帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(98)花のごと世の常ならば過ぐしてし

2016-12-13 19:10:37 | 古典

             

 

                       帯とけの「古今和歌集」

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。                                                                                                                                                                                                                                   

 

「古今和歌集」 巻第二 春歌下98

 

題しらず           よみ人しらず

花のごと世の常ならば過ぐしてし 昔は又もかへりきなまし 

                        詠み人知らず(女の歌として聞く)
 (草花のように、春でなくても咲く・世の常のものならば、過ごした昔は、又も繰り返すでしょうに……女花のように、張るでなくとも咲くのが・夜の常ならば、貴身の・過ぎし武樫は、又もよみがえったでしょうにねえ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「花…草花…言の心は女…四季に草花は咲く」「過ぐしてし…過ごしてしまった…過去となった」「昔…以前…武樫…強くて堅い…伊勢物語の『むかしをとこありけり』はこの意味を孕んでいる」「又も…再び…二たび…繰り返し」「かへりきなまし…きっと返って来ただろうに(当然の意が含まれる)…返ってきたかもしれない(とまどいの意が含まれる)」。

 

草花のように四季折々に年毎に咲くものならば、過ぎ去っても又すぐに花咲くでしょうに・はかない桜花よ。――歌の清げな姿。

女花のように、夜の常に咲くものならば、過ぎ去った武樫は、またも、よみがえって来るでしょうに、はかないおとこ端よ。――心におかしきところ。

 

おとこの一過性のはかない性(さが)について、女の心に思う事が表出されてある。女の心の歌、第二首目である。

 

仮名序の冒頭に「世の中にある人、事(こと)、(わざ)、繁きものなれば、心に思う事を、見る物、聞くものにつけて言い出せるなり」とある。繁き出来事や業(ごう)を、これまた繁き言葉で表現する。これが「歌を詠む」ということである。

 

「事…こと…出来事…言葉」「業…わざ…ごう…善悪色々な行為」

 

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


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