帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (219) 秋萩の古枝に咲ける花見れば

2017-05-05 19:45:21 | 古典

            

 

                       帯とけの古今和歌集

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 国文学が無視した「平安時代の
紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 219

 

昔あひ知りて侍りける人の秋の野にあひて物語

しけるついでによめる         躬恒

 秋萩の古枝に咲ける花見れば 本の心はわすれざりけり

昔、知り合いであった人が秋の野に居て、出遭って、よもやま話をした機会に詠んだと思われる・歌……お互い若き頃、和合を知った女が、厭きの山ばのないところに出遭って、あれこれ言葉を交わした折りに詠んだらしい・歌。みつね。

(秋萩の古枝に咲いた花を見れば、本の心忘れなかったのだなあ・同じ花が咲いている……厭き端木の古枝に咲いたおとこ花、見れば・合えば、あの頃の心は、忘れていなかったなあ)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「むかし…昔…若い頃…武樫…強く堅い」「あひしり…相知り…合い知り…和合を知り」「人…女」「秋の野…飽きのひら野…厭きの山ば無し」「あひて…出遭って…逢って…合って…身も心も合体して」「ものがたりしける…言葉を交わした…情を交わした」「ついで…機会…折り…ことのつづき」。

「秋萩…あき端木…果てのおとこ」「古枝…若枝ではない…若くない身の枝」「ゑ…枝…身の枝…おとこ」「花…男花…おとこ花」「本…本来…本性…若き頃」「けり…気付き・詠嘆の意を表す」。

 

秋萩の古枝に咲いた花を見れば、昔と同じ花だなあ、萩の古枝も・本の心は忘れていないことよ。――歌の清げな姿。

武樫に比べれば・端木も古枝になった、咲いたおとこ花見れば、あの頃の心は、忘れていなかったなあ。――心におかしきところ。

 

身恒の歌は、物語風な情況で詠まれることが多いようである。

春歌、(30)「雁の声を聞いて、越の国へ下った人を思って詠んだ」、(40)「月夜に梅花を折ってよと、女人が言ったので詠んだ」、(67)「わが家に・桜の花見に来た女人に詠んで贈った」、

夏歌、(130)「わが家に藤の花が咲いたのを女人が立見していたので詠んだ」、「隣より、とこなつの花を乞ひに、使いを寄こしたので、惜しんで詠んで遣わした」など。このような情況で、「清げな姿」に包んで、「心におかしきところ」が詠み込まれてある。。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)

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