帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(105)うぐひすのなく野辺ごとに来て見れば

2016-12-21 19:17:37 | 古典

             

 

                        帯とけの「古今和歌集」

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。                                                                                                                                                                                                                                   

 

「古今和歌集」 巻第二 春歌下105

 

題しらず                よみ人しらず

うぐひすのなく野辺ごとに来て見れば うつろふ花に風ぞ吹きける

題知らず                    詠み人知らず(男の詠んだ歌として聞く)

(鶯が鳴く野辺、来るたびに見れば、衰えゆく草花に、無情の・風が吹いていたことよ……女が泣く、山ばのないひら野、来るたびに見れば、衰えゆくおとこ端に、厭きの心風が吹いていたなあ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「うぐひす…鶯…鳥の言の心は女…鳥の名…名は戯れる…憂く秘す…浮く泌す」「なく…鳴く…泣く」「野辺…春の草花の咲く所…山ばではないところ」「ごと…毎…毎度…たび毎」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「うつろふ…移りゆく…悪い方に変化する」「花…草花…女花…木の花…おとこ花…おとこ先端」「風…花散らす風…心に吹く風…飽き風・厭き風など」「ける…けり…過去の回想の意を表す…気付き・詠嘆を表す」。

 

鶯の鳴く野辺、衰えゆく春の草花、花散らす無情の風が吹いていた風情。――歌の清げな姿。

浮く泌すと泣く山ばより降りてきて見れば、衰えゆく我がおとこはなに、厭きの心風が吹いているなあ。――心におかしきところ。

 

この歌の情況は、躬恒の歌「衰えゆく我が・おとこ端、見れば春情さえ衰退する」情況と同じであるが、男の心に吹き来るどうしょうもない厭き風に趣きがある。躬恒の歌は「吾女に知られると困る」と危惧する男の心に趣きがあった。両歌は、お互いの情緒を補完し合うように並べられてあるのだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)