果てる…尽きる」「春霞…春がすみ…春情が済み」「たつたの山…瀧田山…絶った…山ば」「うぐひす…鶯…鳥の言の心は女…鳥の名…名は戯れる…浮く泌す…憂く干洲…辛くも干からびる」「声…こゑ…体言止めで余情がある、多くは詠嘆…こえ…小枝…身の枝…おとこ」。

 

龍田の山の桜花散る、惜しみてか、侘びしく鳴く鶯の声。――歌の清げな姿。

絶えた山ば、さくら散る、春の日々が済み、もの憂く泣く女の声よ。――深き心。

おとこ花散り、わびしき春の香済み、絶ったの山ばの、もの憂く泣く女の声よ・つらく干からびる我が小枝よ。――心におかしきところ。

 

仁和の帝は五十五歳で即位、三年後に崩御された。「中将の御息所」は、藤原後蔭の妹で、光孝天皇の更衣か女御となった人と思われる。もしそうならば、詞書と和歌によって、詠まれた女御と詠んだ人のわびしい心と、生涯の一端さえ見えてくる。


 木の花の言の心が男であること、および鳥の言の心が女であることなどが、確かでなければならない。ただし、言葉の意味の論理的証明は不可能である。この時代の和歌などの文脈で通用していた意味が、その言葉の意味であり、言葉の意味は結果だけを心得るほかないのである。一つの言葉は複数の意味を孕んでいるので全てを心得るには、この文脈に、たっぷりと浸かっていなければならない。これまでに、古今和歌集の歌の文脈に足を踏み入れたことは確かである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)

ジャンル:
文化
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 帯とけの「古今和歌集」 巻... | トップ | 帯とけの「古今和歌集」 巻... »

古典」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事